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意味
一度重ねた手は、すぐに離れなかった。
指を絡ませたり、開いて比べてみたり、
「お前の手、こんな小さかったんだな。」
「土方さんが大きいんですよ。」
ありきたりな会話をして、くすぐったい空気になる。
はじめは定食屋の女将さんが奥で聞いてるんじゃないかと気にしていたけど、
「髪、少し伸びたんじゃないか?」
「もうっ、そんなすぐには伸びません。全然私のこと見てなかったんですね。」
「んなことねェよ。見てた見てた。」
「適当!」
恥ずかしさなんて、時間と共に頭の隅へ追いやられた。
久しぶりの温もり。
久しぶりに感じる幸せ。
しかしそれも、
当然ながら、定食屋を出ると話は別だ。
まるで夢から醒めるように、綺麗さっぱりと終わる。
「じゃあ、ここで。」
「…はい。」
店の前で交わされる手短な挨拶。
人目があるので長居はできない。
…だと分かっていても、
「……。」
なかなか動けないのが、私。
「…どうした。」
「…、……。」
もう少し話しませんか。
もう少しだけ、一緒にいられませんか。
喉の奥で、伝えたい言葉が詰まる。
でもそれを口に出来るほど、
「……、いえ。何でもないです。」
バカにはなれないのも私。
次はいつ会えるんだろう…。
土方さんを見ながら、遠く思う。
すると、
ぼんやりした視界から、突然土方さんが消えた。
瞬く間もなく、ドンッと身体全体に衝撃が伝わる。
そして身体に巻き付けられたのは、甘い締め付けだった。
「…予定が狂ったじゃねーか。」
土方さんの声が、耳元で聞こえる。
ああ…私、抱き締められてるんだ。
…、
……え!?
「ひっ土方さん!?」
こんな大胆なことは危険すぎる…!
いくら通行量の少ない場所でも、注目が集まりやすくなるのは絶対だ。
実際、行き交う人と時折目が合ってるし…っ、
「ダメですよ、これはさすがに!!」
「お前のボリュームの方がダメだろ。」
「っ!?…で、でもそれよりもっ!」
小声で出来る限り叫ぶ。
土方さんは吐息で笑った後、静かに身を離した。
「これで足がついたら、早雨の責任だな。」
「っなんで!?」
100%土方さんのせいだと思いますけど!?
「そもそもお前が段取りを台無しにしたせいだろ。」
「段取り?何のですか。」
「去り際。」
去り際…?
「後ろから抱き締めて別れる予定だったんだよ、俺は。」
「!」
い、今…なんて……?
土方さんは涼しい顔をして煙草を取り出す。
照れた素振りは欠片もなく、咥える煙草に火をつけた。
「…えっと、」
たぶん私の聞き間違いだな。
…と思ったけど、土方さんは肩をすくめて「考えてたのによ」と言う。
…考えてたんだ。
「そんなこと言われても…、…知りませんでしたし。」
たかが去り際を考えてた…ねぇ。
なんかすごく意外だけど、
会えた時を楽しみにしてたのは、私だけじゃなかったってことかな…?
「ふふっ、」
「なに笑ってんだよ。」
「すみません、ギャップ萌えしちゃいました。」
「はァ?…ったく、バカなこと言ってる暇があるなら、俺の段取りを感じ取れ。普通、空気で分かるだろ。」
「なっ、無茶言わないでくださいよ!あそこまで薄い空気を感じ取れるのは忍者くらいですから!」
「ボリューム。」
「あっ!す…すみません。」
「…くく、」
喉を鳴らし、土方さんが目を伏せる。
「ま、こっちの方が俺達らしいか。」
煙草を右手に持ち、
「早雨、」
左手を私の頭にポンと置いた。
「元気でな。」
「……、」
別れの言葉は、どんな状況でも切ない。
でも、また会うための始まりでもあるから、
「…はい、土方さんも。」
笑顔で、さよならできる。
「じゃあな。」
土方さんも口元に笑みを乗せた。
颯爽と立ち去る姿は、次第に人混みと混じりゆく。
私も名残り惜しい気持ちを捨て、背を向け、歩き出した。
「……、」
寂しさはある。
たくさん、胸の中に。
けれど踏み出す足の軽さは、ここへ来る前とはまるで違った。
「…今度師匠に会ったらお礼しよう。」
欲しいものをくれたお礼。
やっぱり甘味かな?
それとも聞いてからの方がいいのかな。
「はぁ…、なんだかこれからは良い事がありそうな気がする。」
思考はすっかり前向きに。
代わり映えのない街並みにすら、色が溢れて見えた。
そんな私の生活に変化が起きるのは、それから二日と経たない頃。
しとしとと、雨の降る朝だった。
「小銭形さんの家を出ようと思うの。」
唐突に、お妙さんが志村邸へ帰ると言った。
…いや、たぶん考え抜いた結果だろう。
小銭形さんの怪我もかなり回復したし、幕府に動きもないからと話す。
「新ちゃんも寂しがってるだろうし、そろそろ自分の仕事に戻るわ。」
「…戻れば身の危険が高まります。それを承知で、ですか?」
「ええ。ただここにいても、何かが変わるわけじゃないから。」
お妙さんが、やんわりと微笑む。
「紅涙さんはどうする?」
「私は…」
元はと言うと、ここに留まる理由はお妙さんの護衛だ。
私自身に身を隠す必要はあっても、帰ろうと思えばいつでも家へ帰れることが出来た。
なにせ私は真選組時代に名を馳せていたわけでもなく、
師匠のような売れっこ万事屋というわけでもない。
そんな存在を、幕府が重要人物として捜すだろうか。
今の組織なら尚更。
…ならば、
「私もここを出ます。」
私にも、ここへ留まる意味はない。
「わかったわ。なら一緒に行きましょうか。」
「いつにします?」
「今日の午後にでも出ようと思ってるの。」
「わかりましーーっえ!?」
今日!?
「随分と急ですね…。」
「何事も思い立ったが吉日よ。」
悩む様子はなく、やはり以前から計画していたことを窺わせる。
「小銭形さん達にはもう伝えてあるんですか?」
「それがまだ…。」
「えっ」
「紅涙さんに言ってからにしようと思ってたの。」
「そうでしたか。…それなら、出る直前に伝えましょう。」
“その方が、長引かずに済むかもしれません”
お世話になった人達に対して最低な去り方だけど、
どうせ報告が直近になるなら、湿っぽい空気を一瞬で終わらせる方がいい。
「驚くでしょうね、二人とも。」
「そうね。とても良くしてもらったから…いつか、恩返ししないと。」
そしてその日の午後、
お妙さんと私は、本当に小銭形さんの家を出た。
引き留められはしたが、二人は最終的に気持ちを汲んでくれて。
「お世話になりました。」
傘を差し、
決して多くはない荷物を片手に、雨空の下を歩く。
ひとまず一度、私も志村邸へ向かうことにした。
「…紅涙さん、」
「はい?」
お妙さんが足を止める。
「私、少し用事があるから、先に行ってもらっていいかしら。」
「用事…ですか?」
「ええ。」
やわらかな笑みで頷く。
けれどそれ以上を話さない。
つまりは、秘密にしたい用事。
「…わかりました。」
お妙さんにも色々あるのだろう。
私は「くれぐれも気をつけて」とだけ告げ、先に志村邸へ向かうことにした。
「さてと。」
私自身は今日からどうしようか。
自宅に戻るか、師匠達と一緒に過ごすか。
…それとも、
「土方さんに…、…。」
土方さんに…話してみる?
小銭形さんの家を出たって。
もしかしたら、皆の居る場所へ招いてくれるかもしれない。
また屯所のような暮らしの中で、
これからを、土方さんと共に…。
そういう期待も含め、話してみようか。
「相談くらいなら…いいよね。」
明日また定食屋の辺りを歩けば会えるかもしれないし……
「紅涙。」
「!」
声に振り返る。
そこには、
「…師匠、」
「こんなとこで何やってんだ?」
気だるげに傘をさす師匠が立っていた。
「師匠こそ、こんなところで何を?」
「俺の質問が先。」
「…私は志村邸へ向かう途中ですよ。」
「俺の見舞いか?」
「いえ、さっき小銭形さんの家を出てきたんです。お妙さんに便乗して。」
「はァァ!?」
声を挙げ、「おいおい」と顔を引きつらせる。
「なんの相談もナシにいきなりかよ。」
「すみません。今日じゃないとっていう固い意思を感じまして…。」
「ふーん…。…で?その首謀者は。」
「用があるそうで別れました。先に私が志村邸へ向かうことに…、あ。」
ふと、思い出す。
「そうだ、ちょうど良かった。」
「何?」
「この前はありがとうございました。ちゃんと、土方さんに会えました。」
頭を下げる。
師匠は「よかったな」と言った。
「それでですね、」
私は手荷物を探り、分厚い封筒を取り出す。
「これ、前に佐々木異三郎から貰った報酬なんですけど…」
「おう。あの時のか。」
「全額、師匠で使ってくれませんか?」
「えっマジ!?やっ――」
「すみません、今のは私の言い方が悪いです。」
あからさま喜ぼうとした様子に訂正を入れる。
「この全額を使って、師匠か信女さんの手で佐々木家のお墓を建ててもらえませんか?」
「は?信女はまだしも、なんで俺が。」
「立場上、中立の人がいいだろうって。私も一応、真選組側でしたから。」
「……一応、ね。」
師匠は溜め息を吐き、
「わァったよ。アイツに話しとく。」
あっさり封筒を受け取ってくれた。
…意外だ。
「にしてもあの野郎、頼みすぎだな。」
「あの野郎って、土方さんですか?」
「そ。あー、こんなことなら借りを帳消しすんじゃなかったー。」
「?」
何かあったのかな?
…というより、
「師匠と土方さんは頻繁に会ってるんですか?」
居場所も知ってたし、
よく頼み事もされてるみたいだけど。
「会ってねェよ、…つーのは違うな。さっき会った。」
「さっき?」
「……、…紅涙。」
急に真剣な目つきで私を見る。
思わず背筋が伸びた。
「は、はい。」
「これ、お前に。」
薄い茶封筒を差し出す。
「預かってきた。」
誰からとは言わないが、話の流れを考えると土方さんだろう。
私は差出人の名前のない封筒を開けた。
中を覗くと、折りたたまれた一枚の紙が入っている。
「手紙?」
「見れば分かるだろ。」
「そうですけど…」
どうしてそんなものを?
文通したくなったのかな。
…まさかね。なら、近況報告?
手紙なら教えてもいいと思った、みたいな。
……それとも、
「見ないのか?」
「…、……見ます。」
心臓がドクドクと音を立てる。
私は封筒から、ゆっくりと紙を引き出した。
嫌な予感しかしない。
こういうのは、大抵当たる。
…けれど、
「え、」
中に入っていた紙を見て、私は目を丸くした。
「…解雇通知?」
真選組の解雇通知だ。
土方さんの署名が入っていて、日付は今日付けになっている。
「なん…ですか?これ。」
「知るか。俺に聞くなよ。」
解雇って…、…変じゃない?
「私、もう隊士じゃないんですけど…。」
なんでも屋ですよ?
だから私と契約したじゃないですか。
「隊士をしてた頃のって意味ですかね…?」
「知らねェって。納得いかないなら本人に聞いてこいよ。」
「うーん…、」
「今ならいるぞ。」
…?
「志村邸にいるんですか?」
「そうじゃなくて。」
師匠はガシガシと頭を掻き、「今ならってのは」と私を見た。
「今はまだ、江戸にいるって意味だ。」
…え?
「どういう…意味ですか?」
師匠の言い方がよく分からない。
だって土方さんが江戸にいるのは当たり前だ。
みんなで一緒に帰ってきたんだから。
今に限らず、
明日も明後日も、この先もずっと…
「…真選組はな、」
ずっと、ここにいる…
「夕刻、江戸を発つんだよ。」
…はずなのに。
「なに、…それ。」
「だから今のうちに聞いておかねェと、聞けなくなるぞ。」
「……そんな嘘…、つかないでくださいよ。」
「嘘じゃねェ。」
懐を探り、師匠が何かを取り出す。
「悔いが残らねェよう、お前の気持ち…全部ぶつけてこい。」
“これ、潜伏先の地図だから”
ぼう然とする私に紙を握らせた。
「お前らが会った定食屋の裏通り、覚えてるな?その先だ。」
霞がかった頭で、かろうじて頷く。
それを見た師匠も頷き、
「よし、行け。」
私の背中を押した。
…わからない。
呑み込めない。
でも、
それでも…、
何も理解できなくても、私は傘を捨て、駆け出していた。
「っ、土方さん…っ、」
本能的な焦りと、どうしようもない悲しみと共に。
「…悪ィな、土方。」
駆けていく紅涙の背を見つめ、銀時が呟く。
「お前には、ああ言われたが…、」
小雨になりつつある空を見上げ、
「やっぱ俺、惚れた女の味方するわ。」
一人、静かに笑った。
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