「ティア…、本当にその…夫人に謝りに行くのかい?」
ガイは気まずそうにティアに尋ねた。
「当然じゃない。私がしでかしたことで、夫人がお倒れになったのだから。私がきちんと謝らないと」
凛とした態度でそれが常識であるかのように馬鹿げたことを言う女に、『ルーク』は隠れてため息を吐いた。
ガイはそれ以上は何も言わなくなった、恐らく今彼が想定していることは杞憂だと思っているのだろう。こちらも、馬鹿だ。
顔を合わせる機会が少ないとは言え、努めている家の主格の人間が、どういう存在なのかまるで理解していない。愚かな使用人。
『ルーク』にはこれからどうなるか、鮮明に思い描くことが出来た。
その光景を思い浮かべて、今までの散々な扱いに鬱積した苛立ちが霧散していった。
「『ルーク』!」
扉を開けた途端に、駆け寄って来た女性をルークは受け止めた。
「ああ、『ルーク』。『ルーク』!怪我はないかしら?辛いことはなかった?」
「大丈夫ですよ。心配掛けて申し訳ありませんでした」
「…良かった、本当に良かったわ」
今にも泣き出しそうに声を震わせる彼女を、『ルーク』は優しく抱き締めた。
「あのぉ。その人誰なんですかぁ、ルーク様ぁ?」
しかし、感動の再会に浸る暇も無く、割って入る無粋な声に『ルーク』は内心で悪態を吐いた。ガキ風情の媚が何だと言うのだろうか。今までのあんな態度で、俺を落としたつもりで居るのだろうか。自分の物を取られた子どものような不機嫌さを滲ませた声だったが、こちらの方が不機嫌なのは言うまでもない。
「あの、一応お客人がいらっしゃいますから…。お二人とも少し控えたほうが」
更に勘違いな言葉を繰り出す使用人に、耐え切れなくなったのは彼女の方だった。
「あら。感動の親子の再会を邪魔した不躾な人間よりも、主たる私を指摘するなんて…。どういうつもりなのかしら?」
「あ…も、申し訳ありません」
冷たい空気を孕んだ声に気圧され、ガイは頭を下げた。しかし自分は間違ったことはしていないと根底では思い込んでいるのだろう。その謝罪に誠意は感じられなかった。
後ろでは彼女、ルビィが『ルーク』の母親であることを理解した面々が驚きの声を上げている。
「あ、あの!」
一歩踏み出したのは、ティアだった。
ルビィは訝しんだ目をティアに向けた。
「…あなたは?」
「ダアト教団所属の、ティア・グランツと申します。この度はご子息を私事に巻き込んでしまい、本当に申し訳ありませんでした」
それは事務的な謝罪の言葉。心からの申し訳無さも、仕出かしたことへの焦りも何もない。
心からの謝罪であれば通じると思っていたのだろうかと想像していたのだが、これではただ謝れば済むと思っていたらしい。
本当に、馬鹿な奴。
「…そう、あなたが」
浮かぶのはその能天気な思考への憐憫だけだった。
これからの事態は、全てお前達の自業自得だ。
「衛兵!捕らえなさい!」
「えっ…きゃああぁぁっ?!」
ルビィの命令に、今かと側で待ち構えていた騎士たちがティアを取り押さえた。不意の出来事に俺と屋敷の人間以外の奴等は驚愕した。
「な、どうして…っ?」
「公爵邸を襲撃した、どのような痴れ者かと思っていましたが…。まさかわざわざ出向いてくれるなんて。ここまで愚かだとどうしようもないわね」
「わ、私は…!誤りに来たんです!だから」
「だから、何だと言うのです?謝った所で私の息子が誘拐された事実は無くならない。外で危険に曝された事実は無くならない。あなたの罪は無くならない。なのに、謝ったから何だと言うのですか?」
そもそも母親一人に謝った所でどうしようもない問題だ。
今回の責任を負って辞めた使用人たちは彼女を恨むだろう。
今回の件を知る重鎮たちは、国の威厳のためと法律の下に彼女を裁くだろう。
それをたった一人に謝罪して終わろうとするなんて、子どもの喧嘩じゃないんだ。
それは国民として当然のこと。社会に生きる人間として、知っていなければならない常識。
なのに、それを知らない愚か者達。
「ま、待って下さい!」
「そうですよぉ!ティアも反省して謝ったし、だから」
「…本当に、言葉の通じない者たちばかりですね。先ほど言いましたでしょう?謝った所で、罪は消えない。罪には罰を。それから、私はあなた方を客人として招くつもりはありません。どういう経緯でこの屋敷を訪れたかは知りませんが、私は陛下に進言し、陛下もそれを了承してくださったはずですが。城で言われませんでしたか?『ルーク』の帰宅以外、他の者はこの屋敷を訪れることを許可しないと」
「そ、それは…」
それは城でしっかりと、全員に向かって言われていた言葉だった。
なのにこいつ等はそれを聞き入れなかった。
ティアが母に謝りたいと言い、理由があるならいいだろうと、いい加減な気持ちで言われたことを破ったのだ。
「随分と頭の堅いことを仰いますねぇ。これから和平国としてやって行こうと言う時期に、仲介者である方達を追い出すなんて…」
「あら、私は国が和平を確定されたのなら、それに従いますわ。でも、為政者としては当然のことでも、騎士や兵士たちは分からないわね」
ジェイドの嫌味にも仮面のような笑みを崩さず、ルビィは告げた。
「ここの騎士たちも全員、あの戦争に参加したのよ。あなたに殺された部下、上司、同僚はたくさん。私が命じれば相応の対応はしてくれるでしょうけど、発作的な衝動は抑えられませんわ」
後ろからぶすりと刺されることだって在り得るのよ?
馬鹿ではあるが、学者である以上は言葉を読み解く能力くらいは人並みにあるジェイドは、言われた意味を理解して苦い顔をした。
「それから、そこの使用人」
「は、はい」
「あなたもこの者達と共に出てお行きなさい。二度とこの屋敷に入ることは許しません」
「な…何故ですか?!」
思ってもいなかったのか、言い渡された解雇通告にガイは声を上げた。
「私が頼んだのはルークの護衛、そして…そこの女の首を刎ねて来ることだったはずよ」
すっと指差されて、ティアは愕然とした。本来ならまた口喧しく何かを喚く所だろうが、既に騎士たちによって猿轡を噛まされている状態であり、呻きにしかならなかった。
ガイはティアとルビィの顔を見比べる。
「で、ですが…それは」
「…そう、あなたにとっては殺すことでもないと言うのですか」
「それは、当然じゃ」
「度の過ぎる冗談ね。主が危険に曝されていながら、平然と加害者と並び歩く使用人など当然の訳がないわ。現にほら、あなたの後ろの皆、そして私が。どんな目をしているか、あなたには分からないの?」
え、と振り返り、ガイは後ずさった。
ティアのみならず、同じ教団のイオンとアニス、敵国のジェイド。そして、それらと平然と過ごして来たガイにまで、嫌悪の目は向けられていた。
「さぁ、これだけ懇切丁寧にお話したのです。理由は分かって貰えたかしら。このまま自分の足で立ち去るか、それともあの女のように引き摺られて放り出されるか。好きな方をお選びなさい」
彼等の前を、見せ付けるようにティアが引き摺られて行く。
その後を三人がすごすごと歩いて行った。
一人だけ、尚も縋るように目を向けるガイが居たが、ルビィの命に俊敏な反応を示した騎士たちに、ティアと同じように引き摺られ放り出された。
その光景を『ルーク』は、眉一つ動かさずに見つめていたのだった。