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見えない部分


「俺、お前が好きだわ。」

……、

「「「え?」」」

神楽ちゃん、新八君、お妙さん、そして私。
波に揺れる小舟の上で、色んな声が同じ音を出した。

「し、師匠?」
「銀さん、今なんて…」

新八君が目をしばたたかせながら問う。
お妙さんはポカンと開けた口に、「まぁ…」と手を当てた。

「だから、俺は紅涙が好きだっつってんの。」
「ししし師匠!?」
「阿保アル。紅涙が好きなのはマヨラーネ。」
「かか神楽ちゃん!?」

えっ、ちょ、

「だよな。おまけにもうコイツら付き合ってるし。」
「「「ええ!?」」」

3人の視線を一斉に受ける。

「それは私も初耳ネ。」
「本当なんですか!?」
「え、えっと…、はい…、」

…たぶん。

「いつからなの?」
「ここに来る前だってよ。」
「あら。じゃあその時の話をぜひ詳しく――」
「まっ、待ってください!」

目を輝かせるお妙さんをかわし、私は神楽ちゃんを見た。

「どうして私の気持ちを…?」
「紅涙を見てれば、そんなこと昼飯前アル。」
「朝飯な。」

師匠が横目で告げる。

「おい新八。ツッコミはお前の担当だろォが、サボんな。」
「す、すみません。なんかビックリしちゃって…。」
「今まで気付かないなんてニブチンにも程があるネ。」

しれっと告げる神楽ちゃんに、お妙さんが深刻な顔つきになった。

「いやだわ…。新ちゃんならまだしも、私まで気づかなかったなんて。」
「姉上!?今さり気なく僕をバカに…」
「アネゴは仕方ないネ。駄メガネも駄メガネだから仕方ないアル。」
「駄メガネって久しぶりに言われたな…。」
「新八、手ェ止まってんぞ。しっかり漕げー。」
「あっ、すみません。」
「代わるわ、新ちゃん。」

お妙さんが櫂(かい)を握る。
新八君は「でもアレですよね」と不思議そうに師匠の背中を見た。

「どうして銀さんは告白なんてしたんですか?」
“紅涙さんが付き合ってることを知っててわざわざ…”

それは…私も思う。
始めは冗談か何かかと思ったけど…本気みたいだし。

どうして…?

「まァなんだ、なんとなく言っておきたくなったんだよ。」

師匠は海に身体を向けたまま、うんと伸びをする。

「おかげでスッキリしたわ。」
「師匠…、」
「悪いな、こんな時に言って。」

振り返り、私にニッと笑む。

「もっとドラマチックな展開で言えば、お前の気が揺らいだかもしんねェのにな。」
「ゆっ揺らぎませんよ!そんな簡単に…。」
「ンなの、やってみなきゃ分かんねェだろうが。」

軽く笑って肩をすくめる。
いつもと変わらない態度だから、その場の雰囲気は大して変わらなかった。

深刻な空気も、気まずさもない。
ただ告白されたことが、私の胸に残っただけ。

「……、」

本当に…どうして今だったんだろう。
特に意味がないなら、こんなところで言わなくても良かったんじゃ…

「あらー?」

師匠が双眼鏡を覗き、暗い海の先を注視する。

「思った通りだ。島でも何か起きてやがる。」

数キロ先の黒縄島に、大型船が数隻停泊しているらしい。
陸地にも多数の人影があると言う。
おそらくは、見廻組の。

「…こりゃ予定変更だな。」

ボソッと口にして振り返った。

「土方ァ!船あけるぞ!」

船をあける?

「どういう意味だ。」

やや後方にいた土方さんが小舟を寄せた。

「今の人数をこの半分…いや、三分の一の船に乗せ替えろ。空けた船を囮にして、本隊は島の裏へ回る。」
「陽動作戦ってわけか。」
「このまま正面から突っ込んでも、おそらく砲撃されて沈められちまうのがオチだからな。」
「島の裏の形状は?」
「知るかよ。どうなってるか分かんなくても行くしか道はねェだろ。」
「…そうだな。」

師匠の策に従い、土方さんはすぐに皆へ指示を出した。

小さな船に定員オーバーなくらいの人数で乗り分け、
空けた数隻の船には出来るだけ真っ直ぐ進むように細工。
泳ぎの得意な者を少数残すと、あっという間に本隊の影が完成した。

「お前らはある程度近づいたら海へ飛び込めよ。砲弾されてからじゃ遅い。気をつけろ。」
「はい!」

かく乱部隊と分かれた後は、本隊の船を裏側へ進ませる。
夜に溶けるように、ひっそりと身を隠しながら。

「引っかかりますかね…。」

新八君が不安そうに言う。

「引っかかるさ。必ず。」

師匠は得意げに鼻を鳴らした。
同じ船に乗っている土方さんが片眉を上げる。

「随分と自信あるんだな。」
「昔よく使った策なんだよ。相手にとっちゃ、向かってくる船は脅威。問答無用で第一目標になる。」
「そこから違和感を覚えて探す頃には、俺達はもう上陸してるってわけか。」
「そういうこと。」

淡々と話す二人の姿をつい見入る。
こんな風に話すところは、今まで見たことがなかった。

「どうした、紅涙。」

師匠の問いかけに、

「なんか…カッコイイなと思って。」

私は何も考えず、思うまま口にした。
途端、土方さんが目を見開く。

「お前…」
「あ、えっと…すみません、こんな時に。」
「いやいや別に〜?俺は構わねェよ。」

師匠がニタニタとした笑みを浮かべる。

「紅涙、惚れちまったんだろ?俺に。」
「…へ?」

何を急に…。

「隠すなって。仕方ねェよ、こんなマヨラーよりカッコイイんだから。」
「…おい。」
「あ、あの…」
「だってマヨラーな上にニコチンだもんな。ニコチンマヨラーとか、もうなんかピー音が入りそうな怪獣じゃん?」
「それはお前が無理矢理そっちに持ってってんだろーが!」
「うるせェな、んなことねーよ。…いいか?紅涙。」

私の両肩を掴み、「ちゃんと考えるからな」と言った。

「何をですか?」
「俺はお前の告白を受け入れる。これからは二人で一緒に生きて――」
「結構です。」
「あァ!?」
「そもそも告白なんてしてませんよ。」

何を言い出すのかと思えば…。
こういうことをするから、師匠は何でも冗談に思えちゃうんだよね。

「私がカッコいいと言ったのは『師匠が』じゃなくて、『二人で真剣に話す姿が』です。」
「あー…そっち?そっちね。…だろうと思ったわ。」

顔を引きつらせる。

「ほんとヤな女だなーお前。人の気をもてあそびやがってよ。」
「なっ、言いがかりです!もてあそんでなんて…っ」
「はいはい。そうですねー。」
「師匠!」

ふてくされる師匠に抗議の視線を向ける。
そのまま土方さんを見て、

「土方さんも何か言ってくださいよ!」

と助けを求めれば、

「……。」
「?」

スッと目を逸らされた。

そこで思い出した。
ああ…そうだ。
師匠のせいで忘れてたけど、土方さんは私に怒っていた。
ここに残ると言った瞬間から、ずっと機嫌が悪かったんだ。

「あの、土方さ…」
「万事屋。島に着いた後の話だが――」
「……。」

…この感じ、よく覚えてるな。
少し前も、こうやって避けられてた。

でも、もうあの時とは関係が違う。
なのに今もまだこうなるということは…
やっぱり、私達は何も変わってなかったということなのかな…。



「よし、上陸っと。」

向こうに勘付かれることなく、無事に本隊の船を黒縄島の裏側へつける。
しかし見上げたそこは断崖絶壁。
近藤局長達の元へ行くには、
この、ろくに足場もない崖を登り、上を目指さなければならなかった。

沖田隊長は、遥か頭上にある監獄に目を細めて言う。

「見たところガケの中腹までは足のかけ場もねェが、それより上は登れなくもねェ。」
“問題はそこまでどう登るかです”

神楽ちゃんが縄を握った。

「一人が縄をもって、あそこまで登って、みんなが登れるよう縄をたらせばいいアル。私に任せるヨロシ。」
「チャイナ、お前…。いいの?」
「おう。私ならこんなガケ、ひとっ跳びアル。」

そう言って神楽ちゃんは縄を沖田隊長に巻き付け、フンッと勢いよく投げる。

…あれ?
そういうこと?

崖に沖田隊長が突き刺さった。
と同時に、縄に赤いものが滲み始める。
おまけに縄の長さは短い。

「仕方ないアル、もう少し縄をたそう!!」」

今度は土方さんを投げた。
師匠が「この際、階段を作ればいい」と真選組隊士や攘夷志士を崖に埋め始める。

「ふざけんな、カスども!!」
「上につくまでに誰もいなくなるわ!!」

崖から抜け出た沖田隊長と土方さんが、神楽ちゃんと師匠に飛び蹴り。
こんなに賑やかでいいのかと心配になるほどギャーギャー騒ぐ皆を、お妙さんは小さく笑った。

「姉上…、」

新八君がお妙さんに近寄る。
少ししんみりした空気を察して、私は船から離れた。

私とお妙さんが行けるのはここまでだ。
この先の皆を考えると、不安と心配しかない。
きっと自分の弟なら、なおさら。

「……あ。」

二人の様子を見ていると、視界の端に師匠が見えた。
気持ちを切り替えるように木刀を腰に挿し、崖の方へと歩いて行く。

その背中に、
なぜか今、声をかけなきゃいけない気がした。

「師匠っ、」
「…ん?」

足を止める。
振り返った表情はいつもと同じ、あのヤル気のない眼だった。

「無事に帰ってきてくださいね。」
「…なんだよ、改まって。」

さっきの告白…、
私と土方さんのことを知っていて告白した理由は…、


『俺でも正直、黒縄島ではどうなるか分からねェと思ってるぐらいだ。先延ばしにするなら今のうちに――』


もしかしたら帰れないかもしれないから…とかじゃないよね?

「ちゃんと…地に足をつけて帰ってきてください。」
「え、なにお前。俺が霊体になるとでも思ってんの?それとも俺の人生がフワフワしてるとか言いたいわけ?」
「あっいえ、そうじゃなくて、ちゃんと歩ける状態で帰ってきてほしいというか、元気なまま、怪我なく戻ってきてほしいというか…そんな感じです。」
「わっかりにくい言い方だな。」

小さく鼻で笑い、私の頭にバシッと重い手を置く。

「いっ!?」
「俺の心配より、アイツの心配をしてやれ。」

そう言って、後ろを見る。
視線の先には、頭から血を流す沖田隊長がいた。

「おっ沖田隊長!?」
「え、沖田?いや、紅涙。俺は沖田って意味じゃ…」
「大丈夫なんですか!?」

慌てて駆け寄る。
流血している原因は先ほどの崖だろう。

「行く前からこんな怪我をして…」
「汗でさァ。気にしないでくだせェ。」
「あ、汗って…」

結構な赤さですけど…。
沖田隊長はサラりと額を拭い、「それよりも」と言った。

「さっき俺の刀を投げてやしたね。」
「さっき?」

沖田隊長の刀を?

思い返してみる。
そう言えば…、
ハジちゃんを助ける時、私は刀を投げて助けようとした。
借りっぱなしになっている沖田隊長の刀を。

「あ。」
「『あ』じゃねーよ。」
「かっ返します!すみません!長い間ありがとうござい――」
「まだいい。」
「え?」
「まだ返さなくていいっつってんでさァ。この状況で丸腰になるなんてバカですかィ?」
「そ、そうですね…。」

言われてみれば、予備の刀はない。
皆と行かないと言っても、何かの時に備えて刀があるに越したことはない。

「じゃあ…もう少しお借りします。」
「全部終わった時は覚えときなせェ。俺に“なんでも屋”だと黙っていた分も含めて、痛めつけてやりますぜ。」

痛めつける!?

「そ、それはどんな風に…?」
「帰った時のお楽しみ。」
「こわっ」
「安心しなせェ。俺ァ相手が喜ぶことしかしやせん。あ間違えた、悦ぶね。」
「何が変わったんですか?」
「紅涙の身も心も満たすって辺りの意を含み……」

「総悟。」

低く静かに厳しい声が割って入る。

「なんですかィ、土方さん。」
「いつまでも喋ってんじゃねェ。行くぞ。」
「へーい。それじゃあな、紅涙。」

沖田隊長は頭の後ろで手を組み、だらしなく足を動かした。
同時に、土方さんも歩き始める。
そこへ山崎さんが駆け寄った。

「副長、ちょっといいですか?」
“崖上に妙な気配がありまして…”

土方さんは険しい顔で話を聞く。
まるで何事もなかったように。
私なんていないみたいに、チラりともこちらを見ずに。

つまり…それほど怒ってるということだろう。
私には、何も言わないけど。

「…だったら、」

そんな態度をとるくらいなら、

「はっきり怒ってくださいよ!」

黙って避けるんじゃなく、もっとぶつかってほしい。

「…おい、静かにしろ。」
「わかりにくいんです!土方さんは。」
「……。」

あの時だってそうだ。


『お前は…、…もういらねェよ。』


そんな風に言ったくせに、私を迎えに来た。

「本気で遠ざけたいのか、そうじゃないのか…全然わからないんですよ。」

関係が変わっても、何も分からない。
想われてる自信もない。

「……。」
「本当は、どう思ってるんですか?」

私がここに残ること、
…私自身のこと。

「土方さんが本気で嫌なら…、本気で望んでないなら、私は……」
「嬉しいよ。」
「……え?」
「……。」

土方さんは私を黙り見る。
ふいっと顔をそらしたかと思うと、そのまま背を向けて歩き出した。

「え!?あ、あのっ」
「お前のことが嫌なら、」
「…はい、」
「お前が残ることを許せてなかったら、俺は無理矢理にでも、誰かに連れ帰らせてる。」
「……、」
「わかりにくくて悪かったな。」

土方さんは「でもまァ」と顔半分だけ振り返らせて、


「俺に惚れてんなら、そこのとこは諦めとけ。」


薄く笑い、軽く右手を上げた。

「じゃあな。」

呆然とする私を置いて、すたすたと歩き始める。
あっという間に遠くなる距離に、私は慌てて口を開いた。

「っ、好きです!」
「!?」

こういう時、もっと他の気の利いたことを言えればいいのにと思う。
私が知る、限りある言葉の中にも、土方さんを喜ばせるものは必ずあるはずだ。

なのに、私はたったその一言だけを伝えて、

「ふっ、…バカなやつ。」

土方さんを少し笑わせて、

「他の奴には言うなよ。」

ひらりと後ろ手を振らせて、別れた。
私は小さくなるその背中に、

「言うわけ…ないじゃないですか。」

半ば驚きながら呟く。
これから控えるのは戦いだ。
仮に言えるような場があったとしても、言う相手がいない。
何せ、私はお妙さんといるんだから。

「何言ってるんだか…。」

クスッと笑う。
これから何度も経験するであろう別れの一つに。

けれど、そんな風に捉えていたのは私だけだった。

この時から…、
いや、この戦いを決めた瞬間から、
土方さんの中にある別れは、一つしかなかった。


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