決まってた未来



とりあえず、お茶とか持ってくるね。
そう言って、名前は部屋を出て行った。あの頃と配置が変わった部屋の内装がちょっと落ち着かん。本棚には読んだことない本が並んでいる。エミール・ゾラ、ジェイン・オースティン、ヘミングウェイ……。そういや、なんや文学部の授業潜ってるとか、話聞いたことあるなぁ。本とか好きやったんや。
ふと目に入ったくまのぬいぐるみはへそのボタンが何回か取れたのか下手くそながらに縫い付けてあった。小さな頃、俺がプレゼントしたものをまだ大切に持っていてくれたことに嬉しさを感じる。


さっき、名前は遊園地でのこと覚えてるのか、俺に尋ねてきた。それは俺が名前と遊園地に行ったってことを裏付けている。でも、今日の日付は九日で、遊園地に行ったのは十五日。つまり、過去に遊園地に行ったのはこれから起こる未来っちゅーことなんかな? あかん、頭こんがらがってきた。
遊園地で、名前は死んだ。けど、今日起きたら名前は生きていて、普通に過ごしている。いつも通り、や。誰も死んでない。


「おまたせー。お菓子これしかなかったわ」


お盆に乗ってあったのは、お茶と下にあったものをとりあえず持ってきたというように見事にジャンルがバラバラなお菓子たちだった。お煎餅。ラスク。チョコレート。
まあ、気遣われても困るんやけど。

それで、と一拍置いてから、名前は本題に入った。突然切り替わったスイッチに驚きつつも、チョコを口に入れて、うんうんと頷く。あ、これめっちゃ甘い。練乳でも入っとるんかな?


「……何か聞きたいこと、あるかな?」


見事に丸投げ。聞きたいことだらけや。でも、それがうまく言葉に出来ひんくて、もう一つチョコを食べた。


「あの日に起こったこと、整理しよか」

「……せやな」


名前はゆっくりと立ち上がって、ルーズリーフとペンを取った。綺麗な字で、「8月15日(月曜日)」と書き込んで、俺たちは二人であの日のことを思い返した。


十時に開園するから、九時半に最寄りの駅で待ち合わせ。まずは園内で三番目に大きいジェットコースターに乗った。乗り終わった頃に昔見たことあるキャラクターのショーがあるからって、名前は俺のことを引っ張っていった。終わってから昼食。食べたあとだからゆったりしたのがいいって言って、なんか海の中を探検するみたいなアトラクションに乗って、その後はなんか観たな。その後は忌々しいお化け屋敷。出てアイス食べて、ジェットコースターに乗ったんやっけ。
考えてみると、普通に普通の一日を過ごしてるだけやん。この時まで、名前は普通だった。昔と変わらない、名前やった。


「……それで、閉園時間」

「黄昏時、やっけ」


名前はこくっと頷いた。
急に違和感がざわめき出した時刻。名前は俺と距離をとって、あのオブジェの下に行った。今やから思う。もしかしたら、名前はあのオブジェが落下してくることを知っていたのかもしれない。だとしたら、俺が近づこうとしたときに大声を上げたのも納得がいく。


「名前はあのオブジェが落下してくるの、知ってたん?」

「……なんて言えばええかなぁ」


さっきから目線が合わない。じっと見ても、一切俺の目を見ようとはしない。業を煮やして、顔をつかんで無理矢理視線を合わせる。


「ここまで来たんや。はっきりしてや」

「いひゃい」


尖らせた唇を小さく動かして、名前は俺を睨んで抗議した。手を離すと、観念したのか、頷いた。


「正確に言うと、オブジェが落ちてくるんは分からんかった。ただ……ただ、な」


また視線がずれる。


「……ただ、死ぬのは知っててん」


言葉を出そうとして、出せなかった口がぽかんと開いた。
死ぬの、知ってたん? 死ぬことを、知ってたん? どういうこと? なんで? なんでそんなこと知っとるん? 神のお告げとか正夢とか? なんで知ってるのに、俺のこと誘ったん?
尋ねたいことが一気に溢れてきたけど、結局口と喉は思うように動いてくれなくて、あ、とか、な、とか一文字しか出てこなかった。情けな。


「……あかんわ。理解追いつかん。全部話して。名前の知っとること、全部」

「……でも」

「でもやない。話せや」

「……強引やな。昔はこーゆーの亮ちゃんの役目やったのに」


そう軽口を叩く名前の目は笑っていなくて、不自然な笑顔だった。お化け屋敷のあの受付係の女が思い浮かぶ。まるで、死人のような。


「私な、……分かっとる、ちゃんと言うて……。


私な、来週の月曜──十五日の十八時に、死ぬ」


クーラーの風に煽られて、ルーズリーフが机から落っこちた。