45


身辺整理2


「これを、早雨に渡してくれねェか?」

俺の差し出した茶封筒を、坂田は何の気なしに受け取った。

「中は?」
「真選組の解雇通知。」
「はァ?なんでそんなもんを。テメェで渡せよ。」
「俺が江戸を発ってから渡してほしいんだ。」
「…、…おい待て、それってまさか」
「ああ。」

頷き、煙草の灰を落とす。

「早雨とは会わずに行くつもりだ。」
「……マジかよ。」

驚く顔は、まさに信じられないといった様子。

「アイツは納得したのか?」
「しねェだろうな。」
「だろうなってお前…、…言ってもねェのか!?」
「言ってない。江戸を発つことも、今日だということも。」
「……、」

坂田が言葉を失う。
目を伏せ、眉間にシワを寄せた。

「何も知らねェのかよ…アイツ。」
「言えば行きたがるのは目に見えてるからな。」
「そりゃそうだろ。」

溜め息を吐き、うなだれるように銀髪を握る。

「どうすんだよ…。そんなヤツ残されても、さすがの俺も手に負えねェんだけど。」
「今まで通りの付き合いでいい。いずれ時間が解決する。だろ、"師匠"?」
「お前なァ…、…はァァ。」

坂田が溜め息を音にする。

「つかよォ、お前らもう相思相愛なんじゃねーの?行くなら行くで、しっかり筋通して行きゃいいだろうが。」
「言ったところで、アイツが受け止めると思うか?」
「だから言って行かねェってのかよ。」
「そうじゃねェ。ただ…変に期待させたくないんだよ。」

仮に会って話したら、
紅涙が納得しないのは絶対として、『待ってるから』と、言う気がする。

「俺は…アイツを待たせたくない。」

また江戸の地を踏めるかどうかなんて、わからねェのに。

「俺達は戻るつもりでも…どうなるかなんて、わからねェだろ。」
「誰が待たせろなんて言った?」
「?」
「連れて行けっつってんの、俺は。」

…何言ってんだ。

「バカ言うな。」
「バカはお前だ。自分勝手なこと言ってんじゃねェよ。」
「あァ?」

にらみつけ、煙草の火を消す。
坂田は「忘れたのか?」と言った。

「お前、黒縄島へ行く時も紅涙を待たせてんだぞ。」
「あれは…、…。」

…いや、同じか。

「なんだよ。」
「なんでもない。」
「…まァいいけど。俺にすりゃァ、あの時の方がよっぽど戻る保証はなかったと思うがな。」
「……、」

…そうだな。

「あれと比べて今回はどうだ?時間こそ掛かるだろうが、喜々がくたばりゃいつだって戻って来れる。」
“そんな時に連れて行かねェでどうすんだよ”

…お前の言う通りだ。
あの時と比べりゃ命の危険はないし、行くには安全だろう。

だが、違ェんだよ。
俺が紅涙を連れて行かないのは、そんな理由じゃない。

…ああ、
やっぱり根本的な原因は、

「…俺が悪いんだな。」

俺が悪い。
紅涙に好きだと口にした、俺が。

「テメェの気持ちなんて、言わなけりゃよかった。」
「お前…、」

想いなんて伝える必要はなかった。
この結末だって、あの頃から想定していたんだ。

なのにどうして俺は言った?
気持ちを言わなければ、こんなことでお前を悲しませずに済んだのに。

泣かせずに、済んだのに。

「俺は…なんで言っちまったんだろう…。」
「…ンなの決まってんだろ。」

坂田は片肘をつき、手の平にアゴを載せる。
目を細めると、

「好きだから。」

溜め息まじりに言った。

「好きだから、テメェの気持ちを口にしたくなっちまうんだよ。」

その横顔は、どこか遠くを見ている。
まるでいつかを思い出しているかのように。

「…お前にもそんな経験が?」
「あるよ、すげェ最近。」

最近…?

「まさかその相手って…」
「心配なら連れていけ。」
「……。」
「今回は黒縄島の時みたいに"置いていけ"とは言わねェぞ。」

手の平にアゴを載せたまま、坂田が俺を横目で見る。

「アイツを連れて行け。じゃねーと、俺が奪う。」

……、

「…ありきたりだな。」
「まァそう言わずに想像してみろ。お前が行った後、紅涙が泣いてだな、」

…おう。

「『土方さん助けてー!』とか言って、」

……、

「なんで『助けて』なんだよ。」
「いいからそのまま想像しろって。で、俺が『アイツはもういねェんだぞ』つって、」

坂田は自分の身体を抱きしめ、

「泣く紅涙を、俺の寝技で泣きやませてやる。」

そう言い放つ。

「ブッ…!」

思わず、飲もうとしていた水を噴き出した。

「っおまッ、汚ねェだろ!?」
「テメェが悪いんじゃねーかッッ!!」

事のなりゆきがいきなり過ぎるだろ!

「なんてもんを想像させやがんだ!」
「なに、変?そっか、やっぱ泣きやませるって言うか、啼かせるって方が正しいか。」
「そういう問題じゃねーよ!てか、ただちにテメェの脳ミソからその妄想を消しやがれ!!」
「いやいや無理。もう既に第二の俺が反応を示し始めて――」
「斬る!テメェも第二のテメェも、まとめて斬り落としてやるよ!!」

勢いよく立ち上がれば、ガタンッと音を立ててイスが倒れる。
女将に「よそでやっとくれ!」と言われ、俺は謝罪して座り直した。

「…はァ。悪ィ。」
「気にしてねェよ。」
「お前に言ったんじゃねーよ!…ったく。」

坂田は薄い笑みを浮かべ、水を口にする。

わかってるんだ。
こんな奴だが、奪うと言っても奪わない。
お前は義理堅い野郎だ。

けどな、
慰めるような安い機会じゃなく、
ちゃんと互いの気持ちが寄り添って、結果的にそういうことになるなら、

俺は…それでもいいと思ってる。

「そもそもお前は大事なことを忘れてんだよ、ニブ方くん。」
「…なんだよ。」
「俺、まだ紅涙が好きだから。」
「諦めねェ奴だな。」
「すみませーん。こう見えて結構だらしなく引きずるタイプなんで。」
「見たまんまじゃねーか。」

小さく笑う。

コイツなら大丈夫だ。
紅涙を大事にしてくれる。
俺なんかよりも…きっとずっとうまく。

だから…

「…坂田、」
「ん?」
「やっぱ置いてくわ、早雨のこと。」

コイツがいるから、
俺は安心して、紅涙と離れられる。

「お前さ、俺の話聞いてた?」
「聞いた上で言ってんだよ。」
「…気持ちは変わらねェってことか。」
「ああ。」

離れたいわけじゃない。
できることなら一緒にいたい。

けど…けどよ、
どちらが不自由させねェかを考えると、連れて行くわけにはいかねェだろ。

この先どんな生活になるかは分からねェし、どんな苦労があるかも分からないんだ。

そんな世界に、…連れて行けねェよ。

「……そうだな。」

坂田が頷く。

「そういうもんかもしれねェな。」
「なんだよ急に。」
「俺がお前の立場なら、同じように言って行かねェだろうなと思ってよ。」

水の入ったグラスを見つめる。
その時初めて、俺達は似てるのかもしれないと思った。

「…これは逃げだと思うか?」

俺が言わずに江戸を去るのは、
紅涙に引き留められのがツライからか、
泣く紅涙を置いていく状況に耐えられないからか。

「ただ嫌なことから逃げてるだけに…過ぎねェのかな。」
「…違うんじゃね?」

水を飲み干し、俺を見る。

「最後まで好きな女の笑顔を記憶に留めておきてェからだろ。きっと。」

コイツ…、
何を言うのかと思えば。

「クセェな。それに随分と自分勝手な話だ。」
「お前がな。」
「お前もな。」

吐息で笑い合う。
坂田はグラスに水を足さず、俺も新しい煙草に火をつけなかった。

「つかお前、紅涙のこと、まだ早雨って呼んでんのか。」
「…まァな。解雇通知、くれぐれも俺が行った後に頼むぞ。」
「わァってる。」

…紅涙、
泣きはらすくらいなら、せめて俺を憎んでくれ。
何も言わずに消えやがってと。
二度と会いたくない男にしてくれ。

可能ならば、
どうかそれを胸に、生きてくれ。

「アイツ、すんなり受け止めるほど諦めのいい女じゃねェぞ。」
「知ってる。だから既に手は打ってある。」

もしその苛立ちが消えることなく、
いつまでも燃え続けたままでいるようなら、
いつか帰ってきた俺に、想いの全てをぶつけに来てほしい。

…その時は、

「坂田、」
「なんだ。」
「たぶん俺、もうお前より早雨のことを知ってるから。」
「…へっ。言ってろ。」

俺の全てで、紅涙を受けとめるよ。


「…早雨のこと、よろしくな。」


お前が好きだった。
一度も言わずじまいになったが、本当に――

好きだったよ。



定食屋を出て、坂田と別れる。
雨は小降りになっていて、空も少し明るく見えた。

「戻ったら最終確認だな…。」

荷物の最終確認。
といっても、持って行くもんなんて知れてるが。

アイツらにも確かめさせておこう。
忘れているものはないか、
自分の荷物をまとめ、別れはちゃんと済ませたか。

俺はこれでもう…、…済ませた。

「…ん?」

潜伏先に着く頃、雲の隙間に青空が見える。

「なんだ、ほんとに晴れてきやがった。」

口にして、それほど晴れ間が嬉しくない自分に気付いた。
今日は悪天候で飛ばなくてもよかったなと。

そこでようやく分かった。

「…なんだ、嫌なのか。」

俺の中にもあったのか。
江戸を離れたくない、名残惜しい気持ち。

「……今さらだろ。」

置いて行こう。
この街で得たものは、この街に。
喜びも悲しみも、幸せも、愛おしさも。

置いていけば、失うツラさはない。

足を踏み出した。
敷地内へ入ろうとする、その時。


「土方さんっ!」


聞こえた声に、身体の芯が小さく震えた。
記憶を探らなくても知っている。

この声は、

「…早雨、」

俺の、大切な女だ。


- 45 -

*前次#