後悔の先(後悔の先W)


「……ダアトが、陥落?」

「はい。噂か何かで聞いているかもしれませんが、先の一件で犯罪者を大量に出したことにより運営を危ぶまれていた教団でしたが、導師トリトハイムが規模縮小を宣言して何とかやっていました。
ですが献金が大幅に減少し、マルクトとキムラスカが和平を機に直接輸出入を行い始めた事でケセドニアの関税も殆ど無くなり財政難に陥っていました。
ここに来てついに破綻した、というわけです」

ゆったりとした耳に心地よい音楽と、カーテンで遮られた広々とした空間、そして微かに聞こえるせせらぎもまた、客の心を落ち着かせてくれる。
働いている人達はマナーも完璧で、よくもまあ正装もせずに入れたものだと疑いたくなるほどの高級なレストラン。
そこでワインを口にしながら言われた言葉に、私は料理に手をつけることも忘れぽかんとしていた。

気付かなかった。
確かに良い噂は聞かなかったが、いつの間に教団はそこまで追い詰められていたのだろう?
多分、私の表情からそれを読み取ったのだろう。
旦那はレアステーキを咀嚼した後、わざわざ説明を始めてくれる。

「もとより大陸が違いましたし我が国は預言離れが進んでいましたから教団とは密接な連絡は取っていなかったのですが……教団側もあまり公にしたいことではありません。運営不振がばれてしまえば今度こそ解体しろと言われてしまいますからね。
情報規制をかけて体裁を保っていたようですが、神託の盾騎士団を維持することすら難しくなっていたらしく、第六師団を中心として騎士団兵が反旗を翻したのです。
それでようやく教団が危ういことが我々の耳にも届くようになったので、一般人であるあなたが知らないのも無理はありません」

「それは……解りました。でも……何故それを私に言うんです?」

教団が危ういこと、それが今まで噂にならなかった理由は解った。
しかし次に覚えたのは、何故それを私の耳に届けるのかという疑問。
素直に口にした私に対し、旦那は食事の手が止まってることを指摘した後説明を続けてくれる。

「反旗を翻したのは第六師団師団長であるカンタビレ響将。
迎え撃ったのは先の一件により英雄とされていたメシュティアリカ・アウラ・フェンデ響士と、アニス・タトリン奏手です」

「!」

メシュティアリカ・アウラ・フェンデ。旧名、ティア・グランツ。
それは私の人生を狂わせ、ルーク様を死に追いやった女の名前だ。
反射的に立ち上がりそうになった私を視線だけで制止し、落ち着くようにとミルクティーを勧めて来る。
一気に食欲の無くなった私は勧められるがままにミルクティーの入ったカップを手に取り、湯気の立つカップに少しだけ口をつけた。

「第六師団は最も人数の多い師団です。フェンデ響士とタトリン奏手は応戦したものの多くの死傷者を出し捕縛され、カンタビレに改革を持ちかけられた導師トリトハイムはそれを受け入れました。
その上で、フェンデ響士とタトリン奏手の処遇に関して連絡が届きました」

それがこれです、と言葉を続けながらテーブルに置かれた手紙。
無意識のうちに、私は喉を鳴らして唾液を飲み込んでいた。
旦那は手紙を凝視する私の名前を呼ぶと、貴方が選んでくださいと言う。
何を言われているのか意味が解らず、顔を上げれば血色の瞳が私を射抜いていた。

「先の一件のおかげで英雄とされている二人ですが、今の教団では存在を持て余していたようでしてね……軽率にして短慮でありながら自尊心だけは人一倍。
己の価値観を押し付け、周囲を振り回すその気性に多くの団員が腹に据えかねていたようです。

教団の経営不振に加え、団員達の怒りが爆発したようでして……この二人を庇い、身元を引き取るかどうか。それとも見捨てるか。
簡単に言うならばそういう手紙でした」

「庇わなければ、どうなると?」

「長い間あった恩恵の消失、そして突然強いられた不自由、5年前から前触れも無く始まった苦しい生活に多くの人々が苛立ちを抱え、フラストレーションのはけ口を探しています。
恐らく今回の一件でそれが臨界点に達しました。
庇わなければこの二人が、そのはけ口として祭り上げられるでしょう。
敵を作り出し悪意をそちらに向け結束力を高めるやり方は遥かな過去から用いられてきた方法ですから」

「つまり、どうなるんですか」

「……十中八九、処刑されるでしょうね」

「庇った場合は?」

「二人の身元をコチラに引き取った後、ダアトを援助するよう要求されています。
まあ援助のほうはやぶさかでは無いんですよ。
パダミヤ大陸は温暖な気候で目だった自然災害もありませんから第二のエンゲーブになってくれたらという声は以前から上がっていましたし。
教団が後生大事に抱えている創世暦時代の書物は今でも有用性が高いものも多いでしょう。
勿論交渉次第ですが、ダアトを援助することによりマルクトが損をする可能性は低い」

「……その上で、私に判断を委ねると?」

「はい。自分で言うのもなんですが、私はマルクト皇帝の懐刀です。
議会での発言力もそれなりに強く、レプリカ保護区設立以降信頼も厚い。
貴方の選択肢を私が議会で発言すれば、過去の仲間ということも鑑みて意見が通る可能性は高い」

いつの間にか旦那は食事を終えていた。
いつものように眼鏡のブリッジを押し上げて表情を隠すことなく、真っ直ぐに私を射抜いたまま旦那は言葉を紡ぐ。
私は言われた言葉の意味を理解するのに精一杯で、緊張しているせいか先程ミルクティーを飲んだ筈なのに喉がからからに渇いていた。

「ですが勘違いしないで下さい。
今こうして貴女に判断を委ねていますが、別に貴女に責任を負わせるつもりはありません。
飽くまでも議会では私の意見で押し通しますから、貴女の名前が出ることもない。
貴女が決められない、そんなものは背負えないというのであれば正直に言って下さい。
その場合は私がマルクトにより良い形で納められるよう判断します」

「私に……復讐のチャンスを、与えてるつもりですか?」

「……誰にでも、そういう機会は必要でしょう」

その言葉を最後に私達の間に沈黙が落ちる。
私の言葉一つで、あの憎い女達の未来が決まる。
そう思うと心臓が早鐘を打ち、何故か呼吸が浅くなった。

呪われろと。不幸になれと。何度も何度も願ってきた。
それなのにどうだ。目の前にその首を差し出されると途端に私は臆病者になってしまう。
罪人といえど命を背負うというのはこんなにも重いのかと、意味も無く叫びだしたい気持ちに駆られる。

そう、私は確かに願っていた。呪われろ、不幸になれと。
しかしそれは私の知らないところで、私に関与しない形でなってくれれば良かったのだ。
そうすれば私は嘲笑うことができた。ざまぁみろと。因果応報だと。
それに気付いてしまうと、今度は自分の浅ましさが、醜さが際立って仕方ない。
私はこんなに醜い人間だったのかと涙が出そうになる。

「わ、私は……」

そして脳裏に浮かんだのは、ルーク様の笑顔。
命を奪うという行為を恐れていたというルーク様。
万単位の命を奪って、その手を真っ赤に濡らして、それでも死にたくないと泣いていたという。

ごくりと。喉を鳴らして飲み込んだ唾液の粘度がやけに高い気がした。
喉が張り付いて息すらできなくなってしまいそうだ。
旦那を見ればただただ真っ直ぐに私を見下ろす赤い瞳。
私はさぞかし間抜けな顔をしているのだろうなと、どこか他人事のように感じている自分が呟く。

「私はこの二人に……」

突然、降って湧いた選択肢。
頭の中を色んなものがぐるぐるしていて、そんな簡単に答えなんて出るはずも無く。
目の前に座っている旦那を、見つめることしかできなかった。







   ※※※






「脱走しましたか」

「ああ、ガイラルディアが手引きしたそうだ」

「私以外の元にも手紙を届けていたと、そういうことですか」

「ま、ある意味当然だろうけどな」

「ガイの処遇はどうなります」

「勿論、マルクト追放だ。万が一マルクトの土を踏んだ場合、その命は無いと思えと書簡を送ってある」

「逃げる先は……バチカルでしょうね」

「それ以外ないだろうな。最も、あっちもそれほど余裕があるとは思えんが」

「それに気付けるようでしたら、今のような状態にはなっていないでしょう」

「ま、それもそうか」

こぽこぽと音を立ててカップに紅茶を注げば、鼻腔を擽る芳醇な香り。
私は聞こえないふりをしながら、黙って紅茶を注ぎ茶菓子をテーブルの上に広げていった。
だいぶ月日は経ってしまったが、この手の仕事は慣れたものだ。
だからお忍びでやってきて目の前にいるピオニー陛下に関しても、動揺を見せることなくすまし顔を保つ。
そしてテーブルのセッティングが終わった後、これ以上いても邪魔になるだけだろうと無言で頭を下げて部屋を出て行った。

「ルビアさん、ジェイドさん達のお話は終わったですの?」

「……いえ、まだよ。難しい話をしているの。
だから私と一緒にあっちで待っていましょう。少しだけど、タタル草もあるから」

「ほんとですの?じゃあミュウも大人しく待つですの。
だからその間に、ご主人様の小さな頃のお話をしてほしいですの」

「ええ、構わないわ。行きましょう、ミュウ」

陛下が連れて来ていた聖なる獣に、私は力なく微笑みかける。
恐らく旦那を借りる代わりなのだろう。私はミュウを抱き上げた後、日当たりの良い、しかし誰も来ないサロンの方へと足を向けた。

今から2週間前、旦那からあの忌わしい聖女の子孫の命をどうするかと問われた時、私は答えられなかった。
その命は、罪人であると解っていても重すぎた。私には背負いきれなかったのだ。
だから私は旦那に対し、素直に選べないと応えた。

不幸になれ、呪われろ。そう思っても、死んでしまえとは思えない。
苦しめと思う、悲しめと思う。けれど大怪我を負って生涯困れとは思えない。
素直にその心情を吐露すれば、何故か旦那は見たことも無いほど穏やかな笑みを浮かべてそうですかとだけ応えた。
何故あんな風に優しげな微笑みを向けられたのか、実は今でもよく解っていない。

旦那はそれ以上は何も言わず、ただ私の食事が終わるのを待ってくれた。
そしてそれから3日もしないうちにガイがグランコクマから姿を消し、グランコクマ内にあるガルディオス伯の屋敷からは失意に沈んだペールだけが残されていた。
陛下も必ず解ってくれると、そう言ってガイは出て行ったらしい。
その浅はかさにペールは失望を隠しきれていなかったようだと、私に聞かせる気なのかそれともただの愚痴なのか解らない様子で旦那が漏らしていた。

どうもうちの旦那はあの二人を庇わなかったようだ。
そしてそれに反発したガイが、後先を考えず屋敷を飛び出した。というのが一連の流れらしい。
最も、旦那は飛び出したガイも庇うことなく、ダアトに援助するのは賛成です。あそこはまだまだ搾り取れますからと淡々と言ったらしいが。

それを皮切りに貴族院では全員一致でガイの廃位が決定し、今度こそ正真正銘ガルディオスのお家断絶が決定。
ダアトは元英雄にして罪人二名を外部犯によって脱獄させられたものの、マルクトの援助を経て徐々にその形を変えていくことを発表。
目まぐるしく情勢が変わっていく中、私はあの選択を選んで良かったのかと暇さえあれば考えてしまう毎日を送っている。

「みゅ?ルビアさん、元気ないですの。おなか痛いですの?あたま痛いですの?」

「いいえ、痛くないわ。大丈夫よ。ありがとう」

サロンにぽつんと置かれたカウチに腰掛け、ミュウの頭を撫でる。
ミュウは気持ち良さそうに目を閉じた後、旅の間のルーク様のことを自慢し始める。

ああ、そうだ。私はルーク様のカタキすら取れなかったのだ。
そう思うと少しだけやはり命を奪っておくべきだったかと後悔してしまう。
しかし同時にルーク様はお優しい方だったから、例え罪人であれど死んでしまえと口にするのは嫌われてしまうのではないかと思う自分もいる。

ああ、命が重い。私が実際に握っていたわけではない。
飽くまでも間接的に生殺与奪権を得ただけなのに、こんなにも重く圧し掛かってくる。

「……ミュウ、私、自分でも知らないくらい弱虫だったみたい」

「みゅ?大丈夫ですの、ご主人様は優しいから守ってくれますの!ミュウのこともずっとずっと守ってくれましたの!」

「……そうね。ルーク様はきっと、守ってくださるのでしょうね」

ありもしない重圧が私を襲う。
無邪気に笑うチーグルに、私は力なく微笑むことしかできなかった。


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