夢かうつしよか



「…………っは!!」


闇から抜け出した先は真っ白な天井がある部屋だった。起き上がって、ぐっしょり濡れた髪をかきあげる。全身汗まみれでぐちょぐちょや。朝の目覚めとしては最悪やけど、あの頭痛はもうない。
なんやねん、これ。ここ、俺の部屋……? 壁に掛けられたお気に入りのバンドのTシャツとその横に掛けられたスティックケース。飾られた写真立てには昔と今の俺らのバンドと亮ちゃんと名前と俺の三人の昔の写真。間違いない、俺の部屋や。


「………なんで」


夢?
あの日一日全部夢だった? それより前? じゃあ、誘われた時? いつからが夢だったん。
その割にはやけにリアルな感触がまだ残っている気がした。指に触れた手は今でも鮮明にあの柔らかさと生温かさを覚えている。舞う土埃と、死の臭い。夢ならなんなん、あまりにも現実的すぎるやろ。俺、そんな具現化できるほど妄想癖やない。


「っ!」


思い出しているうちに、一番ショックだった場面がフラッシュバックした。突然名前に向かって落下するオブジェ。四方に飛び散る赤い血と肉片。
腹からこみ上げてくるものがあって、すぐにベットから飛び降りた。トイレに着いた時には我慢の限界だった。

そのあと、汗で体とくっつく服が煩わしくて、シャワーを浴びた。多分、何か全てを洗い流したかった。頭からシャワーをかけて、しばらくそうしていた。夢なら全部これで消し去ってまえ。


────


具合の悪さを薬でごまかして、気温がまだマシな午前中に家を出た。
ほんまは気味の悪さに一人でじっとしていたかった。けど、家の中にはもう誰もいなくて、逆に不安になった。何かが自分を見とるんじゃないかって漠然とした恐怖があったし、ちゃんと名前が生きてることを確認したかった。そう納得させて、名前を訪ねるために、すぐに準備に取り掛かった。


この家に来るのはいつ振りやろ。相変わらずおばさんはお花を植えるのが好きなのか、いろんな種類の花が門から庭の方に見えた。道路側にある名前の部屋はまだカーテンが閉まっていた。午前十時三十二分。昔の名前なら、とっくに起きとる時間やないか。
チャイムを鳴らす。


『はーい?』

「あ、大倉ですー。名前ちゃんいますか?」

『あら、忠義くん。まだ寝てるみたいなんよ。上がってちょうだい。ちょっと待っててな』


おばさんはすぐに外に出てきてくれて、門を開けてくれた。久しぶり、という挨拶を添えて。鼻をくすぐる花の香りが何なのか、俺にはわからんかった。


寝てるかもよーというおばさんに大丈夫と言って、名前の部屋の目の前に立つ。コンコンとノックをする。中で動く音が聞こえた。やっぱり、起きとるんや。
もう一回ノックすると、はーい、と返事が聞こえた。


「もー、なに? 眠いん、け、ど……わっ」


ドアを開けて、部屋の外にいた人間が俺だってわかった瞬間、名前はびっくりしたようで目をこれでもかとかっ開いた。よく見ると、目が腫れとった。
そんな名前が目の前にいることに安堵したのと同時に嬉しくて、おもわず抱き締める。ちゃんと温かい。人間の体温。名前の香り。どくどくって鳴ってる心臓。ちゃんと生きている証や。やっぱりあれは夢やったんや。タチの悪い悪夢やったんや。だって、今、目の前にこうして名前がおるやんか。
こみ上げてくる涙をぐっとこらえるために、ぎゅーってきつく抱きしめる。その瞬間、ほんの一瞬だけあの光景がフラッシュバックして、体を離した。
近距離で俺を見上げる名前は未だに驚いたような顔をしていた。そして、小さな声で呟いた。


「なん、で……?」

「なんでって……なんか悪夢見てん。それで──」

「こんなこと、一度も……」


ぽつりと呟いた言葉に違和感を覚える。肩に手を置いたままで、俺は首を傾げた。名前は信じられないというように、俺に確認した。


「忠義……もしかして、遊園地でのこと……覚えとるん……?」

「えっ……?」


俺の反応を見るや否や、名前は慌てたように俺のことを部屋に招いた。女の子にしてはシンプルな整理整頓された部屋には、俺が昔あげたクマのぬいぐるみがまだ飾ってあった。


「忠義、驚かないでよ」

「えっなに? …….やめてーや。俺、怖いの嫌やで」

「怖い、かもだけど。でも、ちゃんと見て」


名前は自分のスマホを付けて、何かのアプリを開くと俺にそれを見せてきた。
なんやねん。ただのカレンダーやん。


「よく見て。今日の日付」

「今日の? …………九日?」


カレンダーには、八月九日に赤丸が付いていた。