ふと、カウンターのほうが騒がしくなったのでふたり同時にそちらを見た。 「ふざけないでよ!」 金髪の女が椅子から立ち上がって手を振り上げている。その手がカウンターに座っている男に向って振り下ろされ、バシンと乾いた音がした。 リリアンは思わず肩をすくめて 「うわっ」 と小さい声をあげる。 リリアンたちからは背中しか見えない金髪女が声を荒げた。 「図書館で5時間も恋人ほっといたあげくめんどくさいってどういうことよ!」 カウンターに座っている男が、それこそめんどくさいとハッキリ顔にだしたまま口を開く。 「いつものことだろ」 「そうよ! いつものことよ!」 肩で息をしている女は、随分とお怒りのようだった。 「 怒鳴られた男は心底うるさそうに眉を顰めた。 「そうかい。じゃあとっとと消えろ」 「言われなくてもそうするわよ! 最低っ! この自己中男! 噂以上だわ!」 さよなら! と捨て台詞を残して女が去っていく。残された男は頬を腫らしたまま、何事もなかったようにタバコに火を付けていた。 ずいぶんな長身で、おそらく190を越えているだろう。逆三角形を描いた体躯は服の上からでも鍛え上げられていることがよくわかる。彫りの深い顔立ちと太いキリリとした眉も相まって非常に男クサイ風貌だが、切れ長の目を覆うまつげは非常に長い。洗練されたシルエットは古代ギリシャの彫刻がそのまま動きだしたような印象を受けた。 ドリーがリリアンの服の裾を掴み囁く。 「ね、タカヒロ・ニシノでしょ。アレ」 「うん。またフラれたんだ。あの 名を西野隆弘という男は日本人とイギリス人のハーフだ。父親は日本の複合企業社長、母親はイギリス人貴族の娘という今時漫画でも出てこないような典型的御曹司である。恵まれた体躯と容姿、ついでに非常に恵まれた家庭環境のため ドリーがビールを少しだけ飲む。 「まあ2ヶ月なら長く持ったほうよね」 リリアンもスコッチを飲んだ。 「最短3日だって話だよね」 「私当日って聞いたわよ」 「なにそれマジで?」 リリアンがポーチを探り始める。 「西野隆弘って絶対ホモだよ。そんで意中の相手が振り向いてくれないから女に走ろうとしてるんだけど結局ダメ系の俺様誘い受けだよ」 ドリーがため息をついた。 「私アナタがなにいってるかちょっとよくわからないわ」 彼女の顔には『呆れた』とハッキリ書いてある。オーバーに肩を竦めていた。こういう話題になったときのお決まりのリアクションだ。ビールを片手にドリーは更に言葉を続ける。 「アナタ長期休暇の時もギリギリまで日本でその手のコミック買いあさってたとか言ってたわよね。本当わけわかんない思考回路だわ」 「買っただけじゃないですー! 夏コミで新刊完売しましたぁ!」 「えっ! 聞いてないわよ! どういうこと!? すごいじゃない! おめでとう!」 呆れたという態度をとりつつ祝福してくれるあたり、彼女は優しいのだろうとリリアンは思った。 「自費出版だよ。私の部屋に薄い本いっぱいあるでしょ」 「えっ、ああ……そういうこと。私てっきり漫画家になったのかと……あんなもの自分で描いてるのね……これで 「んふふふー! 羨ましい?」 「うるさいわね」 ドリーが肘で小突いてきたのでリリアンは笑顔でスコッチのグラスを避難させた。それからポシェットの中に目当ての小瓶を発見し、テーブルの上に置く。15g入りの胡椒だ。自分のポテトの表面にまんべんなくふりかけたあと、ホクホクと湯気の立つポテトを口へ放り込む。バターと胡椒がポテトの味を引き立てていた。舌に胡椒の粒が当り、ほどよい刺激を与えてくれる。もう少し胡椒が必要かなと思い、瓶を手にとった。ドリーがリリアンの腕を掴む。 「それ以上は身体に悪いわよ」 「止めないでー! 味が薄いと死んじゃう病気なのー!」 「聞いたことないわよそんな病気」 リリアンがポテトを見ていると、ドリーに腕を軽く引っ張られた。 「ねえ、タカヒロが見てるの、ミック・カーシュじゃないの? セント・キャッツに住んでる」 「え? っていうかまだ 「ちょっと気になっちゃって。ミック・カーシュってミュージシャン志望の『ハウス』卒業生でしょ」 しおりを挟む目次 戻る [しおり一覧] |