視界、遮断

 価値観が同じって大切な事よねえ。あの旅でつくづく実感。ほんと、自分が正しいと思い込んでいる人ほどタチが悪いわ。違う意見を聞こうともしないし、認めようともしない。



  視界、遮断



 「ふられたな、ジェイド」

 マルクト帝国の主は笑いながらそう言った。だが、その目は温度を感じさせるような色はなく、声には嘲笑すら混じっていた。

 「ええ、思いっきり。情け容赦なくふられました」

 軍人は眼鏡を押さえながら事務的に答える。

 かつての仲間であり、外殻降下作戦の英雄は己の過去を全て葬り去った。それはもうさっぱりきっぱりと。その潔さは「過去は捨てた」と公言して憚らなかった、どこかの赤毛の青年に聞かせてやりたいくらいだ。

 ジェイドは一週間ほど前、出発の挨拶の為ピオニーと会見した時の事を思い出していた。彼の国の主は、退出間際のジェイドに向かって意味深な事を呟いた。

 『・・・会話なら出来るかもしれないな。会話だけ、ならな』

 ジェイドはただの独り言だと受け流したのだが、あれはこうなることを見越しての言葉だったのだ。

 ピオニーはとうに気が付いている。彼らと彼女の認識が完全にずれている事を。

 一例をいうならば。
 彼らは「誠意を持って謝罪すれば全てが許される」と考えている。だがそれは正確には「謝罪をされた側は、どのような理由であれ絶対に許さないといけない」という事である。

 何事にも限度というものがあり、その許容範囲は人それぞれで個人差がある。ジェイド達はそれらを全く考慮せず、全部己の基準に当てはめてしまうのだ。
 彼らは世間知らずの上視野が狭く、想像力も常人と比べてかなり劣っている。しかも最悪な事に、彼らにその自覚が無い。自分が正しい、自分が正義だと信じて疑っていないから、異なった意見や彼らの意に沿わない意見を述べたりすると徹底的に非難し排除するのだ。

 それを強要されたシアは堪った物ではない。
 彼女の意見は「我侭」「よく考えもせず口先だけ」だと問答無用で却下される。普通なら簡単な謝罪で許されるようなミスでも彼女が犯してしまった場合だと、謝罪だけではなく、行動を示さないと皆が納得してくれないときている。不満をぶつけようにも多勢に無勢「己の罪を認める事が出来ない最低な人物」の烙印を押されてしまう。
 幸い、シアの精神が彼らより遥かに大人で我慢強かった為、今までは何とか都合よくあしらう事が出来た。彼女にしてみれば「もう二度と彼等と行動を共にしたくない」というのが正直な気持ちだろう。

 しかしそれを教える気はピオニーにはない。これは本人が気付かなければならない事なのだ。でなければ彼らは同じ過ちを繰り返す。

 彼の皇帝はおもむろに口を開いた。

 「ちゃんと訓練を受けた専門の方々が動かれるほうが状況は改善される、か。確かにその通りだ。今まではリングの操作で彼女の力が必須だったが、これからはそうじゃない。実戦で鍛えられたとはいえ、元は嗜み程度しか剣術を習っていない、軍人でもない女性だ。数ヶ月前まで屋敷から外に出た事もない、深窓の令嬢を前線に立たせたなど国民が聞いたら、国や軍は何をしているんだって批判が来るぞ」

 そうして、マルクトの皇帝は今までの明るい口調をガラリと変え、絶対零度の声で言い放った。

 「それとも我が軍は、他国の、ずぶの素人である貴族の姫君に頼らねばならないほど軟弱者ぞろいだとでもいうのか?」

 謁見の間に水を打ったような静けさが広がった。

 「・・・我々の面目丸つぶれですな」

 暫くしてノルドハイムが呟いた。

 「本人の希望通りそっとしておいてやれ。彼女は自分の足で歩き始めたんだ。それを止める権利は俺達にはない」
 「はい」
 「聞いたとおりだ、ガイラルディア。彼女、シアはもう誰の手も必要としていない。遠くでそっと見守ってやるんだな」

 「陛下、しかしそれは!ルークはまだ世間知らずの子供ですよ?誰かがサポートしてやらなきゃ、それに俺がいないと何をしでかすか・・・!」

 焦ったような口調でガイは必死になって訴える。実際のところ、サポートを必要としているのは彼女でなく、彼の方であろう。本人にその自覚はないだろうが。

 「シアは誰の手も借りず家を借り、職を見つけ立派に生活しています。私達よりずっとしっかりしていますよ」
 「で、でも、そりゃ今は良いかもしれないが」

 なおも食い下がろうとするガイに、ジェイドは溜息交じりでこう答えた。

 「彼女はこうも言いました。ガイはきっと今は偶々上手く行っているだけだ、先はどうなるか分からない、と真っ向から自分を否定して認めようとしないだろうって。本当にその通りですね」

 そのジェイドの言葉にガイはうっと詰まった。

 「ガイ。いい加減シアに対して、失敗は当然上手く行けば偶然だ、という先入観を止めませんか。彼女はもう自立した大人です。それがあるからシアはあなたを頼ろうとしないんですよ」

 「ジェイド」

 それ以上口にする前にピオニーが止める。

 「失礼しました」

 「ガイラルディア、これは命令だ。ケセドニアに行く事があっても、シアに“ルーク”と呼びかけることは許さん。彼女はもう“ルーク”ではない。仮に会ったとしても只の通りすがりの旅人、もしくは客として振舞え、いいな」

 「・・・はい」

 渋々、といった感じでガイは了承する。だがピオニーは彼女をルークと呼ぶなと言っているだけで、会うなとは言っていない。恐らく、すでに彼は頭の中でケセドニアに行く予定を立てており「会って話せば・・・」と考えているだろう。暫くの間、自分がガイの行動をチェックしないといけないな、とジェイドは考えた。最悪の場合、彼は彼女の意思を無視してグランコクマに連れて来かねない。

 彼女はマルクト市民ではない。キムラスカの人間だ。マルクトの伯爵が、キムラスカの未婚の女性、しかも未成年を拉致したとなれば確実に外交問題になる。その様な事が公になれば、キムラスカも黙ってはいまい。

 ちらり、と皇帝を見ると彼もピンと来たようだ。目で「そいつを暫く頼む」と訴えられる。ジェイドは、ガイに気付かれぬよう溜息を吐きながら頷いた。








 「シア。あの軍人さんとあの後どうなった?」

 ジェイドと会った翌日。仕事が終わり、同僚と夕飯を食べようと近くの食堂に入り、席に着き注文をしたあと直ぐにこの会話になった。さてはこれが目的だな。

 「何にもないわよ。私が前居た所の貴族のお嬢様目当てなんだから。私がその家を出た、と知ったらあっさり帰っちゃったわよ」
 「何だ。ちょっと良さげな男だったのに」

 彼女はエリー。主に軽食担当している。年齢は私より一つ上の十八歳。ナタリアと同い年だが、しっかり度は彼女と比べものにならない。比べる方が酷だけれど。さっぱりとした性格で人見知りをしないので話しやすい。

 両親は健在、アスターさんのところで働いているそうだ。ちなみに私、ケセドニアに来てからアスターさんに会っていない。公爵家の人間として此処に滞在するのなら挨拶に行かなきゃいけない―ああ私が公爵令嬢の場合、あちらの方が来るのか―のだろうけれど、今は何の関係もない一般人だしねぇ。私が大っぴら動くとファブレの家も困るだろうし。

 「それに彼、マルクト皇帝の側近の一人よ?付き合えるわけないじゃない。身分違いよ」
 「ええ、そんなに偉い人だったの?って、何言っているの。あんた貴族の娘なんじゃない」

 私はキムラスカのある貴族がメイドに手をつけて産ませた娘、ということにしている。これはよくある話だし、第一馬鹿正直にファブレ家の公爵令嬢でしたなんて言ったら、絶対に就職出来ない。

 「元、よ。あのね、私その貴族の家からお前はこの家とはもう何の関係もない、名前も出すな、って追い出されたの。もう貴族でも何でもない一般人なんだから。結婚したって妻と認められず、籍だって入れない。愛人にしかなれないわよ。私愛人よりもちゃんと奥さんにしてくれる人の方が良いわ」

 「え、私達貴族の奥さんになれないの?」

 「そ。私らは所詮愛人か側室扱い。で、結局男は周りの声に耐え切れず、何処かの貴族を正妻にもらってさ。その後は転落人生よ。で、その正妻に苛められて身包み剥がされて追い出されるの」

 「うわ、最悪。大人って汚いって言いたくなる世界」

 「そそ。上にいけば行くほどその家のメイドもお高く留まっているし。主が偉いのであってお前は違うだろ、ってね。絵本に憧れているぐらいが丁度いいわよ」

 「えらく実感篭っているわね。さらっと毒舌」
 「色々とあったのよ、色々と」
 「いいわ、焦って変な男捕まえたらシャレにならないしね〜。給料が出たんだからどんどん食べましょ」
 「そうしよ。あ、きたきた」

 ほんとはこの間ジェイドと行ったお店に行きたかったのだけれど、予約が一杯って言われて無理だった。

 ・・・・・・はっ。

 あの眼鏡、まさかピオニー皇帝の名前使ったのではないでしょうね。