翌日になるとルークの熱も下がり、大分顔色も良くなった。運動は止められているものの、部屋の中を歩き回る事(宮殿だから部屋自体とても広い)は許された。
やさしい母親の心臓
シンクは暇だった。
ディストはルークの診察の合間を縫ってピオニー達と話し合い、忙しそうに動き回っている。シンクも色々と動き回りたいのだが、何せ自分はマルクトのタルタロスを襲撃した六神将の一人。この時の乗組員惨殺に直接は関わっていないが、姿を見られて(何せ此処はマルクトの宮殿なのだ)問題が起きればちと拙い。ので、ルークと同じように引きこもることになる。しかし幾ら暇だからといっても、ルークに長時間自分の相手をしてもらうには流石に気が引ける。
「これでも読んでおきなさい」とディストから分厚い本を数冊渡されたが、そればかりというのも飽きてしまう。
鬱になりそうだ、と考えていたところに丁度ディストが部屋に入ってきた。入ってくるなりどかっと音を立ててシンク前のソファーに座る。かなり機嫌が悪い。
「何だよ変な顔をして。何か嫌な事でもあったの」
「別に。いつもと同じですよ」
ぶっきら棒に答える。
「そういえばアンタ、ボクがルークを連れて来た時から機嫌悪かったね。ダアトに未練があったの」
「いいえ。そろそろ潮時だと思っていましたから。かえってお礼を言いたいくらいですよ」
ムス。
此処まで不機嫌のオーラを発していると、こっちまで気分が悪くなる。
「ったく、何が気に入らないのさ。アンタちょっと可笑しいよ!」
そうシンクがイラついたように言うと、ディストはギロリと睨んだ。だがこれぐらいで怯むようなら、六神将などやっていられない。
そのままの状態で数分経った後。
はあ、とディストが息を吐いた。
「・・・駄目なんですよ。ああいうの」
「?」
「出産に関することが。私の母親が何度か流産を繰り返したんです。昔の事ですから石女だのなんだの散々言われて。私を身篭った時は殆どノイローゼになっていました。結局出産に耐えられず、私を産むと直ぐに亡くなりました」
初めて聞くディストの過去だった。
「男である私達には絶対分からない事ですから」
「ま、ね・・・」
『え?ルークあなた知らなかったのですか?』
『うん、あの行為で子供が出来るなんて知らなかった』
『性教育より教える事があったでしょうからね。それにしたって・・・。あなた生理があったでしょう?』
『うん。でもこれで子供が出来る身体になったんだとしか・・・。それに俺は男なのに、こんな変なの、嫌で嫌でしょうがなかった。毎月きちんと来るし』
・・・それはそうだ。ファブレ家では散々奇異の目で見られていたのだろう。十七歳で死ぬことが分かっているのに加え、両性具有であると云う事を隠す為にカウンセリングを受けさせようとは思わなかっただろうし。
『ルーク、医者が診れば子供は大体何週目か判断出来ます。逆算すれば何時その行為をしたのか分かります。誰が相手かは聞きません。これは確認です。親善大使として任命されバチカルを出発した後に、そういう事をしたのですね』
『・・・うん。途中立ち寄った村の宿屋で。もう直ぐケセドニアに着く、という頃だった』
ルークはシーツを強く握り締めながら答える。宿屋、ということはジェイドかガイかいずれか、という事になる(この時はまだ導師は救出されていなかった)。
『ところで避妊はしましたか?』
『え?ひにん?』
きょとん、という顔になる。子供の作り方を知らなかった彼だ。避妊の知識など皆無だろう。この場合、相手がそれをきちんとしていたかという事になるのだが・・・。何といえばよいのだろう。
『ええとですね、その・・・、相手は男性のあるものをあなたの中に入れたでしょう。入れる前に何かゴムのようなものを被せるとか・・・。ああ、どう言えば・・・』
ディストは真っ赤になりながら必死になって説明する。
『いいや?下着から出したら直ぐに突っ込まれた。初めてだったからかな、すげー痛かった。血も出たし』
ルークはあけっぴろげに答えた。
・・・・・・・・・・・・はい?
『あんまり痛いからもうやめろって言ったんだけれど聞いてくれなくて。でもあいつは俺の事好きだってずうっと言っていて。後はあんまり覚えていない』
この時程、ディストは人に対して殺意を抱いた事はなかった。
子供になんて云う事をするのだ。好きであれば何をしても良いというのではないだろうに。大体あまりにも時期が悪すぎる。
『?ディスト?』
『あなたにはカウンセリングが必要です。手配しておきますから』
『ええ?いいよ、そんな事!こういうのは自分で乗り越えなきゃ。それにそこまで迷惑を掛けるわけには・・・』
『これは正当な権利です。今まであなたの周りの人間が何を言っていたのかは知りませんがね。それにこれはシンクにも必要です』
『シンクにも?』
『そうです。心が疲れている人程大丈夫だと言うのですよ。子供は大人の云う事を大人しく聞いておきなさい。あなた達がカウンセリングを受ける事は私の精神安定にもなるんですよ。シンクも暇そうですし』
暇だから一緒に受けさせるのか。
色々突っ込みたかったが、ディストがあまりにも真剣な顔をするので、ルークは頷かざるを得なかった。
「・・・分かった。専門家を手配させよう」
「有難うございます」
ディストは公の場でピオニーに声を掛けることは出来ない。だからこうやって私室にいる時かピオニーが通路や庭で立ち止まった時(この場合皇帝陛下は独り言を言っていることになる)に話すのだ。大体私室で話す事が多いのだが。当然隣にはフリングスがいる。
「何考えているんだ。そのガイとかいう奴は」
信じられん、といった風にピオニーは米神を押さえる。
「一番の避妊は“何もしない”ことだ。どんな避妊具を使っても出来る時は出来る。避妊手術をしても確立はゼロに決してならない。しかもルークはキムラスカ王の勅命で親善大使に任命され、アクゼリュスに向かっているんだろうが。主の使命より、何自分の欲望を優先させているんだ」
ルークが完全な“男”であるのなら、また話が違った。その場合でも同意の有無が問題になるが。しかし。
「そいつ、ルークの教育係で彼の身体の事も知っていたんだろう。ルークの、その月のものの周期も把握していたんじゃないか。こういうのは本人より使用人の方が詳しいからな」
朝から晩までずっと一緒にいれば、使用人でなくとも相手の行動、体調は大体分かるようになる。ましてや一切の教育を任され、七年間もの間片時も離れる事がなかったとすれば。
「復讐なんじゃないですか?憎き一族の仇である家の子供に自分の子供を孕ませる。征服者がよくやる手です」
「だろうな。ルークの身体の事は本人よりも詳しいだろうし。どの時期でやれば子供が出来やすいか直ぐ分かるだろう。ルークはそういった知識がない。屋敷の中じゃないから咎める奴もいない」
「それに本当に愛情を持っているというのなら、和平という国家の威信が掛かった重要な任務の最中に、しかも初めての外交で緊張とプレッシャーで押しつぶされそうになっている相手に対し、セックスをしようなどと思わないでしょう」
「第一時期が悪すぎる。向かう先は障気溢れるアクゼリュスだ。今その行為で受胎、何て事になったら妊婦をその危険な場所に送る、と云う事になる。冷静に考えれば気が付くことだろ。しかもろくな護衛部隊も随行していない。妊婦を闘わせるつもりだったのか?それとも大丈夫、一回くらいなら子は出来ないと思っていたのか」
ピオニーとその周りにいる人間、ディストとフリングスの顔から一切の感情が抜け落ち、目だけが険しく光り始めていた。
「幸い完全流産だから良かったようなものの、異常があったらどうするのです。子宮外妊娠だったら?これだと命に関わってきますよ。他にも色々考えられます。妊娠出産って考えているほど楽なものではないのです」
ディストは怒りを露にする。
「男として最低なやつだな」
「・・・彼がそうだとはまだ決まっていませんよ」
フリングスが一応、といった形で建前を言う。しかし完全に棒読みだ。
「胎児のデータは取ってあります。髪の毛か爪か何か身体の一部を入手すれば親子鑑定出来ます。以前言いましたよね」
「ああ」
「で、まだ彼らは来ないんですか」
キムラスカから今日明日にでも宣戦布告がなされようとしているのに、何をのんびりしているのだろうか。この事に気が付かぬ、懐刀ではあるまいに。
「今ケテルブルクにいるらしいです。何でもタルタロスが故障したとか」
溜息交じりにフリングスが報告する。
「アスラン。奴らの髪の毛入手出来たか?」
「はい。あと一時間もすれば届くのではないでしょうか」
一部の人間を除いて、マルクトは仕事が速いので助かる。
「じゃ、大丈夫だな。ところでシンクはどうしている?」
「甲斐甲斐しくルークの世話をしていますよ。彼の身体を考えて、長時間話す事していないみたいです。それでも少し退屈そうにしていたので本を与えたのですが」
「そろそろ動いてもらったほうが良いか。ああ此処で話した事はシンクには」
「話しません、というより話せませんよ。彼はまだ二年しか生きていないんです。余りにも刺激が強すぎます」
只でさえ人間不信である彼だ。この事を知ったらどうなるのか。
「・・・そうだな。俺らでもちときついもんなぁ」
ピオニーとフリングスはげっそり、という顔をする。この数日間大人の、そして男の汚さを嫌と言うほど思い知らされた。人はここまで相手の感情を無視して、欲望を押し付ける事が出来るのかと。“好き”という言葉の免罪符を使って。
「鑑定の結果次第だが、もし俺たちの予想通りであったなら爵位を剥奪する。相手の立場に立って考えることが出来ず、ただ己の欲望に忠実に行動する奴はこのマルクトにはいらない」
皇帝はきっぱりと言い放った。
「仮に違ったとしてもそうするのでしょう?」
「当たり前だ。大体拙いだろ。ファブレ公爵に滅ぼされたガルディオス家の遺児が使用人としてファブレ家に仕えていたなど。誰が見たって敵討ちだって分かる。そんな奴を認めたら、キムラスカとの和平締結は不可能だ。後は・・・」
「ルークにあの使用人の素性を何時話すか、ですね」
「黙っている訳にはいかないからなぁ。どちらにしろ傷付く、よなぁ・・・」
三人は暗い顔になりお互いにはあ、という溜息を吐く。
「自分に笑いかけていながらその裏では殺意を抱いていたなんて、ね。この事を知れば彼の言動は全部嘘、偽りであったと思うでしょう。あの時の“好き”という言葉も何もかも」
ルークは自分の事を“好き”と言ってくれたから、あの夜の行為を許しているのだ。縋っているとの言い方が正しいのかもしれないが。
「専門家に話を聞いた方がいいな。俺もカウンセリング受けたいよ」
「泣き言を言わないで下さい。私もなんですから」
すると部屋に外から声がする。フリングスが扉を開けるとマルクト兵―階級は中佐。警備担当ではない一兵卒は此処まで来る事を許されていない―が立っており、何か小さな箱を渡していた。
「ディスト殿。お望みの物が来ましたよ」
そう言いながらフリングスはさっきの箱をディストに渡す。
「流石仕事は早いですね。有難うございます。早速分析します。では私はこれで」
一礼してディストは部屋を退出する。その彼の後を護衛―というより監視―の人間が二人、彼の後に続く。
「・・・どういう結果にしろ、一番傷つくのはルークだな」
「そうですね」
「子供の事はあいつらには絶対に秘密だ。知られたら知られたで何を言い出すか分からん。下手な謝罪は、傷が酷くなるだけだ」
常時寄せられている、あの仲間達に関する報告を聞く度に、如何にルークが周りの人間に恵まれていなかったのかよく分かる。
「けれど陛下は、ルーク様と彼らとの面会を許すおつもりはないのでしょう?」
そのフリングスの問いに、ピオニーはにっこりと笑った。
「何のんびりしているんだろうなぁ。時間が経てば経つほど、あいつらの罪は重くなっていくのに」
「陛下。準備は万全ですよ」
「頼もしい部下ばかりで俺は嬉しいよ。一人を除いて」
数時間後、結果がピオニーの元に齎された。
その内容は自分達の予想と寸分たりとも違っておらず、ピオニー達の怒りを増幅させた。
そうしてガルディオス家の名前は、この世から永久に抹消される事となる。