ドーナツホール(ドーナツホール05)



「シンクは…シンクは生きているのですか!?」

「はい。生きてます」

今日一日で何度目か解らない驚愕で顔を彩りながら、イオンはアリエッタの手紙を受け取った。
全員アリエッタに対し警戒を抱きながらも、その手紙を読もうと封筒から取り出すイオンの動向に視線を固定している。

アリエッタは全員の警戒など諸共せず、黙って手紙に目を通すイオンを見ていた。
その目にはじんわりと涙が浮かんでいる。

「イオン、シンクはなんて…?」

「…これ以上、ルビアを闘わせるなと」

「それだけか?」

「はい。それだけです」

イオンは深く息を吐き、手紙をルークへと手渡した。
ガイやジェイドが横から覗き込むが、イオンのいうとおり『これ以上ルビアを闘わせるようなら容赦はしない』としか書かれていない。

……嫉妬から手紙を寄越したのだろうか?
そんな疑問が脳裏をよぎったのは、ルークだけではないだろう。

「イオン、様」

「アリエッタ…シンクに、会ったのですか?」

イオンの質問に、アリエッタはやはりふるふると首を横に降った。
アリエッタ曰く、魔物を介して渡されたらしい。

「そう、ですか…」

俯くイオン。
アリエッタは何度か口を開きかけ、止めるというのを繰り返す。
何か言いたいことがあるのかとイオンが顔を上げると、アリエッタはついに耐え切れなくなったようにくしゃりと顔を歪めた。

「アリエッタ…?」

「アリ、エッタ…イオン、さま…に、おねがい、ある…です…っ!」

ローズピンクの瞳からぽろぽろと涙を流し、眉根をこれでもかと下げ、包帯の巻かれた手で人形を抱き潰しながら、震える声でたどたどしく願い出る。
ルークが背後でわたわたと慌てているが、今彼にできることはない。

「…なんですか?」

「アリエッタと、アリエッタと、一緒に…っ、イオン、様の…お墓……行って、欲しい…です…」

その言葉に、イオンの目は驚愕に見開かれた。
ルーク達も全員、何故それを?と驚いている。
アリエッタは嗚咽を漏らし、止まらない涙を袖口で拭いながら言葉を続けた。

「…手紙、貰いまし、た…アリエッタの、イオン様から、の…っ!
イオン、様…もう、居ない……アリエッタのイオン様、居なくなっちゃった……っ!アリエッタの知らないうちに…イオン様……イ、オン、様…ぁ!」

ついに涙腺が決壊したらしく、アリエッタはその場にへたり込みイオン様と繰り返しながら幼子のように泣き始めた。
イオンは少しの逡巡の後、座り込んでしまったアリエッタを優しく抱きしめる。
アリエッタは人形を取り落とし、それに縋りつくようにイオンの背中に手を回した。

「…僕でいいなら、一緒に行きますよ。行きますから…今は好きなだけ、泣いて下さい」

そう言ってぎゅっとアリエッタを抱きしめる。
泣きじゃくるアリエッタに、最早誰も警戒を抱いていなかった。





「これが…オリジナルイオンの墓…?」

「はい…そう聞いてます」

泣き止んだアリエッタとイオンと共に、ルーク達はオリジナルイオンの墓参りに来ていた。
最初はライガに乗って行こうとしていたのだが、アルビオールのほうが早いとルークが申し出たのだ。
アリエッタは少し迷ったものの、それを受け入れ単身でアルビオールへと乗り込んだ。

そうしてたどり着いたのは、大きな岩が半身を埋めているだけの、墓と呼べるかも解らない粗末なもの。
ルークとナタリアは痛ましそうに顔をゆがめ、ジェイドは眼鏡のブリッジを上げるふりをして表情を隠し、ガイとティアは顔を背けている。

「イオン様が死んだこと、ばれちゃいけないって…モース、お墓作らず焼こうとした、です」

「そんな…!いくらなんでも酷すぎますわ!」

「でも、ルビアが…それ止めたって。ばれないようにするって、約束して…遺体、引き取って、埋めたって、聞きました」

「ルビアが…そうでしたか」

また泣きそうになっているアリエッタに寄り添うように立っているイオンがそれだけ呟いて、持ってきた花をそっと添えた。
それに習うようにアリエッタもまた、小さな花を墓に添える。

「僕のことも、ルビアに聞いたのですか?」

「ちょっと違う、です。イオン様のこと心配で…ルビアのとこ行きました」

「彼女と面識があったのですか?」

ジェイドの質問にアリエッタは人形に顔を埋め、眉根を寄せて怯えるようにジェイドを見る。
しかし視線をさ迷わせた後、その質問に答えた。

「ルビアは…一緒に守護役やってたから。ルビア、アリエッタに譜術教えてくれた」

「そうでしたか。しかしルビアは眠っていたはずですが」

「ルビア、アニスみたく、お間抜けじゃないもん。ちゃんと人が部屋に入ってきたら、気付く、です」

言葉に棘があるものの、アリエッタが訪れた際にルビアが目覚めたことが解る。

「ルビア、眠そうだった。それで、お手紙くれて、また寝ちゃった」

「お手紙、ですか?」

「アリエッタの、イオン様からのお手紙、です」

そう言ってアリエッタは人形を抱きしめる。
ぎゅっと目を瞑っているところを見ると、また泣いてしまいそうなのだろう。
しかし緩やかに開かれた瞳に、涙は溜まっていない。

「アリエッタ、お手紙読んで、泣きそうでした。
でも、シンクから頼まれた仕事があったから…レプリカでも、イオン様も心配でした…だから、我慢、しました。
でも、でも…イオン様の顔見たら…」

「大丈夫です。泣いて良いんですよ。よく頑張ってくれました」

涙を堪えるように目を細めるアリエッタに、イオンは優しく語りかけた。
アリエッタはそんなイオンを見上げ、じっとイオンを見る。

「…似てないのは、イオン様が変わっちゃったのは、アニスのせいって…思ってました」

「そんなに似てませんか?」

「違い、ます。アリエッタのイオン様、もっと…こう…」

そこでアリエッタの言葉が途切れた。
説明したいのに、言葉が見つからないのだろう。

「話し方は、シンクのほうが似てる、です。
アリエッタのイオン様、笑う時、もっと目が冷たくて…馬鹿にしてました」

アリエッタの言葉に沈黙が落ちる。
一体どんな人物だったんだ。

しかしそんな空気に気付かないまま、アリエッタは俯いてしまう。

「でも、違う…ですね。イオン様、アリエッタのイオン様じゃ、ない」

「……すみません」

「何で、イオン様が謝る、ですか?」

「僕は貴方を騙していましたから」

「…それ、イオン様のせいじゃない、です」

きっぱりと断言するアリエッタにイオンは少しだけ驚くものの、アリエッタは気にすることなく膝をついて墓石代わりの石を撫でる。
過去を反芻するように瞳を閉じて、ゆっくりと瞼を持ち上げてルークたちを振り返る。

何かを決めたのか。
相変わらず眉は八の字を描いているものの、その瞳には光があった。

「…アリエッタ、もう…総長、信じられない、です」

「それは…師匠を裏切るってことか?」

「先に裏切ったの、総長…です。アリエッタのイオン様、生きてるって嘘ついた…っ。アリエッタ、裏切り者は許しません…一族の掟に従い、その喉笛を切り裂き、肉腐るまで晒す、です」

その瞳は間違いなく獣のもの。
爪も牙も持たないこの幼い少女は間違いなく魔物に育てられた者なのだと、嫌でも思い知らされる。
爛々と敵意を光らせる瞳に気おされたものの、ルークはゆっくりと問いかけた。

「じゃあ…もう敵対しなくて良いんだな?」

「……アリエッタ、ライガの女王になりました」

「あ…」

アリエッタの言わんとすることを察し、ルークは失言に気付いて声を上げる。
そうだ、ヴァンの元から離れても、ルーク達がライガ・クィーンを殺した罪は消えない。

しかしアリエッタは剣呑な空気を消すと、黙ってルーク達を見渡した。

「でも、裏切り者を消すのが先、です。ルーク達、イオン様守ってくれた…ライガの一族は、礼儀を忘れません」

「……アリエッタ…」

「アニスはともかく…恩は忘れない、です。ママが死んだのは、今でも悲しい……けど、今生きてる一族、率いる方が仇より大切、です。
ママならきっとそう言うと思うから…だから、これ以上危害を加えないなら…見逃します」

アリエッタの言葉にジェイド意外が安堵の息をつく。
コレでもう敵対しなくても良いのだと、それぞれが喜びを覚えながら胸を撫で下ろす。
イオンは心底嬉しいというように笑顔でアリエッタに礼を述べた。

「ありがとうございます、アリエッタ」

「…イオン様、まだアニス庇う、ですか?」

「それは……アニスは、僕の大切な存在なんです。簡単には切り捨てられません」

「……でも、ルビア…怒った、です」

「う…」

アリエッタの言葉にイオンが固まる。
つまりルビアが怒っている限りアニスは庇えないということで、それを聞いていた面々はダアトの力関係を把握した気がした。

「……アニスも、反省してると思います」

イオンは言葉を搾り出したが、アリエッタがどうだか…といわんばかりに顔を背けた。
やはりアニスだけは、嫌いらしい。

まぁそこはルビアを説得して何とかするしかないだろう。
普段真面目な分、ルビアの信頼は詠師達の中でも厚い。

「とりあえず、お話も纏まったようですし、教団に帰りましょう」

「そう、ですね。ルビアも目覚めているかもしれませんし、アニスとモースの処遇も決めなくては」

「ルビア、かんかん、です」

「……うぅ」

ジェイドに纏められ、最後にアリエッタに少しだけからかわれて、彼等はオリジナルイオンの墓を後にした。
アルビオールに乗り込む際、アリエッタが最後に墓を振り返る。

「また、きます…だから、待ってて下さい…イオン様」

誰にも届かないほど小さく呟やかれた約束。
それに応えるように、優しい風がアリエッタの頬を撫でた。


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