42


欲しいもの


周りの視線を気にしつつ、さり気なく志村邸の裏口へ回る。
木戸をコンコンと二度鳴らすと、

「ワンッ!」

白くモフモフした大きな塊が顔を出した。

「こんにちは、定春くん。師匠はいる?」
「ワン!」

会話が成立しているかのような一吠えに、頭を撫でる。

「じゃあお邪魔するね。」

敷地内に入れば、すぐに縁側が見えた。
目的の人は、そこで片肘をついて寝転んでいる。

「よう。」
「怪我の具合はどうですか?」
「だいぶ治ってきた感じ。」

起き上がり、師匠はボサッとした髪を掻く。

「なんなら見る?傷口。」
「いえ、それは…」
「脱ぐよ?奥の部屋で二人きりなら。」
「……。」

…またこの人はサラッと。

「師匠。」
「なに、行く?」
「行きません。」

私は溜め息を吐きながら縁側にお重を置いた。

「これどうぞ。お妙さんから卵焼きの差し入れです。」
「……え?」

伸ばしかけた師匠の手が止まる。

「どうしました?」
「おま…、っ、」

突然、勢いよく立ち上がると、お重を強く指さした。

「なんでそんなもん持って来たんだよ!」
「な、なんでって…」
「危ねェだろ!?せっかく治った傷も開くわ!つか死ぬ!」
「それは師匠が興奮するせいだと思いますけど…。」

何をそこまで必死に…。
というか『危ない』って、私、ちゃんと中身を言ったよね?

「あの、これはただの卵焼きで――」
「銀さーん?騒がしいですけど何かありま…あっ。」

奥から新八君が顔を出す。
見たところ、彼の怪我も良くなっているようだ。

「紅涙さん、いらしてたんですか!」
「こんにちは。神楽ちゃんは?」
「今ちょっと出てます。」
「新八、差し入れ貰ったぞ。」

師匠が顔をひきつらせて、お重を差し出す。

「うわ〜!ありがとうございます!中身は何ですか?」
「卵焼きだってよ。」
「えっ…、た、卵焼き?…誰のですか。」
「お前の姉貴。」
「あ…姉上、の……。」

喜んでいた表情が固まる。
ほとんど師匠の時と同じだ。

「え、えーっと…、あの、美味しかったと伝えてください。」
「?うん、…わかった。」
「では向こうで処分…ッゲフンゲフン、置いてきますね。」

新八君はハハハと笑いながらお重を持って立ち去った。
私はその背中に首を捻る。

「一体何なんですか?師匠といい新八君といい…。」
「お前らの朝飯って誰が作ってんの?」
「ハジちゃんですよ。下準備はお妙さんで、私は買い物係。…それと何か関係が?」
「いや、納得。だから平和に生きてんだな。」

腕組みした師匠は数回頷き、「ところでよ、」と私を見た。

「土方とは会ってんのか?」

なっ…

「ど、どうして急にそんな話になるんですか…。」
「会ってんのかなーと思っててな。」

……、

「会ってませんよ、一度も。」
「一度も?なんで。」
「教えてくれなかったんです。どこを拠点にしてるのか。」
「ふーん…。」

興味があるのか、ないのか。
よく分からない返事をして、師匠は再び縁側に寝転んだ。

「それならそれで、お前は捜し回るかと思ってたけど。」
「…さすがにそこまでしません。調べる過程で、幕府に目をつけられるかもしれませんし。」
「だな。エラいエラい。」

横になったまま、うんと伸びをする。

「じゃあ理性に勝利した紅涙へ、俺からプレゼントをやろう。」
「プレゼント?」
「ここからの帰り道、定食屋の二本裏通りを歩いてみろ。」
「!」

それって…、

「今の時間なら、お前の欲しいもんが見つかるかもな。」
「っ、それって土方さ――」
「ブー。質問を受け付けるとは言ってませーん。」

師匠はゴロンと寝返りを打ち、私に背を向けた。

「テメェの目で確認してこい。一度くらい会っても、罰は当たらねェよ。」

っ…!

「ありがとうございます!」

深く頭を下げる。
師匠は背中を向けたまま、『さっさと行け』と手を払った。


裏口を出て、
人の行き交う通りを歩き、定食屋を目指す。

本当は走りたいくらいだった。
けれどそれを抑え、私はゆったりと歩き、二本裏通りに入る。

するとそこには、

「…?」

誰もいない。
場所が違うのかな。
裏通りとは言っても、通りのどの辺かは聞いてないし…。

「どうしよう…、」

ここで待つか、
少し歩いて移動してみるか。
不思議と、通りすぎた後だとは思わなかった。

「待ってようかな。」

民家の塀に背を預ける。
後ろで帯の潰れる感覚がして、着物姿だったことを思い出した。

「…ふふ、なかなか抜けないな。」

土方さんが絡むと、自分は隊服を着ているものだと錯覚してしまう。

たった半年の隊士生活でも、
あの場所が、しっかりと私の中に根付いている証拠だ。

「色々あったもんね…。」

楽しいことも苦しいことも。
嫌なことも、怖いことも。

敷地内であった殺人は、さすがに恐ろしく思ったけど。

「あれって結局誰が犯人――」
「早雨?」
「!!」

掛けられた声に、急いで顔を上げる。
視線の先には、師匠が言った通り、私の欲しいものがあった。

「…お久しぶりです、土方さん。」

胸の奥から、言葉にならない気持ちが込み上げる。

泣きたくなるような、
抱きついてしまいたいような。
何より会うと、思っていたよりも久しく感じた。

「お前…、どうしてここに?」

土方さんは私を見て目を丸くする。

「師匠が教えてくれました。」
「…ったく、アイツは。」

舌打ちする姿に顔を振る。

「師匠は悪くないです。…来てしまって、ごめんなさい。」
「…、…いや、俺もそろそろだと思ってたから。」

そろそろ?

「どういう意味ですか?」
「こっちの話。」

ふうと息をつき、土方さんは弱く笑った。

「せっかくだし、少し話して行くか。」
「!」

正直、すぐにでも追い返されると思っていたから、

「はい!」

私は嬉しさを隠さず、二つ返事で頷いた。

「いいところがある」と言われ、ひとまず二人で移動する。
案内された場所は、すぐ裏の定食屋だった。

「いらっしゃい。あら、土方さんかい。」

入るなり、既に顔見知りらしき女将さんが手を拭きながら出てくる。

「ちょっとコイツと話してェんだ。場所を貸してくれねェか?」
「構やしないよ。使っておくれ。」
「悪いな。」

カウンターに座る。
女将さんは入り口ののれんをしまった。

「今日のお連れさんは可愛らしい人だねぇ。」
「そういうのいいから。」

土方さんが小さく笑ってあしらうと、女将さんもクスッと笑う。

「それじゃあ中にいるから、何かあれば呼んどくれ。」
「ああ。世話になる。」

ボトルに入った水を置き、女将さんは奥の方へと入っていった。

「ここにはよく来るんですか?」
「まァな。馴染みの場所で、戻ってきてからも何度か使ってる。」
“そういう意味でも、何の心配もない場所だ”

土方さんは手慣れた様子でカウンターに並べられたグラスを取った。
水を注ぎ、1つを私に差し出すと、今度は重ね置かれていた灰皿を手にする。

「知りませんでした…、」

こんな状況下でも贔屓にする店があったなんて。
小銭形さんの家からそう遠くない場所に、土方さんが出入りしていたなんて。

「案外、近くにいたんですね。」
「そりゃそうだろ。同じ江戸にいるんだから。」
「…そうですよね。」

同じ街のはずが、随分と遠くに感じていた。
ほんと…おかしな話だ。

「元気そうで安心した。」
「えっ、あ、はい。土方さんも、怪我がだいぶ良くなってるみたいで…安心しました。」
「まァ俺は近藤さん程じゃなかったからな。」

煙草に火をつけ、細く煙を吐く。

「あの時は酷いもんだったが、ようやく傷口も落ち着いて元気にしてるよ。」
「そうでしたか。他の隊士も?」
「ああ。毎日竹刀振って、力を持て余してる。」
「ふふっ、なんだか想像つきますね。」

どこかの屯所に似た場所で、
きっと和気あいあいと、みんな変わらず過ごしているんだろう。

どこかの…私には分からない場所で。

「…あの、土方さん。」
「ん?」

グラスに目を落とす。

「その…、…今は何をしてるかとか、どこにいるかとか…聞いてもいいですか?」
「聞くにはいいが、答えねェぞ。」
「ですよね…。」

再びグラスに目を落とす。
ここで「どうして?」と聞いても、
おそらく「お前が気にするから」と、以前と同じような答えが返って来るんだろう。

だったら、…聞かない。

「……。」
「……、」

急激に室内が静まり返る。
土方さんの、煙草を吸う息遣いしかない。

「…、…。」

気まずくなって、水をひと口飲んだ。
何か会話をと探し、あの事件を思い出す。

「前に…、屯所の蔵で殺された隊士、いましたよね。」
「ああ、金で雇われてた隊士か。」

そ、そう言われると…

「…すみません。」
「いや、お前は……、……まァいい。」

言葉が続かなかったのか、煙草を灰皿に揉み消す。

「で?そいつがどうしたんだ。」
「結局、犯人は誰だったのかなと思って…。」
「信女。」
「…え?」
「佐々木の下にいただろ。あの女だ。」

あ、あの女って…、

「本当に…?」
「ああ。本人から謝罪も受けてる。」
「!」

土方さんの話では、
やはり佐々木局長の依頼を受けて入隊した彼が、
私欲に走り、本来の目的が変わりつつあったため、口封じされたらしい。

殺される日の直前、
女中に変装した信女さんが蔵へ呼び出して実行したそうだ。
そしてその謝罪を、こちらに戻ってきてから受けたと。

「…今はどうされてるんですか?」
「別の場所で一時的に坂田が匿ってる。」
「えっ、師匠が?」

そんなこと、全然言わなかったな…。

「まァ大体はチャイナ娘が面倒みてるらしいがな。」
「そうだったんですか…。」

だからさっき、神楽ちゃんがいなかったのかな。

「そう言えばお前、佐々木からの報酬はどうした?」
「まだ持ってますよ。どうすればいいか分からなくて…。」
「…なら、坂田に預けるのはどうだ。」
「師匠に?」

読めない提案に首を傾げる。
土方さんは水の入ったグラスを持ち、「お前さえ良ければ、」と言った。

「お前さえ良ければ、その金で…、…佐々木家の墓でもと思ってな。」
“場所はそのままでいいとして、墓石くらいもっと立派なもんに”

今現在、佐々木異三郎の名を刻んだ墓に、彼のお骨は入っていない。
黒縄島から回収できていないためだ。
けれどせめて、あの世では安らかな幸せをと、
遺品を燃やし、彼の妻と子の眠るお墓に納めたと師匠から聞いている。

「俺達が造るのは、なんか違うだろ?だからアイツに頼んで、信女辺りが造ればいいんじゃないかと思って。」
「…そうですね。そうします。」

報酬を受け取ったあの時、
傍に置いておきたくないほど汚れたお金に感じていた。
でも全てが終わった今となっては、

「返したかったな…、ちゃんと。」

本人に会い、返したかったと思う。

「早雨…。」
「やっぱり、依頼者とはもっと話さなきゃダメですね。」

話してみたかった。
彼を知りたかった。
それはもう…二度と叶わないことだけど。

「いなくなって寂しく感じるのは、…都合のいい感情なんでしょうか。」

冷たくなった指先を握る。
その手に、土方さんの手が重なった。


「俺も、……、…寂しいよ。」


前を見たまま、ぽつりと零す。

「土方さん…、」

その声は、どんな言葉よりも重く聞こえ、

「こんな風に思ったのは…久しぶりだ。」

その気持ちを向けられていないはずの私まで、悲しくなった。


- 42 -

*前次#