誰そ彼時に思う

グロ表現あり。死ネタあり。




八月十五日。
待ち合わせ時間より前に待ち合わせ場所に行くと、名前はもうすでに俺のことを待っていた。まだ俺のことは気付いていないようで、そわそわしている。
今日の名前は健康的やった。この前の病的な白さはやっぱり白のワンピースが原因やろか。今日の花柄のミニスカートは爽やかで鮮やかな色合いをしていて、正直、めっちゃ好み。


「おまたせ。待った?」

「ふふ、ちょっと」

「そこは待ってないって言うとこやろ」

「なんか楽しみで。早く来すぎちゃってん」


照れたようにはにかむ名前は俺の知ってる名前と全然変わってへんかった。数年のブランクがあるのに、こんなに普通に喋れんなら、普通に接すれば良かったんや。
あれ、でも、俺らが話さなくなったのって──


「どーしたん? 行くよー!」


まあ、ええか。
今日は久しぶりの幼馴染とのデートを楽しもか。


────


一週間前のちょっと様子がおかしい雰囲気とは違う、名前はほんまにいつも通りだった。いつもって言っても、数年のブランクがあるわけやけど、昔と変わってないっちゅーか。あの頃みたいに俺らは全力で遊園地を楽しんでいた。
急に来て、どうしたんやろ?レベルだったし、もしかしたら俺の思い過ごしとか、もしくは久々にあった幼馴染に緊張してただけだったとか。まあ、そうやろなー。何年も会ってない幼馴染を急に誘うんやもんな。しかも、俺の予定蹴ってほしいとまで言って。
…………あれ、なんのために?


「なあ、名前、今日なんで──」

「忠義! お化け屋敷行こう!」


きらきらとした目で、おどろおどろしい黒い建物を指差す名前。入り口の看板には赤黒い文字で「死の館」と書いてある。あかん、直球すぎるやろ。
中からの悲鳴が聞こえる。受付のお姉さんの笑顔は張り付いているようで気持ち悪い。


「い、嫌や! 怖い!」

「暑いしちょうどええやん」

「無理無理無理無理!! 絶対嫌や! あかんて! 引っ張らんといて!」

「先っちょだけだから、先っちょだけ」

「あかん! あかんよ! あっ、ちょっ、待って! 俺、ここで待ってるから! あかん! 待ってる!」

「ふはっ、なんやねん。めっちゃうるさいやん」


平気やろって高を括っている名前に引っ張られて、お化け屋敷の中に入っていく。時刻は二時。夜中やったら、ちょうど丑三つ時。あかん、雰囲気ありすぎや。




お化け屋敷を出た後の俺らはもうくたくたで、いったん休憩と言って、アイスをもくもくと食べた。食べ終わる頃にはもう復活していて、名前はメリーゴーランドに乗ろうなんて言い出した。そのあとは普通にまた遊園地を楽しんで、他愛のない話をした。亮ちゃんのこと、高校のこと、大学の授業のこと、サークルのこと、バイトのこと。今まで会ってなかった分を取り戻すかのように、話は尽きることがなかった。


時刻はそろそろ十八時になろうとしていた。


「今日も、夕焼けが綺麗やなー」

「せやなぁ」

「…………黄昏時」

「ん?」


名前は隣で夕日の方角を真っ直ぐに見つめながらそう言った。オレンジ色に染まりつつある空は夜が迫っていることを告げる。


「この時間、黄昏時って言うねん。『誰そ彼の われをな問ひそ 九月の 露に濡れつつ 君待つ我そ』」

「なにそれ。和歌?」

「うん。古今和歌集だっけ。授業でやってん。誰そ彼。この時間って昔は今みたいに電気ないから暗いやろ? だから、相手の姿がわからんかったんやって。そういう分からないものに対する不安ってあるやんか。だから、誰ですかって聞いたんやって。人間か、人ならざる者か確認するために」


俺は黙ってそれを聞いていた。やって、なんか難しくてわからへんかったし。日本文化論やろうか、授業。そんなことしか考えつかんから、何も答えられずにいた。ちゃかすことなんか、名前の据わった目を見ると出来なかった。


「妖魔がうごめく時間。人ならざる者が歩く時間」

「……何、さっきから言うてんの?」

「…………死者って、妖魔なんかな?」


さっきから何言うてるか全然分からへん。いや、分かりたくない。名前は一歩一歩ゆっくり足を踏み出した。広場のオブジェの前で立ち止まり、振り返って、俺に微笑んだ。


「今日は楽しかった。 忠義、ありがとう」

「……うん、俺も楽しかった」


違和感は分かってるはずなのに、普段通りの名前につられて、普通のことしか言えんかった。なんだか情けなくなって、俺は地面を見つめた。名前の影が、俺の影とつながっている。


「忠義とまた、一緒に遊びたかったんだ。わがままいってごめんね」

「別にええよ。またいつでも遊ぼ」

「……うん」


まただ。釈然としないもやもやが俺たちの間にはある。普通の会話のはずやのに、どこか違和感がある。
眉をハの字にして困ったようにして笑う名前をほっとけなくて、近付こうとすると、名前は大声をあげた。ビクッとして、その足を止める。名前は小さくごめんと謝った。ほんとにごめん、と小さな声で。名前とは距離が離れているのに、いやにちゃんと聞こえる。

そして、気づいた。
なんで俺ら以外人がおらんねん。閉園前とはいえ、普段なら帰りの客たちがここの広場を通ってエントランスに向かっていくはずや。おかしい、明らかにおかしいことに気付いて、心臓の動悸が速くなる。ドクドクと脈打つ振動が全身で鳴っているかのようで、じんわりと汗が滲む。暑さのせいやない、冷や汗のせいや。


「……もうそろそろかなぁ」


名前がちらっと時計台の方を見た。秒針がリズムを刻んで進んでいく。十七時五十九分。

あかん。

何故だか頭の中でこの針が進んでいくのがいけないってわかった。何かのタイムリミットのような、わからんけど、不安で怖くて緊張する。あかん、進まんといて。


「さよなら、忠義」


カチッと耳障りな大きな音を立てて、長針と短針が真っ直ぐになった。




「…………えっ」




何が起こったのかわからなかった。オブジェが音を立てて崩れ落ちて、その下にいた名前が下敷きになった。
状況だけ書けば、そうなんやと思う。でも、それでも何が起こってるのかわからんくて。俺はその場に立ち尽くして、さっきまで名前がいた場所を見つめていた。

震える足をどうにか奮い立たせて、ようやくふらふらと歩き出して、名前の場所の前に立つ。オブジェと名前の前まで来ると、足から力が抜けたようにすとん、とその場に膝を立てた。

肌色の五本の指がオブジェの下にあった。さっきから流れている赤い液体は血? じゃあ、さっき飛び散った赤いものは?


「………名前?」


指に触れる。まだ生温かい。人の温もり。でも、じゃあ、この血は、四方に飛び散る血は。


「あ、あぁぁ……あぁ……」


なんやねん、これ。なんやねんこれ。なんなんこれ。なんなん、こんなん、まるで、名前が死んだみたいな──


「い、嫌や! なんやねん、なんで、名前! おい! 起きろや! 嫌や、 嫌やぁ……」


ズキズキと頭が痛くなってきた。割れるような痛みに手で頭を抱える。


「誰か! 誰か!」


必死で叫んでも何にもならへん。周りには人がおらんから。こんなおかしい状況なのに、こんなおかしい状況だから、人間の気配も虫の気配すら感じられない。


ひらり、と名前が持っていたであろうチケットが俺の目の前に落ちてきた。そして、地面に着く。見える「大人 4000円」の文字。


なんやねん、これ、タダ券やないやん……。


ガンガンと頭の中で鳴り響く音はどんどん大きくなってきた。息も上がってきて、頭を抱え込んで、足に力が入らなくなる。
なんで誰もおらんの。目の前で人が死んでんねんで。なんで誰も気付かへんの。痛い。痛い。誰か。誰でもいい。助けて……。

ぐにゃり。
目の前の景色が歪んで、闇に染まっていった。