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果てなき空


「全員乗ったな。」

私達の前に現れた飛空艇の中、松平長官は腕組みして言った。

「怪我の酷い奴はどれくらいいる?」
「二割ほど…だと思います。他の者は、斬り傷や火傷が少し。」
「なら動けるな。」

「よし」と頷き、背を向ける。
眼下に広がる黒縄島を見ながら、

「お前ら、この先は俺の指示に従えよ。」

松平長官はそう言った。

「あの、質問…いいですか?」
「なんだ、早雨。」

振り返る。
負傷しているが、いつもの威厳はしっかりと溢れ出ていた。

「松平長官は、どうやってここにいらしたんですか…?」

というか、どうやって飛空艇を呼んだの?

この飛空艇は警察庁のもの。
現に操縦席には見廻組の隊士が座っている。
それだけじゃない。
艦内に、私達と同じくらい怪我をしている隊士達が多く乗っている。

松平長官は警察庁から追い出されて黒縄島へ収監されていた。
なのに…

「もしかして…本当は幕府側と繋がっていた、とか?」
「バカ言え。俺も一時は土方達と合流していたが、そいつらと同じく途中で別れたんだよ。」

アゴをしゃくり、真選組の隊士をさす。
黒縄島の戦いから撤退してきた者達だ。

「だが引き上げる最中に偶然動かせそうな船を見つけてな。3隻ほど借りたってわけだ。」
“まァそれなりの損傷はあるが仕方ない”

確かに船は随分と傷んでいる。
後方からも時折バキッと軋み、崩れるような音が聞こえていた。

「目の前に使えるもんがあったんだ。撤退に生かさねェわけにいかねーだろ。」
「さすがは、とっつぁんだ!敵の船をぶんどってくるなんてスゲェよ!」
「なら今はコイツらが捕虜ってわけだよな!ざまァみろ見廻組!」

ギャハハと笑い声をあげる。
それを松平長官は「バカヤロウ!」と怒声で打ち消した。

「今はもう立場なんて関係ねェんだ!見廻組の損害だって大きい。全員、生き残るだけを考えて助け合え!」

その言葉にハッとする。

見廻組が悪いとか、
真選組をコケにしたとか、
この戦いの始まりは、そんな憎しみの問題じゃなかった。

私達が挑んでいる相手は幕府。
その下で働く人達がいくら死んだところで、何も変わらない。

ならば…、
これ以上、無駄に命を奪うことはない。
少なくとも、立場不明の奈落が絡む今は。

「いいか、」

松平長官の声で、皆が自主的に整列する。
私はその様子をお妙さんと後方で見守った。

「これから島に残る仲間を飛空艇へ誘導する。戦う必要はない。全員で撤退するためだけに行動しろ。」
「「はいっ!」」

船の後方で、ドンッと爆発音が鳴った。

「…時間はねェ。着陸次第、各部隊速やかに行動にうつれ。」

警察庁長官は黒い上着を肩に掛け、

「黒いのも白いのも、これ以上死なせるな。必ず生きて帰るぞ。」

煙草に火をつける。

「江戸を護ってきた警察の力、見せてやれ。」

みんなが強い志でいた。
島へ入る時とはまた違う心でいた。

見据える先にあるのは、燃える黒縄島。

「人間、死んじまったらそこで終わりだ。」

松平長官が口にする。

「終わりなんだよ、…佐々木。」

悲しい目をして、そう呟いた。



その頃、
私達の知らない黒縄島では、様々なことが起きていた。

過去にないほど苛烈な奈落の襲撃、
見廻組局長と真選組局長の対峙。

しかし松平長官の指示と皆の力もあり、無事に仲間の大部分を島から救出することに成功。
土方さんも沖田隊長も師匠もみんな…みんな無事だった。
近藤局長も、顔に大きな斬り傷を負っていたが、命に別状はないという。

ただ、
飛空艇に乗り込むその瞬間までが、本当に生死の狭間で。

くしくも、その狭間に落ちた者がいた。

「異三郎…、」

見廻組局長、佐々木異三郎。

彼は、全てを潰す算段でいたそうだ。
"国を立て直すため、幕府を含めた今ある組織全てをゼロにする"
その野望は誰にも言わず、たった一人で腹に抱えて実行していたらしい。

けれど、自分が頂点に君臨するためじゃない。
純粋に、護りたい人を護れなかった悪しき流れを断つためだったという。

結果、
彼は護りたい人を護って、その命を全うした。

佐々木異三郎に護られた信女さんは、
しばらくの間、甲板でぼんやりと流れる景色を見ていたが、

「長官殿に、敬礼ィィ!!」

見廻組、そして真選組隊士と共に敬礼して、
その眼に感情を取り戻し、彼に別れを告げていた。


「…師匠、」

私は少し離れたところで立つ師匠に声を掛ける。

「どうした?」

壁に寄りかかり、
小首を傾げる姿は、送り出した時とそう変わらない。

…よかった、
怪我はひどかったけど、心配なさそうだな。

「おかえりなさい。」
「…なんだよ、改まって。」
「戻ってきてから、まだ言えてなかったので。」

苦笑すると、師匠がフッと鼻で笑う。

「お前さ、それ言ったのって俺で何人目?」
「え?」
「もしかして初めてだったりすんの?」
「そう…ですね、」

他の人には話しかけられる雰囲気じゃなかったから…

「師匠が初めてですよ。」
「やったー。」
「?」

突然、わーいと手を上げる。
しかし、その姿はかなりヤル気がない。

「な、なんですか?」
「俺ってば、紅涙の初めて貰っちゃったー。」
「!?」

棒読みではあるが、とんでもないことを口にする。
近くで手当てを受けていた隊士が、ギョッとした顔でこちらを見た。

「しし師匠!?なんてことを…っ」
「事実じゃねーか。って、イタタ。」

右肩を押さえる。

「ヤベ、傷口開いたかも。」
「ええ!?もうっ、何やってるんですか。」
「いや〜、一応アピールしておかなきゃなんねェだろ。」
“そこの、穴が開きそうなくらい見てくる奴に”

師匠が私の後ろを見て、ニヤりとする。

「アイツ、まだ俺をライバル視してやがんのな。」

視線を辿る。
そこには土方さんがいた。

「実はかなりのソクバッキーじゃねェの?」
「そ、そんなことは…、…。」

『ない』とは言いきれない。
まだよく知らないから。
何せ、私と土方さんが恋人らしく過ごした時間は、
ここへ来る前の神社の中だけ。

でも…、

「土方さんになら、束縛されてもいいかも…。」
「おいおい。」

師匠が隣で苦笑する。
土方さんは煙草に火をつけ、ゆっくりとこちらへ歩いてきた。

「…万事屋、」
「何かな、束縛十四郎くん。あ、なんかコレ、語呂いいな。」
「うるせェよ。…ちょっと早雨借りるぞ。」
「はァ?…らしくねェな。お前は断りなんか入れる奴じゃねーだろ。」
「俺をなんだと思ってんだ…。早雨、こっちに来い。話がある。」

土方さんが船の奥へと誘う。
私は不思議そうな師匠を横目に、その後をついて行った。


「ここでいいか。」

細い廊下の先にある機械室の扉を開く。
壁は崩れているが、数台の大きなエンジンは力強く稼働していた。

「これなら無事に江戸まで戻れそうですね。」
「戻る…、…そうだな。」

土方さんが浮かない顔で呟く。

「どうしたんですか?」
「…早雨、」
「は…はい。」

どことなく伝わる深刻な空気に、顔が強ばった。

「……、…戻ったら、…、」
「…?」
「江戸に戻ったら……、…。」
「…土方さん?」
「……、…はぁ。やっぱうまく言える気がしねェな。」
「?」

沈黙を混じえた末に溜め息を吐き、
土方さんはもう一度、「早雨」と名を呼んだ。

「依頼お疲れ。助かった。」
「あ、いえ…役に立てたようであれば良かったです。」
「立ったよ、十分。だが気は抜くなよ。」

おもむろに手を伸ばし、


「まだお前は依頼を受けてる身で、…俺は副長だからな。」


ギュッと、私を抱き締めた。

…て、え?

「あ、あの、土方さん?」

背中に手を回し、トントンと軽く叩く。
土方さんは私の肩の辺りで「なんだ」と言った。

「言動と行動が、矛盾してませんか?」
「…してる。」
「ですよね…。」
「それでもいいんだよ。…今だけだ。」

私の首筋に顔を埋める。


「今だけは、抱き締めさせてくれ。」


土方さん…、

「納得いかねェなら、これも依頼の内だと思っとけよ。」

クスッとイタズラに笑う。

「なんでも屋のお前は、俺のどんな指示も従う約束だもんなァ?」

な…、

「なんかそんな言い方すると、ものすごく危険な響きですね…。」
「おう。だからジッとしとけよ。じゃねーと、」

肩の辺りから顔を上げる。
艶のある、深い瞳が私を射抜いた。

「本当に、ここで危ねェことさせるから。」
「!ど、どんな…?」
「…ぷっ。バカ。ビビらすために言ってんのに、興味持ってどうすんだよ。」

土方さんがクククと笑い出す。
おかげで先ほど感じた深刻な空気も、
直前まで感じていた甘い空気も全部消えた。

後者に関しては残念な気がするけど…、
まぁこれからはいくらでも出来るしね。

「とにかくアレだ、」

土方さんは私の頭をやわらかく撫でて、

「お前に怪我がなくて良かったよ。」

優しい目をして、そう言ってくれた。


そんな間にも船は順調に飛行を続け、
無事、黒縄島から江戸に帰還。

色々あっても、どこか晴れやかな気分で船を降りた。

が、待っていたのは薄暗い現実。

「しばらくは散った方がいいな。」

事態を知って激昂した横暴な将軍、善々の目から身を隠す生活が始まる。

聞いたところによると、
善々は警察組織を一新しようとしたらしいが失敗。
出奔する者が続出し、今は警察としての機能がほぼ停止しているそうだ。

しかしそれを予期していた松平長官が、
黒縄島から帰ってきた後、秘かに出奔した者を集めていると聞く。

もしかしたら、
江戸の治安が極めて悪くならないのも、この辺りが関係しているのかもしれない。

そんな崩れた江戸で、私はというと…

「ハジちゃん、他に買ってくる物はある?」
「ないでやんす!」

小銭形さんの家で、お妙さんと共に世話になっていた。

この家での役割はハジちゃんのお手伝い。
とは言え、同心などではなく、
お妙さんが家事の補助、私が買い物係といった具合だ。

「紅涙さん、今日は私も一緒に行くわ。重たいだろうし…」
「いえ、大丈夫ですよ。外は危ないので、お妙さんは家に居てください。」
「それは紅涙さんも同じじゃない。」
「ふふ、そうですね。でも私は一応、真選組隊士だったので。」
“本当に一応ですけど”

苦笑いすると、お妙さんも困ったように笑う。

「それじゃあお願いするわ。くれぐれも気をつけて。」
「はい。ついでに志村邸にも寄ってきます。師匠の様子も気になりますし。」
「そうね。あ、ならこれを新ちゃんへ届けてもらおうかしら。」

お妙さんが風呂敷に包んだお重を差し出す。
持つと、なかなかズシッときた。

「これは?」
「卵焼きよ。そろそろ家の味が恋しくなる頃かと思って。」
「きっと喜びますね。」
「だと嬉しいわ。少し多めに作っておいたから、良かったら紅涙さんも向こうで食べて。」
「ありがとうございます。では行ってきます!」

お重を片手に、私は小銭形さんの家を出る。

街の様子は特に変わりなく、
必要以上に警察が歩き回っているということもなかつた。

それでも、
おそらく今は、喜々がこちらに手を回しきれないだけだろう。
じき血眼になって捜し始めるはずだ。

気をつけて歩かないと。

「…みんなのためにも。」

真選組の皆とは、戻ってきてから一度も会えないままだ。

街のどこかに潜伏しているが、居場所は知らない。
教えてくれなかった。
「知ると気になるだろ」と、土方さんが言ったから。

「…知らなくても、気になりますよ。」

そろそろ顔が見たい。
声が聞きたい。

「いつになったら会えるのかな…。」

黒縄島の戦いから、もうすぐ二週間。
見上げた空は少し雲が多く、私の心のような色をしていた。


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