壱・ハジメマシテノ溜息
有魂書――それは、文豪たちの強い魂が宿った本だ。
それは彼ら本体であり、武器でもある。要するに彼らは言霊の存在だ。

そんな本からやって来た、というか「生まれた」文豪は、徳田秋声といった。
あのネコには潜書出来る能力は備わっているらしい。つくづく不思議な存在だ。

「初めまして、徳田先生。」

私が司書です、と桂花は笑って手を差し出した。
秋声はため息まじりにその手を取る。女性の手だ。細く、白い。
黒々とした大きめの瞳は切れ長の瞼の中。形だけなら猫にも近いかもしれない。
一目見て、強そうだと思う。勿論それは肉体的ではなく、内面的に、だ。
なんとなく、自分は隣に並ぶのを遠慮したくなる。清々しい程の自信に満ちた彼女がどこか眩しい。

「早速だが秋声、お前には有碍書に潜書してもらう。」
「はあ、拒否権はないみたいだね。」

貧乏籤を引きやすい天性の苦労人気質である秋声。またもう一度溜息が漏れた。




初戦の結果は言うまでもなく悪い。
館長が一時的に鏡花を呼んでくれなければ早々に死ぬかとおもった。
補修を終えた秋声の元に、司書がやってくる。先程の戦いについて何かあるのだろうか。相変わらず微笑を浮かべたままの彼女を思わず睨んでしまう。

「そんなに警戒しないで貰えると有難い。
一つだけ、いっておきたいことがある。」

先ほどよりも声のトーンは低い。真面目、大真面目に何かを言おうとしているのだ。だがそれが何かとんと予想は付かず、彼は混乱する。
それをよそに、彼女は再び口を開いた。

「私はアルケミスト、貴方方の命を預かる者だ。
私の元に来た以上、貴方たちは私のものだ。」

何と言ったか。私のもの、と言ったのか。何だその言い方は。
秋声の中に沸々と怒りが湧いて来た。気に入らない。こんな人が僕を呼び出したなんて!

喜怒哀楽のうち怒が最も顔にでる秋声だ。やはり司書にも分かったのだろう。
しかし司書は何故かクスクス笑い始めた。

「予想通りの反応をしてくれるね。でも最後まで話は聞いてよ。

私のものであるからには、死に場所は私が決める。勝手なところで勝手に死んでくれるなよ。
死ぬときは、私が死ぬとき。私が敗北したときだ。そのときは皆一緒に道連れだ。安心しろ、私が手を下してやる。
だがそれまでは死ぬことを許さない。」

その台詞、只々文字として見たならば独裁的な台詞に見えるだろう。だが、彼女の目の奥には強い信念があった。
負けない。彼女はどんなことをしても負けない自信があるのだ。
体を千々に割かれようと、根性で生きて、這い蹲ってでも生きて、その骨の一片となろうとも侵蝕者に勝とうとしている。
目の奥の焔はぎらついている。
あゝ、この人、僕らを絶対に死なせないだろう。例え死を望む程の災禍に見舞われてもこの人は僕たちを『生かす』。身も心も生かしてくれるのだ。
文豪とは、皆文学に身を捧げた身である。だからこそ、文学に生きる信念を生きる糧とした。
この女は、得体のしれぬものが跋扈する戦場で生き、護るべきものを護ることに信念を置いたのだ。そして、その護るべきものというのは本だけでない。我々文士をも、細き腕に抱いて守ろうとする。
馬鹿馬鹿しい。愚かしい。でも、悪い気はしない。

はぁ、とまた一つ溜息をついた。
己自身の語彙力は一般よりはあると自負している。戦場に身を置く今は体力もそれなりにあると思っている。
口論でも肉弾戦でもこの女に勝てそうなものなのに、どうしてか、勝てる気がしない。最初から喪失に追い込まれているようだ。
悔しいが、このような人こそ、自分達がついていくに相応しい人なのかもしれない。
彼等は基本書くこと以外をいとも簡単に疎かにできる存在だ。自分達を導き、慈しみ、内も外も守る。宛ら母親のような存在は、自分達を勝利へと誘うのだ。

「ふうん。言ってくれるね。」

捻くれた自分は、そんな言い方しかできないけど、十分な賛辞のつもりだ。
司書もそれを分かっているのか、楽しそうに目を細めた。

「それはどうも、徳田先生。」
「……秋声でいいよ、桂花さん。」

気軽に呼ぶことを許したのは、衝動だった。師である尾崎を超えぬが、それでもそれと同等程には従うべき人だと感じたからだ。
生前の自分のようやく四半ほどしか生きていない小娘にとも思ったが、桂花という女にはそれだけの魅力があった。

「ありがとう、秋声。
ところでだ。お疲れのところ悪いのだが、仲間がもう1人増える。
立ち会って貰えるかい?」
「君たちは本当に人使いが荒いね。」

それでもやるのは貴女だからなんだけどね。
でも悔しいから言わない。代わりにまた一つ、秋声は溜息をついた。
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