道具が壊れたら修理する。
けれど、それでも直らなかったら?
瞳の中の輪廻
「ディスト!お願い、こいつを診て!!」
「あなたがお願いなんて槍が降りますね。ってシンク、あなた何抱えているんですか!!」
ディストが驚くのも無理はない。シンクはあのルークレプリカを連れて来たのだ。
「いいから早く!急に腹が痛いって言い出して。大したことないだろうと思っていたら、出血しているし、量も多いし!であんたが研究室に篭っている事を思い出して・・・」
「いいから早く、そのレプリカをここに寝かしなさい!!」
ルークの顔は真っ青だ。痛みが激しいのか呻き声しか出ていない。そうして二人が会話している間にもルークの足元に血溜まりが出来ている。
「腹痛と出血だけですか?他に症状は?嘔吐はしていませんか?」
「うん。他に症状はないみたい・・・。ねえ、一体これはどういうことさ!」
「だからこれから調べるんでしょう!服を脱がせますから手伝ってください」
思えばこの時、ディストはルークの身に何が起こっているのか分かっていたのかもしれない。シンクはディストに言われる通りに手伝う。
ルークの下半身は血だらけだった。ディストの顔色が変わる。
「・・・シンク、ココから先は私の領域です。部屋から出て行ってくれませんか?」
「・・・え」
「あなたも知っているでしょう?この“ルーク”は“女性”でもあるんですよ」
シンクは俯き悔しそうに唇を噛んだ。
そう、このレプリカは男でもあり女でもある、つまり両性具有者なのだ。
それとは別にしても、医者でもない自分が出来るのはここまでだ、と云う事も分かる。
「私に任せておきなさい。あなたは隠ぺい工作を。ここにレプリカルークが居る事を誰にも知られてはなりません。特にヴァンやリグレットには注意を」
「・・・分かっているよ。アンタに任せた」
そう言うと、身を翻し音もなく出て行った。
ディストは彼に了解の返事を返す事なく、治療に没頭する。シンクが再びこの研究室に顔を出したのは、五時間後のことだった。
「ルークは大丈夫です。出血が酷かったので増血剤を投与しておきました。暫くは絶対安静です」
そうディストが言うと、シンクはホッとしたような顔になった。ルークは、というと今眠っている。流石に顔色は悪いが、その表情は穏やかだ。
「・・・で、何だったの?このルークは。怪我しているようには見えなかったし、内臓疾患か何か?」
「疾患と言えば疾患ですが・・・」
あのディストが顔を曇らせ、言い辛そうにしている。
「はっきりしないね。うじうじしちゃってさ」
「事情を聞けばあなたもそうなりますよ」
ディストはこのシンクの様子を見て「ああ、彼は生まれて二年しか経っていなかったのだな」と改めて思った。女性の、しかも下半身からの出血と聞けば、大抵の人がピンときて口ごもるだろう。
「・・・流産したんですよ、ルークは。あの出血はその所為です」
「え?」
シンクが固まった。
「流産、というとあの赤ん坊が駄目になって、とかいう、アレ?」
「ええそうです。所見だと八週目くらいのごく初期ですね。この時期の流産は八割がた子供の方に原因がありますし、大体五人に一人くらいの割合で発生します。別に珍しいことではありません」
「それは分かったから。いや、それより流産ってことは父親がいないと出来ないだろ!まだあいつ結婚していないよね!相手は誰さ!」
「私が知る訳ないでしょう、そんな事。それより声を小さくしなさい。ルークが起きてしまいます」
慌ててシンクが両手で口を押さえる。幸いルークの眠りは深く、目を覚ましそうにない。
「・・・でもずっとこのまま、という訳にはいかないだろ?どうしようか」
「そうですね、ここは日当たりも悪いですし。こんな環境じゃ治るものも治りません。場所を移動します。・・・明日にでも」
「そんな早くいいの?」
「と言ってもルークに歩かせる訳ではありませんよ。その辺は色々と方法がありますし。とりあえず場所確保です。ここは拙い」
「どーすんのさ。キムラスカは無理だし、大抵の所はヴァンの息が掛かっているし。あの連中にバレるのも拙いだろ」
「ええ、非常事態ですから私のもう一人の幼馴染の力を借ります。彼なら大丈夫でしょう」
「!待って、アンタのもう一人の幼馴染って・・・」
マルクト帝国の主。確かに彼ならば・・・。しかしそうなると。
「私もあなたもヴァンを裏切る事になりますが。・・・宜しいですか?」
鋭い目でシンクを射抜く。後で、この時シンクが拒絶していたら即殺していた、とディストに告げられた。
初めて見る死神の顔にシンクは唾を飲み込む。
「そんな事は重々承知だよ」
「なら荷物を纏めてきなさい。絶対に周りに悟られないように。私も用意をしますから」
「人ン家にお世話になるのに手ぶらという訳にはいかないだろ?なにか土産になるようなものを見繕ってくる」
「頼みましたよ」
この時のディストはいつもと顔つきが違っていた。触ると火傷しそうなくらいに荒みきっていた。あのシンクでさえ、文句を言わせないオーラを放っていた。
しかしその理由を問いただせないまま、シンクはディストに従った。
慌てた割には(シンクのみ)あっさりと翌日、グランコクマの宮殿にディスト達はいた。
「・・・まさか、後宮に案内されるとは思ってもみませんでしたよ」
「ま、此処が一番安全だからな。絶対に外に漏れない。漏らした奴は即死罪だし。絶好の場所だろ」
この宮殿のそしてマルクトの主であるピオニーは、からからと明るく笑いながら言った。ルークは長距離の移動に疲れたのか、此処へ着くなり熱を出しベッドで休んでいる。先ほどまでルークとピオニーは話していたが、内容がアクゼリュス崩落に差し掛かりそうになったので慌ててディスト(とフリングスが)止めた、という経緯がある。
「やっと落ち着いた事だし話を聞こう。六神将烈風のシンク、貴公は何故ルークを殺さなかった?」
ピオニーはさっきのおちゃらけた様子とは一変して、皇帝の顔となって詰問する。
「そういえばそうですね。色々あって事情を聞くのを忘れていました」
「おいおい、お前それぐらい確認しておけよ」
「・・・言っておくけれど、ボク達にレプリカルークを殺せって命令は出されていないよ。むしろアクゼリュスに行く前は危害を加えるな、と徹底されたし。まあ誰の所為とは言わないけれどね。その後ヴァンはもうアイツは用無しだ、放っておけと。ただ・・・」
ぎゅっと手を握り締める。
「ユリアシティでのアイツは人形みたいな目をしていた。壊れてしまって何も映していない。ただ呆然とそこに座っていた。そうしたらユリアシティの奴らが」
『何故テオドーロ様はコイツを始末しない』
『預言に詠まれていたんだから、生かしておいては拙いだろう』
『ここは余分な人間を養う余裕はない』
『さっさと殺して、死体は障気の海に放り込めばいい。ティアにはこいつは出て行ったと言えば、何の疑いも無く信じる』
『ティアだって、彼の面倒を見る気はないだろう。現にこうやって放っておいているじゃないか』
『そうだ、そうしよう』
「何の抵抗もしない事を良いことに、彼らはルークを殺そうとしていた。ご丁寧に毒を塗ったナイフも用意してさ。だから彼らをルークの代わりに障気の海に生贄として捧げた。どうする、ボクを捕まえる?」
そのシンクの告白を聞いたマルクト勢は、はあ、と息を吐いた。
「ユリアシティから被害届けが出ていなければ、どうする事も出来んよ」
「そうなる原因を作ったのはユリアシティでしょう。この事が公になったら困るのはあちらではないですか?武器も用意していたのですし、計画的犯行でしょう」
フリングスが補足するように言った。しかし今ケテルブルク勢は、別の事で悩んでいるようだった。
「・・・・・・はあ、ったく何を考えているんでしょうねぇ」
「それ以上言うな。頭痛が酷くなる」
そう言うとピオニーが頭を抱えた。シンクだけ「え?」という顔になる。
「我が国の皇帝名代の事ですよ」
フリングスが補足した。シンクがああ、と納得する。
「・・・まだ、マルクトに帰っていないの?死霊使いは。一体何処ほっつき歩いてんのさ」
「そう言われると返す言葉がないな。うう、事情聴取どころかキムラスカ王の名代、親善大使をユリアシティに置いていくとは、何考えているんだあいつは」
「徒歩の私達でさえ、すでにグランコクマに来ているんですけれどねぇ。彼ら、タルタロスで移動しているのでしょう?」
「バカだ馬鹿だと思っていたが、ここまでだったとは。アスラン、今あいつら何処に居る?」
「ベルケンドに行った後何処かの鏡窟に立ち寄り、ダアト方面に向かったとか」
「ワイヨン鏡窟にまで行ったんですか・・・」とどこか呆れたように、ディストは呟いた。今そんな所に行っている余裕などないだろうに。
「軍法会議の準備は完了している」
そうピオニーはディスト達に言う。この様子だと件の懐刀の運命はもう決まっているようだ。
「この部屋は防音処理がしてある。絶対に外に漏れない。そして中からじゃないと、ドアが開けられない仕組みになっている。仮にルークが目を覚まし、話を聞こうとしても絶対に不可能だ。だから安心しろ」
そうピオニーは前置きする。
「子供の父親は誰だ」
「その事あんたに何の関係ないじゃない」
シンクが何処か呆れたように言う。
「あのバカが父親かもしれないだろうが」
溜息を吐くのは何度目か。
「それは無いと思いますよ。只でさえあのルークは己の罪の象徴ですからね。恐らく視界に入れる事すらしていない。第一相手は公爵子息です。いくらなんでも手を出したら拙い事くらい分かるでしょう。それに彼は後腐れの無い、商売女しか相手にしないじゃないですか」
ディストが即座に否定する。
「そうだがな、ちょい不安でなぁ」
「ジェイドは、何処かの誰かさんと違って誰彼構わず手を出すような人間じゃないですよ。あなたなんかと一緒にしないで下さい」
うわ、ひでえという声は無視した。
「んじゃ誰さ。アッシュは・・・。違うね」
「何でそう言い切れる?」
彼はルークの事を憎んでいる。ある意味これは最高最悪の仕返しだ。人として最低な行為ではあるが。
「彼はルークの身体の事を知らないんです。ヴァンは只劣化しているとしか言っていませんし。仮にそうだとしても隠し事が出来ない彼です、直ぐに顔に出るでしょうから、絶対に分かります」
「だね。一応あいつ王女様に操らしきものを立てているだろ?そこそこ遊んでいるらしいけれど。あいつじゃないとしたら、・・・ヴァン?」
「うーん。手を出していた可能性はありますけれど。でもバチカルを出発した後に行為がないと、日にちが合わないんですよ。彼はルークと別行動だったでしょう?」
「となると、導師イオンか?」
「「無理です(だろ)」」
即却下。
「暴行の可能性は?」
厳しい顔をしてピオニーが訊ねる。
「その様な事実があるとしたら、ルークは素直に話すでしょう。おそらく、あの子供の父親はルークの使用人、あのガイとかいう男ですよ。彼以外考えられません。ピオニーにはガルディオス家の人間といえば分かるでしょうが」
一斉に溜息を吐く。
「彼は誰が相手かなど絶対に言いませんでした。多分永遠に胸の中にしまっておくつもりでしょうね。ルーク自身月のものが遅れても、旅をしているから調子が狂っているのだろうと思っていたそうです。悪阻も始まっていませんでしたし」
「ルークの身体はどうなんだ。もう子供は望めない、とか言うんじゃないだろうな」
「完全流産でしたから、私がする事は殆どありませんでした。器具を使うよりもむしろ自然に任せる方が母体には良いんですよ。大丈夫だと確定するのは、ちゃんと月のものが来るようになってからですね。男性としての機能は充分ですから、仮に産めなくなったとしても、産ませる事は出来ます」
生々しい会話を平気な顔でしているようだが、実際に平然としているのはディストだけでシンクとフリングスはこれでもかというぐらいに真っ赤、ピオニーの顔も完全に引き攣っている。
「この場合相手の男に責任を取らせるべきなんだろうが・・・」
「は?責任?冗談じゃないよ!あいつらユリアシティでルークを置いて行った時点で、ルークと会話をするどころか会う資格さえない!!」
「・・・第一、ルークが子を身篭っていた事自体知らないでしょう。この事は彼らには黙っていた方がいい」
ディストがポツリと呟いた。彼は更に言葉を続ける。
「変なところで抜かりのないあなたの事です。彼らがルークの事を何と言っていたのか、調べはついているのでしょう?」
その問いに、ピオニーとフリングスは表情で答えた。
「・・・よくもまあ、あそこまで自分の事を棚に上げて他人を貶せるもんだ。大体アッシュに言われるまで、親善大使が何処にいるのか知らなかった、というのは拙いだろ」
ガイとあのティア(聞けば彼女はファブレ家襲撃犯だという)はルークの護衛であった。護衛が何故守るべき人物を見失う。何故護衛が自分の任務を放棄して住民の介護を手伝っている!
「導師イオンが、途中のダアト式封咒解いてしまったのも問題ですよね。その解除がなければ、ルーク様もヴァンもセフィロトには行けませんでした」
あの元、親善大使一行はその事に全く触れていない。あのジェイドでさえ。それは故意なのかそれとも本当に気が付いていないのか。
「その辺りの判断はあんた達に任せるよ。ボクはルークの様子を見てくる」
そう言うとシンクは立ち上がり、ドアに向かった。
「ああシンク。ルークには私が良いと言うまで一切の運動は禁止、トイレ以外ベッドから離れないように、と伝えておいて下さいね。後で私も行きますけれど」
「分かった」
シンクが部屋を出て行った後、ピオニーがある事を呟いた。
「シンクは随分とルークの事を気に入っているようだな」
「同じレプリカですからね。情が移ったんでしょう」
「・・・それはお前もだろう」
ピオニーの突っ込みにディストは沈黙する。
「まあいい。お前たちはここに暫く居ろ。せめてルークが完全に元気になるまでは」
「はい。お手数ですが宜しくお願いします」
「色々と手土産もあったしな。これだけあれば議会も大人しくなるだろう。後は・・・」
「細かい事はそちらに任せます。ご随意に」
ピオニーがフリングスに何事かを告げると、一礼して彼は部屋から出て行った。
「どうするサフィール。あいつら自分達の事を親善大使一行だと名乗って来ると思うか?」
「親善大使がいない、いや自らの意思でユリアシティに放置しておきながら、ですか?」
「充分考えられるだろ?」
「賭けでもするつもりですか?勝負になりませんよ」
クスっと二人は笑う。
それから数日後、グランコクマの宮殿にある一行がマルクト皇帝に謁見を申し出てきた。彼らは自分達をアクゼリュスに行った、キムラスカの親善大使一行だと名乗り、そうして教団の、特務師団長の服を着たある人物を「彼がルーク・フォン・ファブレだ」と紹介する。その顔は何処か誇らしげであった。
マルクトの皇帝はにっこりと笑い、その彼らに対し“相応しい歓迎”をする様臣下に命令した。