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身辺整理1


「お前達には、江戸を出てもらうことになるかもしれねェ。」

とっつぁんからその話を聞いたのは、黒縄島を帰還してすぐのことだった。

あの日、
幕府を敵に回した俺達は、各自、身を潜めることになっていた。
が、帰る場所のない者や帰れない者など、
散ることで余計に目立つ可能性が出てきて、
結局、真選組は寺を潜伏拠点として留まることになる。

今後はどう動いていくべきか。
歩む道を皆で考え、数日をやり過ごす。

そんな時、
とっつぁんが自身の拠点としている屋敷へ俺を呼びつけた。

「真選組には、これからも倒幕の光となってもらいてェと思ってる。」

数人の男を従え、そう口にする。
男達は、政権が善々へと代わった頃に見限って出てきた奴ららしい。

「どうだ、トシ。力を貸してくれるか。」

今さらな話だ。
その問いに、俺は小さく笑って首を振った。

「倒幕の光なんてやめてくれ。それに、真選組のことを決めるのは近藤さんだろ。」

当然、とっつぁんは分かっている。
おそらく近藤さんがどう応えるかも分かっているはずだ。
だから俺は、「だがまァ…」と続け、

「腐った幕府を立て直すためなら、何でもやるって言うだろうよ。」

その話を拒まず、真選組へ持ち帰った。
予想通り、近藤さんはとっつぁんの申し出を了承する。
派手な顔の傷もあって、今後の話を詰めるのは俺の役目となった。

何度か屋敷へ出向き、
新たに加わる者がいれば顔を合わせて。
日に日に人は増え、着実に頼もしい組織へと膨れていく反幕府勢力。

「よくこれだけの人を集めたな。」
“さすが、松平の名は伊達じゃねェか”

名簿を見ながら、名の多さに圧倒される。
とっつぁんは鼻で笑い、「違ェな」と言った。

「俺が集めたんじゃねェ。コイツらはみんな、茂々公の志のもとに集まってんだ。」
“それを代わりにまとめてるだけに過ぎねェよ”

…まったく、
いちいちカッコイイことを言いやがるジジィだな。

「だがなトシ、ここにいる奴らだけじゃダメなんだ。」
「まだ足りねェのか?」
「国が一つになって、喜々に印籠を突き付けてやらねェと意味がねェって意味だ。」

まァ…そりゃそうか。
賛同する奴らが多いに越したことはない。

「…そこで、だ。」

とっつぁんは俺を見て、少し深く息を吸う。

「お前らに、江戸の外を頼みてェと思ってる。」
「江戸の外?」
「ああ。既にこの街で真選組は反幕府の旗印となった。それを、他の街にも立ててくれねェか。」

…そりゃつまり、

「江戸を…、…出ろってことか。」
「…そうだ。」
「……。」

いつか、こうなる気はしていた。
ずっと身を潜めるわけにはいかないし、動くには時期尚早。

ならばその期間、真選組は何もしないのか。
選択肢は…決して多くない。

「…、…わかった。」

断る理由なんてないだろ。
嫌だとも思わない。
俺達に出来ることがあるなら、やると決めてたんだ。

江戸にしがみつくことはない。

「…だが、とっつぁん。最終的な判断は近藤さん次第だぞ。それでも構わねェのか?」
「助かる。…すまねェな。」


話を持ち帰り、俺はすぐ近藤さんに伝えた。
近藤さんは二つ返事で頷く。
「わかった」と。

隊士達にも言った。
嫌なら残れと選択肢を増やしたが、誰も残るとは言わなかった。

皆が皆、分かっていたんだ。
俺や近藤さん、
総悟や隊士の奴らだけじゃなく、
あの島でともに戦い、帰還した奴らはみんな…こうなることを覚悟していた。

ただ一人、アイツを除いては。


「早雨?」


紅涙と会ったのは、とっつぁんに返事をした帰りだ。

「お前…、どうしてここに?」
「師匠が教えてくれました。」

幕府の動向を共有するため、坂田や桂には潜伏先を教えていたが…

あの野郎…、あっさり教えやがって。

「…ったく、アイツは。」

会いたい気持ちを我慢してる身にもなれよ。
ここまで上手く隠してきた色んなこと、
ボロが出て知られちまうかもしれねェじゃねーか。

「師匠は悪くないです。…来てしまって、ごめんなさい。」

…だが会ってみると、思っていた以上に嬉しいもんだ。
不思議と心が潤うように思う。
なんとも女々しく、情けない話ではあるが。

…丁度いい、
この機会を紅涙との最後にしよう。

「…、…いや、俺もそろそろだと思ってたから。」

おそらく1週間と経たないうちに、俺達は江戸を発つことになる。
もう会うことはないだろうから…

「せっかくだし、少し話していくか。」

今日はもう少し、一緒にいようか。


俺は紅涙を行きつけの定食屋に誘う。
二人でカウンターに座り、近況を報告した。
といっても、当たり障りのない薄い話だ。

「…あの、土方さん。」
「ん?」

紅涙は手にしたグラスを見つめ、ためらいながら口を開く。

「その…、…今は何をしてるかとか…聞いてもいいですか?」
「聞くにはいいが、答えねェぞ。」
「ですよね…。」

再びグラスに目を落とす。
その横顔に、心の中で謝った。

教えられない。
今まで隠してきた意味がなくなる。
これはお前を護るため。
この動乱に、これ以上巻き込まないため。

だからここで…
今ここで、別れをお前に言わないと。

「……、…、」

くそっ、言えねェ。なんて言やいいんだ。
いや、なんでもいいのか。
別れることさえ伝われば。

…やっぱ泣くだろうな。それとも怒るのか?
せっかく会えて喜んでるのに、
ぶち壊しちまうようなことを言ったら……

お前はどうなる?

「……。」
「……、」

煙を吸っては吐き出した。
あっという間にフィルターは燃え、半分ほどに短くなる。

どう言やいい?
結局、うまい言葉は見つからず、

「前に…、屯所の蔵で殺された隊士、いましたよね。」

話題は、別のものへと変わった。

その後は他愛ない話をした。
本当に取るに足らない話で、大して頭に残っていない。
だがそれは、他に濃く記憶していたものがあったせいかもしれない。

紅涙と触れ合う手がひどく温かく感じたこと、
紅涙の声が耳に心地よかったこと、
紅涙が笑うと、胸に言いようのない何かが広がること。

これが最後。
これで会うのは、最後。

想う度、特別な時間に感じた。

…そうだ、
この去り際で別れを言うのはどうだろう。
紅涙が去る時、その背中を抱き締め、さよならを告げる。

そうすれば、ごまかせるんじゃないか?
紅涙も俺も、
また会う日を期待して、前を向いて歩いて行ける気がする。

よし、これでいこう。

…が、
紅涙はなかなか立ち去らず、予定は見事に崩れた。

「……。」

うつむいて、動かない。

「…どうした。」
「…、……。」

何か言いたそうな様子は伝わる。
だが紅涙は首を振った。

「……、いえ。何でもないです。」

…健気なヤツ。
もうなんでもいい。
俺は抱き締めたいままに抱き締めた。

腕の中で紅涙が笑う。
楽しそうで、幸せそうだった。

「ま、こっちの方が俺達らしいか。」

思えばこの半年、お前のことをよく見ていた気がするよ。

「早雨、」

楽しかった。
俺も、幸せだった。

「じゃあな。」

背を向ける。
歩き出し、吸いかけになっていた煙草を咥えた。

これが、江戸を発つ俺にとって初めての別れ。
思っていた形とは違ったが、

「…さよならだけが、別れの言葉じゃないよな。」

間違いなく、区切りとなった。


それから潜伏先へ戻ると、出発日が決まっていて。
俺は「そうか」とだけ返事して、紅涙の解雇通知を作成した。

アイツとはもう会わないし、
俺達が江戸を発つことも知り得ないはずだが、万が一に備えておく。

「こういう時のために契約したようなもんだ。」

なんでも屋として交わした契約書も取り出した。
この二つは、俺の切り札。
できれば紅涙の前で使いたくない切り札だ。

使う時は、必ず別れをやり直すことになるから。

「こっちの封筒だけは、どうにかして渡さなきゃならねェが…、」

坂田にでも頼むか。
出発日以降に渡してくれる奴なら誰でもいい。

俺は解雇通知を入れた封筒と一緒に、契約書を懐へしまった。
いつ、どんな時でも渡せるように。


桂から連絡があったのはその後だ。
ちょうど俺達が江戸を発つ日…、

つまりは、今日の朝。

「江戸から出奔しろ?」

とっつぁんと示し合わせたかのように、桂までもが"江戸を出ろ"と言いに来た。
だが違うのは、その言い方。

「お前達は護るべきものを護り、江戸に柱を築いた。それを倒さぬためにも、しばらくの間は身を引け。」
「真選組に江戸を捨てろってのか。」

…引っかかる。
俺達が出ていくことは決まっていたが、お役御免と聞こえて。

「事成さずして死ぬるが本当に江戸を見捨てる事だ、土方。」

桂が話すことは、どれも断言に近い。
正論なせいか、聞く隊士からも不満は挙がらなかった。

「この国を本当に想えばこそ、今はこの国から離れ、生き残る事を考えねばならぬ。」

まァ…意味合いは同じか。
俺は桂に、「わかってる」と応えた。

「そのつもりだった。」
「なに?」
「とっつぁんから話があったんだ。江戸を出て、同志を増やしてくれって。」
“だから今日の夕刻に出発する予定”

桂は目を丸くした。

「本気か?」
「ああ。皆も準備を済ませてある。」
「…そうか。寂しくなるな。」

…ふっ、よく言うぜ。

「さっき江戸を出ろって言ったのお前だろ?」
「言葉と感情が比例するとは限らん。」
「そうかよ。」

小さく笑う。
桂もフッと笑って、

「行ってこい。それまで江戸は我らが預かろう。」

力強く頷き、帰って行った。


その桂が去った後、
雨音が聞こえて外を見ると、どしゃ降りの雨模様だった。

「出発の日だってのに…。」

夕方には晴れるらしいが、これはさすがに結野アナの天気予報も外れそうだ。

そんな雨の中、

「…?」

敷地の入口に、座り込んでいる奴がいた。
傘こそ差しているが、
門の下へと続く石段に、こちらへ背を向け腰を掛けている。

男か…?

その傘が動く。
ゆっくりと振り返ったそいつは…

「……。」
「お前…」

坂田だった。

「待ってたぜ。」
「…濡れてねェのかよ、そのケツ。」
「うるせェ、言うな。ビチョビチョだ。」
「だろうな。」

このタイミングで、ここにいるたァ…、
ほんと、あなどれねェ耳をしてやがる。

「何か用か?とりあえず中にでも入っ……」
「外にしようぜ。」
「…、…わかった。」

なぜ来たのかは知らないが都合はいい。
コイツにも、今日中に別れを言うつもりだった。
認めたくないが…いや、
もう認めざるを得ないほど、世話になった一人だから。

「行くか。」


俺達は、あの定食屋へ向かう。
のれんをくぐり、「邪魔するぞ」と声を掛けた。

「いらっしゃい。…あらまぁ、これはまた珍しいお二人で。」

女将が「食べるのかい?」と聞く。
俺と坂田はカウンターの椅子を引きながら、

「「いつもので。」」

同じ言葉で、違うメニューを注文した。


「てめェはどうするつもりなんだ。」

煙草に火をつけ、坂田を見る。
黒縄島での奪還戦において、コイツら万事屋の立場は言わば中立だ。
敵対する相手がいたわけでもなく、根から反幕府を掲げて戦っていたわけでもない。

だが、
あの場でこちら側にいた事実は、生きて帰って来た者の眼にしっかりと焼き付いている。

「俺達に手ェ貸したからには、てめェももう江戸にはいられまいよ。」
「てめェらに続いて万事屋までいなくなったら、江戸の連中がさびしがるだろ。なァおばちゃん。」

ひょうひょうと話し、グラスを揺らす。
入っているのは水だ。
俺はこの後に出発を控えているが、コイツには何もない。

なのに、水。
飲めるのに、飲んでない。
…ふっ、変なヤツ。変で…律儀なヤツだ。

なんだかんだあったが、
まさかお前にここまでデカイ借りを作ることになるとは思わなかったよ。

「あそこにいい酒をとってある。」

俺はカウンターの戸棚を見ながら、「飲んでいい」と言った。

「高い酒だ、一杯ずつやれ。全部飲みきった頃に…」

煙草に口をつけ、煙を吐く。

「帰ってくる。残りの借りは、そん時払う。」
「……。」

坂田はグラスに目を落とし、

「酒はいただくが、てめェに何かを貸した覚えはねェよ。」

そう言った。
…何言ってんだか。

「貸したさ。」

お前の力があったから、俺達は変わらずにいられた。
俺達のままで貫き、今をこうして生きていられるんだ。

「てめェのポンコツ頭は忘れても、俺ァ覚えてる。」

どう返していけばいいか、まだ検討もつかないくらいだが…

「俺ァ忘れねェ。」

忘れたりなんか、しねェよ。

坂田は小さく笑い、「だとしても」と話す。

「だとしても、そんなもんとっくに返してもらった。」

返した…?

「忘れものを取り戻させてもらったのは、俺だ。」

坂田…、……。
…ああ、そうだったな。
お前は、そういう男だ。

もしお前が真選組にいたら、
俺は副長なんて地位にいられなかったかもしれねェな。

ほんとに…、…大した男だよ。

「ハイ、お待たせ。いつもの奴。宇治銀時丼に土方スペシャル。」

女将が丼鉢を俺達の前に置く。
坂田の前には小豆あんをのせた、見るも甘い丼ぶりを。
俺の前にはマヨネーズを大量にかけた、至高の丼ぶりを。

「「………。」」
「アレ、どうしたんだい。二人とも食べないのかい。」

不思議そうな様子の女将の前で、俺達は丼鉢に手を伸ばし、

「いや、悪いなおばちゃん。今日は…」
「「逆なんだ。」」

互いの飯を取り替えた。
掻き込むように勢いよく食べ、喉に流す。

感想はもちろん、

「「うん、マ゛ス゛イ゛。」」

これに尽きる。

「何やってんだい」と女将が笑い、俺と坂田も笑った。
バカみたいに声を挙げて。

楽しかった。

この瞬間も、
江戸で暮らしたこの数十年も、
なかなか、悪くない生活だった。
…悔いはない。

「それじゃあ下げようかね。」

女将が丼鉢を引き上げる。
洗い場に水が流れ始める頃、

「ところでお前さ、」

坂田が気持ち悪そうに胸元を擦りながら言った。

「今日行くってこと、もちろん紅涙に言ってんだよな?」
「……。」

俺は煙草をふかしながら懐に手を入れた。
指先で、カサりと鳴る。

「…坂田、」
「ん?」
「お前に頼みてェことがある。」

薄い茶封筒を取り出し、

「これを、早雨に渡してくれねェか?」

俺は、坂田に差し出した。


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