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影の戦い


奪還部隊が黒縄島へ入った後、すぐに私達は小舟を岩陰につけた。

敵に見つからないよう、島から僅かに離れた場所。
けれども救護に駆けつけられる、絶妙な距離に。

「この辺りで大丈夫かしら。」

お妙さんが心配そうに口にする。
小銭形さんは「問題ない」と言った。

「ここなら陸地はおろか、海上からも攻めづらい。近寄ってくる人間にだけ警戒しておけば大丈夫だ。」
「それじゃ、あちきらは先に戻りやしょうか。」

ハジちゃんと小銭形さんは、これから予定通り江戸の街へと引き上げる。
残るのは私とお妙さん、
そして先程の負傷者と、戦力として残された囮部隊の僅かな人数だけだ。

「気をつけてくださいね。」
「キミ達もな。」

小銭形さんが口元に笑みを浮かべる。
顔色は良く、ハジちゃんの手当てが効いているように見えた。

「早雨さん。くれぐれも耐えるんだぞ。」
「?」

言われていることが分からず、小首を傾げる。
小銭形さんは黒縄島に目を向けた。

「この先、島は恐ろしく荒れる。不安になっても、決して乗り込もうなどとは思うなよ。」
「……、」

小銭形さんも鋭い人だな…。

私はきっと、
悲惨な状況を目にしたら、少しでも力になりたいと思ってしまう。
何か役に立てることがあるんじゃないかと、足を踏み出したくなると思う。

…それでも、

「見守ります。ちゃんと…、ここで。」

今はそんな小さな可能性に賭ける時じゃない。

負傷している人も、
この島を離れる小銭形さんも、
本来は一緒に戦える人達が、みんな耐えてるんだから。

「私は、ここから土方さん達を支えます。」

この場所で見守る。
ただ待つのではなく、

ここで、戦うんだ。

「…随分といい眼になったじゃないか。」

小銭形さんが、ふっと笑う。

「つい先程とは全く違う眼をしてるな。もう心配はなさそうだ。」

懐から葉巻を取り出す。
火はハジちゃんが点けた。

「事が終わったら皆で飲みにでも行こう。ヤツにも声を掛けておいてくれ。」
「はい、伝えておきます。」

頭を下げると、ハジちゃんが船を漕ぎ始める。
小さな波を起こしながら、小舟は少しずつ遠ざかって行った。

「みんな、そろそろ登りきった頃よね…。」

崖を見上げ、お妙さんは胸の前で手を握る。
私が「そうですね」と唇を動かそうとした時、

――キィンッ…

小さな金属音が耳に届いた。
この音、聞き覚えがある。

「これって…、…刀?」

刃と刃がぶつかる、甲高い音。

「まさか、もう…?」

お妙さんと顔を見合わせる。
金属音は続けざまに何度も聞こえ、時折、叫び声のようなものも聞こえた。

「こんなに早く始まるなんて…」
「島の裏手にも見張りをつけていたのかもしれません。もしくは…私達の潜入に気付いていたか。」

だとしたら、じきにここへも攻めてくる。
いや、既に襲撃を受けていてもおかしくない。

それがないということは、
向こうは私達の船を沈めても戦況に響かないと踏んで、戦力を奪還部隊の方へ回したんだろう。

…ならば、

「今行けば…、」

絶好のタイミングになる。
たとえここにあるのが僅かな戦力でも、動けば敵の背後から奇襲を仕掛けることが――

「紅涙さん?」
「っ……、」

だめだ。
動かないって決めたんだから。

「どうかしたの?」
「い、いえ…何も」

――ドォォンッ

「「!!」」

地鳴りと共に、島の中腹から大きな煙が上がった。
音と衝撃を考えて砲撃。
…相手の攻撃だ。

「おい…アレって、さっきと同じ奈落の砲撃じゃねぇのか?」
「確かにあの程度で引くとも思えねーよな…。」
「なら副長達は見廻組と奈落を相手にしてるってことかよ…!」

騒ぎ立つ声音は、
真選組隊士も攘夷志士も関係なく、不安から焦りへと変わり始める。

「俺達もこんなとこでボーっとしてる場合じゃねーだろ!」
「腕の一本や二本どうってことねェ!!動ける奴はどうにでも動きゃいいんだよ!」

その焦りは決起と団結を生み、

「俺達も行こう!」
「「おう!」」

皆を立ち上がらせた。
そんな中で、私は一人、

「っ…耐えてください!」

拳を固く握り、声を上げる。

「次に船を着けるのは、皆を迎えに行く時と決められていたはずです。」
「ンなこと言ってる場合じゃねーだろ!状況考えろ!」
「考えてます!考えた上で…耐えてほしいんです。今私達が行っても…、……無駄死にするだけですから。」

そう口にした後、

「…無駄死にだァ?」

間違ったと思った。
こんな言い方をすると、

「上等じゃねェか!」

より、皆の気持ちに火を点ける。

「どうせ俺は負傷してんだ、捨て駒にでも何でもなってやらァ!」
「何もしないで生き残るくらいなら、戦って死ぬ方がマシだ!!」

投げつけられる言葉に、仲間を憂う気持ちが伝わる。
痛いほど伝わる。

…私だって、

「私だって、ほんの少し前なら…そう思ってましたよ。」

自己満足でも、
たとえ自分のしたことが結果に影響しなくても、
なんでもいいから、行きたい。

皆と…土方さんと共に。

「だけど無理をして、駆けつけた先で死んでしまったら、それを土方さんや近藤局長が喜んでくれると思いますか?」
「それは……、…。」
「よくやったな!って、桂さんが笑って、心から称えてくれると思いますか?」
「……。」
「誰でも仲間を失えば、悲しい気持ちの方が…、…きっと、大きいはずですよ。」

奮い立つ皆の顔から、少しずつ火が消える。
それでも、やりきれない一人の隊士は言った。

「だからって、このまま局長達が死んじまったら、元も子もねェじゃねーか…。」
“俺達は…、何のために生かされるんだよ…”

……うん、

「…そうですね。」
「そうですねってお前…」
「でも、私達が実行している計画は、これまで死線を幾度となく越えてきた真選組と、伝説の白夜叉が考えた策なんです。」
「……、」
「その策を信じて従う方が、護りたい人を護る一番の行動だって…思いませんか?」

立ち上がっていた者達が、徐々に腰を下ろし始める。
やりきれない彼も、

「…わかったよ。」

そう言って、

「……早雨、」
「はい。」
「お前は、……強いんだな。」

感情の読めない表情で告げると、腰を下ろした。

「…ふぅ。」

私は細く安堵の息を吐く。
心の中では、その何倍も大きな息を吐いた。
本当は、手が震えるほど緊張と不安でいっぱいだった。

手の平を開き、グッと握り直す。
すると隣で、

「…ふふ、」

お妙さんが小さな笑い声を漏らした。
もしかして…バレたかな。

「えっと…、」
「紅涙さんは、あの人によく似てるわ。」
「え、あの人…ですか?」
「ええ。いつも真っすぐに自分の思いを伝えるところが、とってもよく似てる。」

お妙さんは“あの人”の名を口にせず、困ったように笑った。

「不思議よね。真っすぐ過ぎて迷惑したことも…今となっては、楽しかったように思い出せてしまうんだから。」
「…それは、たぶん迷惑に思っていても楽しかったんですよ。」
「……、そうね。そうかもしれない。」

弱く微笑み、目を伏せる。

「また…、そんな気持ちになれるかしら。」

独り言のような問いに、

「はい。きっと。」

私はしっかりと頷き、お妙さんに笑った。



しかしその後、状況は瞬く間に悪くなった。
耳には物騒な音が届き続け、砲撃、銃声、刀のぶつかり合う音で溢れる。
怒声や叫び声も、反響して度々聞こえてきた。

私達は、ただただ船で戦況を見守った。
小さな波だけが、変わりなく船を打ちつけては返り、僅かに揺らす。

誰も何も言わないけど、
今すぐにでも駆けつけたい衝動は嫌というほど感じた。

「…っくそ、」
「……、」

耐えろと言ったことを申し訳なく思う。
そんな空気に輪をかけるように、上空を飛んできた船が撃ち落とされた。

ーードオォォォンッ

「!」

燃えながら崩れゆく飛空艇は、轟音を立てて島へと墜落する。

「ひでぇ…」

誰かが呟いた。

「見廻組の飛空艇が奈落の砲撃を受けたのか…?」
「アイツら、敵も味方も関係ねぇのかよ…。」

島は赤く光り、いくつもの真っ黒な煙を上げる。

「っ、あれを見て!」

お妙さんが指をさした。

「みんなが撤退を始めてるわ!」

斜面を必死に駆け下りてくる隊士が見えた。

「船を着けましょう!」
「急げェェ!!」

一斉に数隻の小舟を島へ寄せる。

「こっちだァァ!!」
「早く!!」
「怪我のひどい方はこちらの船に!」

負傷している者を担ぎ入れ、片っ端からお妙さんと手当てを始める。
怪我は斬り傷がほとんどで、止血する包帯はあっという間に足りなくなった。

「そちらの船に余っている包帯はありませんか!?」
「もう全部使っちまった!これ以上は隊服を代わりにするしかねぇ!」

言うや否や、シャツを脱いで破り始める。
それを見ていた攘夷志士の一人も、着物から片腕を引き抜いた。

「俺達のも使ってくれ!この厚さなら、止血帯くれぇにはなるだろ!」
「よし、怪我の酷くねぇヤツらは全員着物を破って回せ!」
「こっちにも布をよこしてくれ!」

まさに、辺り一帯が救護場。
ここを責められれば一溜まりもないが、幸運にも追手はない。
岩壁を走り下りてくる隊士も、一人、二人と、まばらになってきた。

けれど、

「局長はまだか!!」
「沖田隊長達の姿も見当たらねェ。」

要となる人達がまだ来ない。

「新ちゃん、みんな、」

お妙さんが口にする師匠達もいない。
実力のある人達が来ないのは、おそらく敵を引き留めているせいだ。

…ろうけど、

「…あの、」

私は負傷する隊士に聞いた。

「土方さん達は、今どんな状況ですか?」
「…わからねぇ。俺達は、のろしが上がったら撤退するよう言われてたから。」
「そうですか…。」
「ただ、……、」

隊士が顔を曇らせる。

「ただ副長は…、」


『もし最後の一兵が撤退するまでに、俺と近藤さんが戻らなかったら、構わず、てめェらだけで逃げろ』
『戻っても戻らなくても、こいつが真選組副長、最後の命だ』
『きいてくれるよな』


「…俺達に、そう言ったんだ。」

そんな…、

「だから、……、」

岩壁を見る。
そこにはもう、駆け下りてくる隊士の姿はない。

「俺たちは…、撤退を始めなきゃいけねぇんだよ。」

そんな…、…、

「…ダメです。」
「…早雨、」
「まだダメです!!」

行けるわけない。
大切な人達を残して、こんな状態の島から離れられるわけない。

「…副長の命令だ。」
「でもっ」
「耐えろよ、早雨。」

冷静な声に振り返る。
さっき、私に『強い』と言った彼だ。

「俺達に言うだけ言って、お前は耐えられねぇのかよ。」
「っ…。」
「副長の指示に従え。」
「…なら、あと少しだけ…っ、」

今、ここを目指して走ってきているかもしれないから。
もうそこまで来てるかもしれないから。

だから…、

「お願いっ…、」

誰か来て!
誰か…っ、

土方さん…っ!!

――ゴォォッ

突如、風の唸る音が耳に入る。
次第に大きくなるそれを、全員が見上げた。

「あれは…、」

島の上空に浮かぶ、3隻の飛空艇。
見覚えのある外観に、全員が絶句した。

「見廻組かよ…。」

この状況で、また相手の戦力が増える。

「…終わりだな。」
「もう…逃げらんねぇな…。」

ここで真選組を、反幕府を根絶やしにするつもりなのだろう。
あがないきれない壁を見せつけられて、誰も、何も出来なかった。

飛空艇は轟音を立て、高度を下げたまま私達の頭上に待機する。
どうするつもりなのかと成す術もなく見上げていると、甲板が大きく開いた。
カランカランと音を鳴らして、いくつかの縄はしごが下ろされる。

「来るか…、」

けれども、一向に人は出てこない。

「…?」
「まさか…俺達を助けようとしてんのか?」
「んかわけねぇだろ。あるとしたら、捕まえて見せしめにでもするためだ。」
「そんなことになるくらいなら、テメェで死んだ方がマシじゃねーかよ!」

一人が刀を抜く。
途端、同調した者達も次々と刀を抜き始めた。

「まっ、待ってください!自害なんてっ」
「うるせぇ!俺達にも譲れねぇもんがあるんだ!!」
「真選組は誰にも潰されたりしねぇぇ!不滅だァァ!」

刀を突き上げ、声を挙げる。
すると、甲板に一人の男性が姿を現した。

「お前ら何してんだ!早く乗りやがれ!!」
「「「!!」」」

こちらに向かって叫ぶあの人は、

「松平…長官?」

近藤局長達と捕らわれていたはずの、松平長官だった。


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