一人じゃないよ



「…………意味分からん」

「意味わかんないよな。分かる」


ついに言ってしまった、と言うように笑う名前はさっきより柔らかい雰囲気を纏っていた。対照的に、俺は体が石になったように動かへん。
クーラーの効いたこの部屋が寒いのか、肌には鳥肌が立っていた。落ちたルーズリーフを名前が拾い上げる。


「私は、八月十五日の十八時に絶対に死ぬ。そして、その記憶を持ったまま今日──八月九日に戻ってくる」

「……な、んやねん、それ。そんな……」


ここでハッと気付く。名前が変に冷静な理由。


「名前は、何回もそれ経験しとるん?」

「あぁ……この前の日曜日で、10回目だったかな」

「おまっ、じっ……なんでそれ言わへんねん!」

「……言ったところで信じられる? 忠義は、知らなかったんだよ、このこと」


射抜かれるような鋭い視線で名前は俺のことを見た。
……確かに、そうや。俺はあの時何も知らんかった。だから、なんで急に尋ねてきたのか疑問だったし。何も知らなかったら、こんなこと信じられるわけない。急に来て、何嘘ついとるんや。くだらな、と言って終わりだったと思う。
でも、こんな、あんな体験もう名前は10回も経験しとるんや。知らなかった。いや、知らないのは当たり前や。だって、俺は初めて──


「……うっ」


オブジェがぐらつく。その下にいる名前は目を瞑って、まるで聖母のように柔らかい微笑みを浮かべていた。そして、オブジェが名前に襲いかかる。耳もとに残る嫌な音。舞う土埃。何もかもが真っ赤やった。
ぎゅっと右側に体温を感じた。


「……ごめん。ほんまごめん、忠義。嫌な思いさせちゃって、ごめん。巻き込んじゃって……一回だけだって。こんなことになるって思わへんくて……。私がわがままなことしたから……」

「……っ、へーき」


確かにショッキングな映像が未だに脳裏にこびりついているくらいには、トラウマもんや。多分これは忘れられるわけない。
でも、名前はもうそれを10回も経験していて、10回も死んどる。だからこそ、あの言葉が出たんや。死者って妖魔なのか。黄昏時に死ぬ名前は確かに死者やった。時計の針がまっすぐになったと同時に名前は死者になる。でも、死者になった途端に九日に戻ってきて、名前は生者になる。だけど、未来が確定している名前は自分のことを生者とは思うこと出来ひんかった。だから、あの発言。


「……でも、なんでこんなことが起こっとるん? 名前、なんかしたん?」

「……分からへんの」

「分からへんて」

「……その部分だけ、……記憶がなくて」


しゅんとする名前の頭に手を置く。気付いたら手を伸ばしていた。そっか、としか言えへんかった。
自分が死ぬことが分かっとる状態で、10回死んどるんやもん。俺なら絶対心が折れる。だからこそ、あの日、俺のところに来たんかな。限界だったんかな、助けてって。




「まあ、いわゆるタイムリープってやつなんかなぁ」


気を取り直して、もう一度あの日のことを思い出す。この現象はタイムリープと言うらしい。タイムトラベルとはまた別もんなんやって、名前は言った。もう10回も同じ毎日を繰り返しているのだから、検索しては覚えて、また次のタイムリープで前回わからなかったことを調べる。それが日課になっていたらしい。夏休みでよかった、と名前は言った。同じ授業を何回も受けるのは確かに苦痛や。


「そういや、死ぬことはわかってるって言うたやん? オブジェが落ちてくるのは分からへんかったんやな」

「うん、そう」

「じゃあ、確実に分かるのは十五日の十八時に死ぬってことだけ……。死に方とかって覚えてる?」

「えっ……言わなあかん?」

「……一応?」


なんかの決まりがあるかもしれへんやんか。そう言うと、名前は苦虫を噛み潰したような顔をして唸ったけど、覚悟を決めたのか話し出した。
大体は交通事故。1回目の時は階段につまづいて転がり落ちて、頭を強打。4回目の時は山の祠にお祈りするために山に行って土砂崩れに巻き込まれた。5回目で外に出ないで死なない状況を作ればいいと考えたらしく、部屋の中にいたが心臓発作であえなく死去。6回目からは死ぬことが分かってるからと、好きなことをしていたら、大抵十八時になった途端に車に轢かれたらしい。


「悲惨や」

「やろ? しかも共通点もないし、確実に十八時になったら、なんかが私を殺しにくるん」

「そん時どうしてん」

「あー、死んだなぁって。最初は怖くて怖くてたまらなくて、どうにか避けようと思ったよ。痛いし。絶対に死なないようにしないと、って周りを見て慎重に過ごしてたんやけど……脱線した電車が私のこと襲ってくるんだもん。どうにも出来んわ」


そんなの大事故やんけ。


「てか、そうやん! そんな事故とか目の前で起こったら、周りの人とか…………あっ」

「せやねん。忠義も見たやろ? 私が死ぬ時刻になると、私の周り誰もおらんくなんの」


あの日の遊園地。閉園時間前なのに、エントランス前の広場には不気味なほど人がいなかった。せや、生き物の気配がなかった。真夏の夕方っていうても虫とかは飛んでる。なのに、それすらなかった。あの空間に生あるものがいることを拒んでるみたいに。


「じゃあ、なんで俺はあそこにおれたん? それに、なんで俺もタイムリープしたんやろ?」

「わからへん……。ほんまごめん、巻き込んだ……」

「それはもうええねん。こっからは俺が一緒に助かる方法探す」


そう言うと、名前の瞳がうるうるしてきて、次第に涙が滲み出た。怖かったんやろうな、一人でずっと何回も生と死を繰り返してたんや。計り知れない恐怖がそこにはあったと思う。
胸に飛び込んできて、わんわん泣く名前の頭を撫でながら、俺は一つの決意をした。絶対に死なせへん。

一緒に八月十五日を乗り越える。