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「すみません。この辺りって交番ありませんか?携帯落としちゃって…」
「えっ…本当ですか?」
「あっ、怪しい者じゃないです!すみません…」

スーパーの帰りに後ろから声をかけられたと思ったら、何とも気の弱そうなサラリーマン風のお兄さん。新社会人なのか、初々しさが残るスーツ姿と申し訳なさそうに眉を下げる彼に私は気を抜いてしまった。

「交番でしたら、駅前の通りに」
「そうでしたか!ありがとうございます」
「いえ。届いてると良いですね。それじゃあ」
「ありがとうございました!」

にこりと微笑みを浮かべた彼はくるりと背を向ける。私も早く帰ろうと歩を進めれば、下卑た笑いがそこらに響いた。思わず振り返ると、先程の様子とは打って変わって裂けるんじゃないかという位、口を大きく開けたお兄さんがいた。

「だめだよぉ。僕にそんなに優しくしちゃア」
「っヴィラン!?」
「だぁめ。逃げないで、僕と遊んで?」

咄嗟に逃げ出そうとするものの、脚が何かに縫い付けられたかのように動かない。こいつの個性か、と思った時には彼の顔が寸前まで迫っていた。大きな口からよだれをだらりと垂らした男ははぁはぁと生ぬるい息を吐いては血走った眼で私を捉える。しゅるりと音を立てて引き抜かれたネクタイは私の腕に巻き付けようと動かされていた。それを予測した瞬間、寒気が体中に走った。

「きっ、もちわるいなぁ!!」

力いっぱい殴りつけてみても足が動かないせいで逆に腕を掴まれてしまう。ぎりぎりと掴まれた腕が悲鳴をあげた。買い物袋が嫌な音を立てて地面に落ちる。そんなことには気にも留めずに迫ってくる男は自身の下半身に手を伸ばしていた。ジィっとファスナーが下りる音がする。何をされるかなんて、子供じゃない私にはすぐにわかった。
こういうときは、と訓練で習ったことを活かそうとしても徐々に体は動かなくなっていく。関節が曲がらない。力が入らない。立っているのがやっとなくらい、力が抜けていく。あぁ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!!


「おい」
「はぁあ…っあれっ?…あれっああ、ああああッ!!」
「とりあえず寝てろ」

聞きなれた声がしてきたと思ったら、目の前の男は言葉通りに横に吹っ飛んでいった。ぽかんとしていると、見慣れた武器で男を縛り上げるヒーローの姿。

「あい、ざわせんせい…」
「…名前じゃねーか」
「びっ、くりしたぁ…」

先生が助けてくれたと分かったのに、なぜか笑いが零れる。それは全て乾いているみたいに空っぽだった。相澤先生は眉を顰めながらこちらに近づいてきた。

「お前何してる」
「買い物帰りに、声かけられて…普通の困った人だと……」
「何かされたか」
「触られたりはしてないんですけど、あ、いや腕掴まれたけど……脚、うごかなくて。たぶん、奴の個性…あはは、はははは」
「おい、おちつけ」
「なんか、こんな怖いんですね…やばい震えてきた……っは、ははは」

震えを止めたくて自分を抱きしめれば、余計に体は言うことをきかなくなった。相澤先生はがしがしと頭を掻きながら奴を改めて見つめる。

「…こいつ初犯じゃねぇな…」
「えっ、?」
「確か命令に従った相手の動きを封じるとか…心操の下位互換みたいな個性のやつだ。お前、こいつの命令きいたのか?」
「えっと……道を教えてほしいって…そんなのも?」
「とりあえず警察だな。事情聴取されるだろうから、ちょっと待ってろ」
「は、い……すみません……ありがとうございました…」

冷静な相澤先生の言葉は頭の中に入ってくるけれど、浸透してこないみたいだった。ぐわんぐわんと変な音が響き渡っているみたいに思考が安定しない。怖かった。まだ体は震えている。あの時、先生が来なかったら私はどうなっていたのだろうか。最悪、殺されたり…?良かった。先生が来てくれて。あぁ、でもまだ体は強張ったままだ。
ぐるぐると目の前が回ってるみたいになっていた私の頭に温かいものが触れた。



「安心していい。もう大丈夫だ」



いつものあの怖い笑顔じゃなくて、穏やかな笑みを少しだけ浮かべる先生。少しびっくりしたけれど、その言葉に緊張がストンとそぎ落ちたみたいに無くなった。

そういえば、合宿の時にマスクの男に連れて行かれそうになった時も助けてくれたのは相澤先生だと上鳴が教えてくれた。本物のヒーローだ。

「せんせ、い」
「なんだ?」
「私が、またヴィラン連合に捕まりそうになったら、よろしくお願いします」
「…あぁ。自分で対抗できるよう、鍛えてやるよ」
「そっちかぁ…ふふ、お手柔らかにお願いします」

ビシバシ鍛えられるんだろうなと目をつむる。いつのまにか震えは止まった。遠くでサイレンの音がする。私は立っている相澤先生の足元でしゃがんでいて、少しだけ触れた先から彼の体温を感じた。



           


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