46
平等
真選組が江戸を発つなんて話、師匠に聞くまで知らなかった。
それが今日の夕刻だなんて、なおさら。
「土方さんっ!」
会ったら、まず怒鳴ってやるつもりだった。
解雇通知の理由を聞くよりも、
何よりも先に、どういうつもりですかって。
私は恋人じゃなかったんですかって、言ってやる。
「……。」
見たことのない敷地へ入ろうとしている土方さんは、私に背を向けたまま足を止めた。
初めて見る場所だ。
門の前に、短い石階段がある。
奥には寺のような建物があるが、名はない。
おそらくここが真選組の潜伏先。
私の知らない、…教えてくれなかった潜伏先。
「…早雨、」
土方さんは振り返らずに私を呼ぶ。
よく知っている背中が、なんだか全然知らない人みたいに思えた。
「…、どうして…、っ、」
声を出すと喉が詰まる。
怒鳴りたいのに、感情が邪魔をする。
「どうして……っですか、」
…土方さん、
「どうして、っ、言ってくれなかったんですかっ、」
あんなに大切なこと、
どうして私にだけ言ってくれなかったんですか。
「酷いですっ…!」
「……。」
土方さんは何も言わず、振り返りもしない。
「土方さんっ、」
「……。」
私の呼びかけに、ただ肩を大きく上下させる。
おそらく溜め息を吐いたのだろう。
うんざりと。
「声。」
「…え?」
ようやく背中が動く。
振り返って私を見た顔は、眉間にシワを寄せていた。
「デカイ声出すなって、アレだけ言ってんのに。」
……、…あ!
「何回言ったら分かるんだ?テメェは。」
「すっ、…すみません。」
「ったく」と呟き、腕を組む。
その様子はいつもと変わらない。
冷静で、副長な、土方さん。
師匠の言ったことは嘘だったんじゃないかと思うほど。
…けど、
『悔いが残らねェよう、お前の気持ち…全部ぶつけてこいよ』
あの時の師匠は、ふざけてなんてなかった。
黒縄島の時と同じ、澄んだ眼をしていた。
だから、ごまかしているのは…土方さんの方。
「とりあえず中に入れよ。」
私に背を向け、歩き出す。
思わず「えっ」と声が漏れた。
「あの、先に話を……」
「中でもいいだろ。それよりお前、そのままだと風邪ひくぞ。」
言われて思い出した。
いつの間にか雨は止んでいるが、
ここまで必死に走ってきたせいで、私の着物はかなり濡れている。
「行くぞ。」
土方さんが敷地内へと歩いていく。
その頭上では、雲が足早に流れていた。
過ぎゆく雲の後ろには、少し赤みがかった空が見える。
もうすぐ、夕方だ。
「っ…、」
「何してる。」
土方さんが建物をアゴでさす。
「早く来いよ。」
「…、…はい。」
踏み出す足が重い。
引きずるように石段を上り、わりとしっかりした造りの門をくぐる。
中を見て、少し驚いた。
「わ…。」
思っていた以上に上等な屋敷だ。
頑丈そうな建物に、広めの庭。
庭と言っても砂利ばかりで、部屋の数は少なそうだが、
「立派な建物ですね…。」
黒縄島へ行くまで滞在していた場所より、何倍もいい。
「それなりだろ。」
土方さんは短く答えてスタスタ歩く。
私を置いて行く姿に、ふと、嫌な予感がよぎった。
「……。」
なんとなく、
このまま屋敷へ入っても、うやむやにされそうな気がする。
中には近藤局長や沖田隊長もいるはずだ。
もしかしたら、私に話したいことを話させず、
聞きたいことも聞けないままにして、
皆で「出発時間だから」と追い出す計画なのかもしれない。
「……。」
流されるわけにはいかない。
「どうした?」
ちゃんと、土方さんと話しをしたい。
「早雨?」
「…ここでいいです。」
「?何言ってんだよ。話があるんじゃなかったのか。」
「あります。だから…ここで。」
「はァ?わざわざ外で話す必要ねェだろ。お前の濡れた服も早く乾かさねェと――」
「いいですから。」
言葉に言葉を重ねる。
土方さんは呆れたように溜め息を吐いた。
「よく分かんねェ奴だな。こんな座るところもない場所でいいのか?」
「はい。」
「…わァったよ。」
はいはいと私に向き直る。
「じゃあ先に俺の話からな。」
「えっ」
「お前の話は長くなるだろ。」
「ま、まぁ…、…。」
そうだと思いますけど…。
って、始まりから流されてるじゃん、私。
「で?アレは受け取ったのか。」
土方さんは煙草を一本取り出し、口に咥えた。
「真選組の解雇通知。」
「…はい。受け取りました、師匠から。」
「だよな。…はァァ。ったく、あの馬鹿。あれだけ念押ししたのに。」
「『念押し』?」
「なんでもない。」
ライターを擦り、煙草に火をつける。
「それでお前は、中を見たから俺のところに来たんだな?」
「…そうです。でもそれだけじゃありません。」
解雇通知のことなんて後回しでいい。
そんなことより、もっと大事なのは、
「今日の…夕方のことです。」
江戸を発つという話だ。
「……。」
「……。」
私は土方さんの目を真っ直ぐに見た。
土方さんも私を黙り見る。
どちらも、逃げなかった。
「どうして、言ってくれなかったんですか…。」
「…お前を連れて行かないためだ。」
「っ…、どうして?」
なんで一緒に連れて行ってくれないの?
「私は…っ、私は土方さんの恋人じゃないんですか?」
「…恋人だ。」
「だったら――」
「だからだろ。」
「……、」
「だから、お前を連れていかないんだよ。」
そんな…。
「何があるか分からない場所に、お前まで道ずれにするわけにはいかねェよ。」
「っ…そんなことありません!」
どんな場所でもいい。
「連れて行ってください!」
「早雨…、」
何が起きてもいい。
「私も、皆と一緒に行かせてくださいっ!」
離れたくない、傍にいたい。
「っお願いします!ひとりに、っ、私を一人に、しないで…っ。」
会えなくなるのだけは、絶対に嫌だ。
「お願いっ…!」
「…大げさな奴だな。」
「えっ…、…。」
…大げさ?
「帰ってこないってわけじゃないんだ。いつかは帰ってくる。」
「いつかって…」
「それにお前、まだ総悟の刀を持ってんだろ?」
「…持ってますけど。」
確かに、借りたままになっている刀がある。
黒縄島から戻ってすぐ、潜伏することになったから返せなくて。
「あの刀はアイツが気に入ってた一振りだ。戻ってくるまで、お前が大切に持っててやってくれ。」
『戻ってくるまで』
「…嫌です。」
「総悟もそれを望んでる。」
「だとしても、嫌です。」
首を振る。
「私も行くので、今返します。」
「…早雨。」
「すぐに準備しますから。荷物って服くらいですよね?適当にいくつか持ってくれば大丈夫だと」
「早雨。」
「っ…、……。」
少し強い口調に、言葉を呑んだ。
「お前は連れて行かない。」
「……、」
何度言われても苦しい。
「行きたいです…。」
「ダメだ。」
何度拒まれても、悲しくて…
「…どうして、ダメなんですか。」
悔しい。
「さっき言っただろ。お前を道ずれには出来ない。」
「それでも私は行きたいんです。」
「一緒に行ったところで、幸せに過ごせる保証はないんだぞ?」
「土方さんがいればいいですからっ」
「バカ。」
フッと鼻で笑う。
「ガキみたいなこと言うな。今はそんな風に思ってても、現実は俺がいるだけじゃどうにもならねーよ。」
「っ、なら、その時は一緒に考えればいいじゃないですか。」
「早雨…、」
「二人一緒なら、きっと何か出来ます。何かが変わる…。今まで通りうまくいかなくても、一緒に居れさえすればっ」
「…お前が良くても、俺が嫌なんだよ。」
「!」
土方さんは煙草の煙を細く吐き、弱く眉を寄せた。
「早雨が幸せに笑ってねぇと…俺が嫌なんだ。」
土方さん…、…。
「私は…、…土方さんの隣にいられれば、幸せなんですよ?」
“ガキ”みたいな浅い思考に思えても、私はそれで幸せなんです。
これからは欲深く欲しがったりしないし、
仕事も、お金も、美味しい食べ物も何も求めたりしない。
本当に、何もいらないから…
「だから…、…連れていってくださいっ…!」
そばにいて、土方さん。
土方さんがいればいいの。
「お願いしますっ…!」
頭を下げる。
場は静まり、遠くに街の喧騒が聞こえた。
「…、」
土方さんはしばらく黙って、
「はァ…。」
溜め息を吐く。
「話はそれだけか?終わったなら帰ってくれ。」
「っ!」
「お前がそこまで面倒くさい奴だと思わなかったよ。」
…ダメだ、
引き留められない。
「こっちは忙しいんだ。」
私に出来ることはない。
「悪いがキリのねェ話に付き合えるほど暇じゃねーんだよ。」
もう連れて行ってくれない。
じきに土方さんは江戸を発つ。
私を置いて。
『いつか』という、不確かな可能性だけを残して、
行ってしまう。
「…ひどい。」
「……。」
「ひどいですよ…、こんなの。」
こうなると分かっていたら、好きだなんて言わなかった。
恋人じゃなければ、今と結果は違ったはず。
"なんでも屋"の私と契約したくらいだから、
きっと行った先の戦力として、声を掛けてくれて……
「お前には悪いと思ってる。」
“でも、絶対に連れて行くつもりはないから”
…いや、そうじゃないのかな。
何をしても、しなくても、土方さんは私を連れて行かない気がする。
道ずれにしないため。
行った先で、幸せは待っていないからと。
…ひどい話だ。
「結局…、…土方さんが一番不平等だったんじゃないですか。」
屯所にいた頃、
皆と同じように扱おうとしてくれていたのは、土方さんだったのに。
根では、誰よりも私を特別扱いしてたんだ。
「不平等?」
「土方さんは、最後まで私を皆と同じように見てくれないんですね。」
「…見れるわけねェだろ。お前は…、…他の奴らと違うんだから。」
「それは私がもう隊士じゃないからですか?それとも、恋愛感情があるから?」
「…。」
「私は…、…本当は、始めから違ったんだと思います。」
土方さんの眉間のシワが深くなる。
「何が言いたい。」
低い声。
私は一度口を閉じ、息を吸った。
「本当は、“女だから”私を連れて行きたくないんじゃないですか?」
「…『女だから』?」
「皆より力もなく、使えない。居ても邪魔だから、私のことなんて――」
「いい加減にしろ!」
「!」
怒声に、身体が小さく震えた。
土方さんは短い溜め息を吐くと、「俺は」と話す。
「俺は一度もそんな風に思ったことはない。勝手なこと言うな。」
「…、…でも、実際連れて行ってくれないじゃないですか。」
「だからそれは、行ったところで早雨が幸せに暮らせる保証はねェから――」
「私の幸せはっ…、…っ、私にしか、分からないはずです!」
「…それは…、…、…・そうだな。」
土方さんが静かに頷く。
「お前の言う通りだ。」
「っ、だったら、行くか行かないか決めるのは私のはずです…っ!」
「…ああ。」
浅く数回頷く。
「早雨の言ってることは、理にかなってるよ。」
私の考えに寄り添う言葉。
もしかしたらと浮かんだ淡い期待は、
「それでも俺が連れて行かねェってことは、」
「……、」
早くも二言目で打ち消され、
「ようは、俺が薄情な人間てことだ。」
肩をすくめ、土方さんは自嘲した。
「俺はお前の幸せより、テメェの幸せを優先する。」
「…土方さんの幸せ?」
「ああ。…早雨、」
土方さんは私を真っ直ぐに見ると、
「俺にとっての幸せは、お前のいない生活だ。」
残酷なことを言った。
「……ひどい…、…。」
「ひどいのはお前もだ。俺を不平等だなんて言いやがって。」
“あの頃は俺なりにいろいろ頑張ってたんだぞ”
土方さんが目をそらす。
気まずそうにではなく、何かを確認するように。
どこを?
庭の……木の辺り?
「まァあれか、」
話しながら、おもむろに歩き出す。
「当人が不平等に思えたってことは、そうなっちまってたのかもしれねェな。」
土方さんは、やはり木の前で足を止め、
「だったら最後くらいは、もっと分かりやすく平等に扱ってやるよ。」
木の裏側へ手を伸ばした。
その手に、二本の竹刀が握られている。
「早雨、」
一本の竹刀を私に差し出すと、
「俺と、決闘しろ。」
そう言った。
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