アネモネ 後編

 「お前たちか。親善大使暗殺を手助けした痴れ者の集団は」

 そう目の前の皇帝に言われ、自分達を取り囲む視線が友好的ではないことに、彼らはようやく気が付いた。



  アネモネ(後編)



 「何という言い草ですの!我々に対する侮辱ですわ!折角私達が世界の危機を報告しに来たというのに」
 「そうよ!濡れ衣もいいところだわ!!」
 「そうですよぉ。第一あの犯罪者は超振動でパッセージリングを破壊してアクゼリュスを崩落させたんですよ」
 「ええ、あのレプリカは超振動の使用に身体が耐えられなくて死んだんです!自業自得ですわ。それよりセントビナーを・・・」

 皇帝に謁見しているというのに、挨拶もせずしかも発言の許可を得ている訳でもないのに、好き放題に口を挟む彼ら。そして彼らの傍にいる皇帝の懐刀はそれを咎めようともしない。ちなみに頭を下げていたのは、彼らと行動を共にしていたアッシュだけである。

 ピオニーの傍に控えていたフリングスが口を開く。

 「ここにおわすお方はマルクト帝国ピオニー・ウパラ・マルクト九世陛下であらせられます。挨拶の口上を述べる前に抗議するとは何事か、この無礼者たちが!身の程を知れ!!」

 宮殿を揺るがすような大きな声で怒鳴られ、ようやく自称親善大使一行は自分達の非礼さに気がつく。そして慌てて跪いた。しかし。

 「お言葉ですが、失礼なのはそちらでしょう。私達が親善大使暗殺に関わっているなど、そんな馬鹿馬鹿しい事を言うから・・・」

 だから礼儀を払う必要はない、と判断したというのか。人に会った時はまず挨拶をするのが常識だろうに。それ以前に相手は皇帝だ。身分というものが違う。本来なら導師イオンとナタリア王女以外会話は許されない。
 その当たり前の事に気が付かない、自分は正しい非があるのは相手だと、何の疑いもなく思い込んでいる教団の軍人が言葉を紡いでいた。

 「流石ファブレ邸襲撃犯。あのヴァンの妹だけはあるな。挨拶も自己紹介もしないばかりか、こうも己に都合よく犯した罪をすり替えてしまうとは」

 顔に嘲笑を張り付かせたピオニーが、全く温度を感じさせない声で言い放った。

 「なっ・・・!!」

 「王族の屋敷を襲撃するなど、どの様な理由があろうともマルクトでは死罪ですよ。これはキムラスカでも同じ事ですが」

 フリングスの口調は全てを凍てつかせる、冷え切ったものだった。

 「そ、それは・・・、で、でも私は兄さんを止めるためにどうしても」
 「どうしても必要だった?さっき言ったでしょう。襲撃したとの事実があればいいのです。理由などいりません。噂通り頭の弱いお方ですね」

 クスッとフリングスは笑う。彼女は怒りと屈辱で身体を震わせた。

 「セントビナーの事ですが、住民の避難は済んでいます。あなた達が無駄に世界をぶらついている間に全て終了しているのですよ」

 皇帝もマルクトの将官も、今更何を言っているんだとでも言いたげな表情だった。元、親善大使一行は自分達で世界を救おうという崇高な目的でグランコクマにやって来たのだろうが、如何せん報告に時間が掛かりすぎた。国家が本気になれば個人の情報収集能力など紙屑にも等しい。
 それより何故鳩を使ってセントビナーの事を報告しないのだ。そちらの方がグランコクマの宮殿に来て直接説明するより早いだろうに。

 「セントビナーの件は分かりました。ですが、親善大使暗殺の手助けとはどういう意味です。彼は超振動の使用に耐えられず命を落としたのだと私達は理解しているのですが」

 ここにきてようやくジェイドが口を開いた。

 「私の隣にいるルークも言っておりました。ヴァンはあのレプリカを操ってアクゼリュスを崩落させるつもりだと。彼が言うのですから間違いはありませんわ!そうですわよね、ルーク」

 そう言いながら、ナタリアはアッシュに視線を向ける。ピオニーが口を開いた。

 「貴公がオリジナルルークか。ではそなたに聞こう。先ほどナタリア殿が言われたことは本当か」
 「はい、間違いありません」
 「ほら、御覧なさい」

 ナタリアが勝ち誇ったように言う。

 「ですが、私が言ったのはあくまでヴァンの目的であり、現実に起きた事ではありません。それをお間違えなきよう」

 そのアッシュの言葉にナタリアだけでなく、他の人間も目を剥いた。

 「何を言っているの?だからアクゼリュス崩落したんでしょう?あのルークが超振動を使った事によって」
 「俺が言ったのは、ヴァンの目的だ。これを話した場所は坑道の中でセフィロトじゃない。話す事によってヴァンの計画を止めるように促しただけだ」
 「でも事実そうなったではありませんか」

 あのジェイドですらしつこく食い下がる。

 「確かにパッセージリングは消滅した。だがそのリングの前にあのレプリカはいなかった」

 アッシュは淡々とした声で宣言した。

 「え?」

 僅かだが動揺が走り始める。

 「導師イオン、このあたりの事情は導師が詳しいだろう。ご説明願えるか」

 ピオニーが導師イオンに声を掛ける。

 「私はヴァンに云われるがままダアト式封咒の掛かった扉を開き、セフィロトまで行きました。けれど途中、ルークと合流する事はありませんでした」
 「ほう、では親善大使殿は何処に?」
 「分かりません。ヴァンは相当焦っていました」

 途中守護役から「何を言っているんですかぁ、イオン様ぁ」との声が入ったが、導師イオンもそしてピオニーもそれを無視した。

 「セフィロト内での待ち伏せ、は無理だろう。扉は開かれていなかったんだし。で、どういうことだろうなぁ」

 焦りの色を隠せない仲間達。あのジェイドですらしきりに眼鏡を触っている。

 「リングの前にいなけりゃ破壊出来ないよなぁ。でもお前たちはあの“ルーク”が超振動を使ってリングを破壊しアクゼリュスを崩落させたと言っているよな、どう云う事だこれは。俺たちに分かるよう説明してくれるとほんと助かるんだが」

 ピオニーは、おたおたと落ち着きが全く無くなった、自称親善大使一行を眺めながら言った。

「え、遠隔操作ですよぉ、きっと!」

 導師守護役が突拍子もないことを言い出した。何が何でもルークがリングを破壊した事にしたいようだ。

 「リングが直ぐ傍にあるというのに、何故遠隔操作なんてする必要があるのです。彼はそんなに超振動の使用に長けていたのですか?第一そんな事が出来るのなら、セフィロトに、いえアクゼリュスに行く必要はないでしょう」

 フリングスが冷静に指摘する。

 「え、で、でも私達アッシュが言ったから、そう、信じて・・・」

 往生際が悪い。彼らはまだ自分の犯した事を認めようとしない。

 「信じるのは構わないが、その裏づけはちゃんととったのかお前らは」

 そのピオニーの言葉に誰も是とは言えなかった。すると彼らは驚いた事に矛先をアッシュに向け始めた。

 「酷いよ、アッシュ!私達を偽の情報で信じ込ませるなんて。もうサイッテー!!」
 「そうよ、私達を騙すような事を言うなんて!」
 「ルーク、私はあなたの婚約者ですのよ。あなたの云う事を信じるのは当然でしょう?」

 勘違いしたのは自分達だろうに。彼女らの身勝手な言葉に、謁見の間に居る警備の人間も含め全員が唖然とした。

 「俺が言ったのはヴァンの目的であって現実に起こった事じゃない。情報を自分に都合よく捻じ曲げるな。それと」

 アッシュは今迄ナタリア達に見せた事が無い、凍りついた瞳で彼女達を射抜く。

 「俺は六神将鮮血のアッシュだ。敵だったんだ。散々お前たちを妨害し、危害を加え果ては殺そうとさえした。その俺を何でそうあっさり信じる?今までずっと一緒に居た、ルークの事よりも」

 「でもあれはレプリカです。私達を謀った大罪人です。あなたが本物のルークですもの、あなたを信じるのは当たり前の事ですわ」

 さも当然、とでも言うかのようにナタリアは平然と告げる。

 「ナタリア。お前は俺がオリジナルルークだとユリアシティで宣言するまで、すり替えられていた事に全く気付いていなかっただろう。それに何故お前は七年間婚約者として接してきたあのレプリカを、そう簡単に切り捨てる事が出来る?何故あいつの死を悼もうとしない。花すら手向けなかったな。これはお前に限った事ではないが。これは人として常識を疑うぞ」

 「!!」

 その言葉を受け止める事が出来ず、よろめくナタリアをダアトの軍人が支える。「何て酷い事を言うの」「今はそんな事をしている場合じゃないでしょう」「ルーク酷い」と女性陣が口走っているがアッシュはそれを無視した。

 「陛下、私の推論を述べても構いませんか」

 アッシュはピオニーに向き合い発言の許可を請う。

 「かまわん。何だ」
 「ファブレ家は政敵が多い。これはご存知でしょう」
 「ああ」
 「当然反ファブレという人間は大勢います。それとは別に和平反対派も多い」
 「そうだな。マルクトでもキムラスカと開戦すべし、との声は今だにある」
 「ファブレの人間が親善大使という晴れやかな任務を遂行するのは許せない。マルクトとの和平などあってはならない。アクゼリュス慰問が失敗すれば和平はなくなるし、ファブレの名誉も地に落ちる。そう考える輩が強硬手段に出る可能性は充分考えられます」

 「・・・で?」

 「一番簡単なのは親善大使暗殺ですね。マルクト軍支給のナイフか何かで殺害し、凶器を現場に残せば、マルクトの和平は偽りだと判断され戦争が起こるでしょう。単純ですが効果は絶大です」

 此処まで来ると、男性陣は気が付いたようだ。小声で「ル、ルーク・・・」と呟きながらガイがガタガタ震え始める。・・・もう手遅れだが。

 「アクゼリュスは混乱の極みだったようだしな。いちいち身元の確認なんかしていられない。一人二人怪しい奴が入り込んだって分からない」

 「じゃあ、ルークは・・・」

 真っ青になってアニスが声を出した。

 「そうだ、親善大使は暗殺された。今回の和平を快く思わない輩にアクゼリュスにて」

 かつての仲間は全員息を呑んだ。

 「だから、私達が暗殺を手助けしたと、そういう事ですか・・・」

 ようやく全てを悟ったジェイドがポツリと呟いた。

 「そんな、私達は暗殺になど関わっていません!そもそも自分勝手な行動をとったルークが悪いんだわ!!」

 もう誰も彼女に反論する気がなかった。相手にするだけ無駄というものだ。

 「ティア。あなたの任務はルークの護衛、でしたよね。そしてガイも。アッシュがユリアシティで私達全員に訊ねていたでしょう、アクゼリュスに着いてからルークがどこにいるのか把握していたのかと」

 そのジェイドの言葉に全員がハッとなる。あれはアッシュの単なる気まぐれではなく、事情聴取であったことに今気が付いたのだ。

 「全員の答えは同じだった。皆が皆、ルークが何をしていたのか知らなかった。自分達の手伝いもしないでその辺りをぶらぶらしていたんじゃないかと。そう、アクゼリュスで誰もルークの姿を見ていないんだ」

 アッシュは吐き捨てた。

 「親善大使の護衛どころか、この私達の行動は暗殺者に“煮るなり焼くなり好きにして下さい”と進んで差し出したようなものです。ああ言っておきますが、住民の介護で大変だった、というのは理由になりません。護衛が護衛以外の仕事をしてはなりません」

 そう言うと、ジェイドは俯いた。

 「お前も人のこと言えないだろう、ジェイド。覚悟は出来ているな」
 「はい」

 ジェイドは静かに頷いた。

 「キムラスカは、どう判断しておりますの」

 今にも倒れそうな顔色をしたナタリアがやっとの思いで口に出す。

 「キムラスカは、崩落と聞いて調査に乗り出しその時に親善大使の暗殺の情報を掴んだらしい。マルクトにとって幸運だったのはキムラスカ内部の犯行だと云う事だな。これに加担した人間は全員処刑された。連座制が用いられたから幾つかの貴族の一門が消滅したそうだ。後、お前らのバチカル出発からアクゼリュスに至るまでの親善大使に向けた無礼極まる態度、しっかりこっちに報告がきている。ああ大使の態度が悪かったから、何て言い訳は通用しないぞ。彼はそれが許される身分なんだから」

 しかしその言葉に納得しないのか、ダアトの軍人が反論する。

 「陛下はあのルークの態度を知らないからそんな事が言えるんだわ!あんな彼が親善大使なんて・・・!」

 ピオニーは溜息を吐いた。彼女は自分が只の一兵卒なのだという自覚は全くないようだ。もう指摘すら馬鹿らしい。

 「お前は軍人でありながら、王族という身分を、いや世の中の仕組み自体理解していないのだな。軍人は王族より偉いとでも思っているようだ。しかも言葉遣いはおろか礼儀作法すら身に付けていないとは。ああそうか、自分はユリアの子孫だから何をしても許されると思っているのか。其れは済まなかったな。・・・ところでダアトの軍人教育はどうなっておられる、導師イオン?」

 「・・・申し訳ありません」
 「イオン様が謝られる事では・・・ひっ!」

 「黙れ、罪人風情が。汚らわしい!」

 フリングスが指揮棒をティアの目に突きつけたのだ。緊急時以外、皇帝の前で抜刀は許されないのでこういった形になる。

 「あなたのその目抉り取って上げましょうか?それともその煩い声を出せないように喉を焼きましょうか?どちらにしろ、あのルーク様が味わった苦痛とは比べ物にならないでしょうけれどね!」

 彼の言葉は冗談ではなく本気である事を悟り、ティアはがたがたと震え始めた。

 「フリングス」

 謁見の間が汚れるから他所でやれ、とピオニーは言葉を続けた。

 「失礼致しました」

 「続けよう。何でも預言ではルークの力で崩落する、となっていたそうだな。だが実際は違った。で、キムラスカは預言から道は逸れたと判断しマルクトと開戦はしない、と言って来た。その代わりマルクトとの国交は断絶する、と」

 「そんな・・・!」

 このような状態になって、和平は結ばれると思っていたのだろうか。

 「当たり前だろ。和平を頼む立場の俺の名代が、とこっとんキムラスカの名代を見下しているんだから。護衛すら放棄して。これはどちらにも言える事だが。ま、戦争にならなかっただけまし、というものだ」

 マルクトの皇帝は疲れたように、天を仰ぎながら言葉を紡いだ。

 「我々の処遇はどうなります」

 ジェイドが達観したような声でピオニーに訊ねた。

 「お前はとうに軍位を剥奪となっている。軍法会議待ちだ。他の方はそれぞれの国にご帰国願おう。ああ、其処のティアとかいう女、お前はキムラスカより身柄引き渡しの要求が出ている」

 ティアの顔が真っ青になった。どう考えても、この旅の労いの為に来いと言われている訳ではない事くらいは分かるのだろう。キムラスカに着いた時が己の命が消える時だと。

 「俺はどうすればいい。マルクトに留まるのかそれとも・・・」

 アッシュが疑問を口に出す。

 「タルタロス襲撃は大詠師モースの命令となっている。事情は聞くかもしれんが、おそらくモースの責任追及で終わる。お前もキムラスカから帰国命令が来ている」

 「そうか」

 アッシュもキムラスカに行く、と云う事でナタリアの顔がぱっと明るくなる。罰を受ける為の帰国なのだから喜ぶべき事ではないだろう。第一ナタリアでさえキムラスカに戻った後どうなるか分からないのに。
 このお姫様は、思考能力というものを何処かに捨ててしまっているのだろう。

 「俺たちにはやるべき事が残っている。ここから早く出て行ってくれ」






 帰国後、襲撃犯とファブレ家子息の使用人兼護衛騎士は死罪となり、その死体はイニスタ湿原に捨てられた。王女ナタリアは国王の命に背いて出奔した罪で庶民に落とされ、バチカル永久追放となる。ジェイドは軍法会議の結果死罪が言い渡され、翌日刑が執行された。
 導師イオンとその守護役はダアトに戻ったが、後に守護役のスパイ活動及びタルタロス襲撃の幇助が判明し、彼女もマルクトにて死罪となる。
 アッシュは外殻大地降下作戦の功労者として今までの罪は免除されるが、王位継承権は剥奪された。今はキムラスカの大使としてケセドニアに駐在している。
 ヴァンの身柄は降下作戦時に捕獲し、裁判の後死罪。そうして妹と同じくその死体はイニスタ湿原に運ばれ放置された。