暗雲 後編

 いつになく、緊張しているのが分かる。
 自分にもそんな感情があったのか、と心の中で哂った。



  暗雲 後編



 イオンにダアト式封咒を解放してもらう。

 そして、ヴァンに連れられるまま、パッセージリンクまで降りていく。
 「ルーク、これは一体・・・?」
 イオンが不安そうに尋ねた。しかし、ルークはそれを吹き飛ばすような、明るい声で答えた。
 「障気を中和するのさ!俺は英雄だからな」
 そして、ヴァンに聞こえないように小さな声で、言った。

 「イオン、俺たちがパッセージリンクに着いて合図をしたら、お前は出口に向かって逃げろ、いいな」
 「え?」
 「反論は許さない。言う通りにしろ」

 ルークは仕事をする時の目をイオンに向ける。そのあまりに冷たく暗い目に、ただ頷く事しか出来ない。こんな彼は今まで見た事が無い。名門の家に生まれ、何不自由なく育った彼が何故、あのような目をするのだろうか。
 さっきの事が嘘であるかのように、ルークは尊敬の眼差しでヴァンを見つめている。その様子はまるで主にじゃれる子犬のようだ。
 イオンはただ彼らの後に付いていくだけで、精一杯だった。



 ヴァンは、ルークが自分のことを殺すつもりでいることなど、夢にも思っていない。それ以前に、ルークに対して何も疑問を持っていないのだろう。心の底から自分のことを信じていると。この日の為に、長い年月を掛けて気持ちの良い言葉を、子供の好きな言葉のみを耳元で囁いていたのだから。

 (頭も切れ、自分の目的を果たすだけの実行力もあり、部下にも慕われている。それを別のことに使えばよかったのに)

 確かにこの世界は預言に依存している。ならば、何故それを変えようとしないのか。
 彼の今までの波乱の人生―特にホドで過ごした時代―は哀れには思うが、同情はしない。

 預言を含め、この世界を憎むのは解らないでも無い。しかし、そんなことで周りを混乱させないで欲しい。何も知らない人間から見たら迷惑この上ない。

 それはともかく、死体騒ぎで自分はやっと死霊使いの目を逃れることが出来たのだが、このイオンの導師守護役は何をしているのだろう。ここに彼女がいれば大分違うのに。

 彼女の役目は、常に離れず、傍にいて守ることだ。「アクゼリュスで人助けしているから」は言い訳にならない。何の為の守護役なのだろうか。自分がイオンであるなら、即、解任するだろう。この際仕方がない。イオンには酷だが、自分の身は自分で守ってもらおう。
 今は自分の任務に集中しなければ。


 ルークの口元に笑みが浮かんだ。その赤い唇はとても妖艶だった。


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 「ルークは何処です!?」
 ジェイドが珍しく感情を露にしていた。その慌てている様子にガイ達は目を丸くする。
 「え?そのあたりにいないのか?」
 彼の、ルークに対する関心とはこんなに薄いものなのか。彼は本当にルークの使用人か?
 「そういえば私も見ていませんわ」
 仮にも婚約者だろう、彼は。薄情なものだ。

 彼らには一応、ルークから目を離さない様にと言っておいたのだが。

 「チッ」

 自分の行動の詰めの甘さを呪うしかない。
 ひょっとしたら、彼はこれから・・・。

 その時、ティアが真っ青な顔をして走って来た。
 「兄は何処ですか!?兄は恐ろしい事を実行しようとしています!!」
 それと同時に、ルークと同じ顔をした鮮血のアッシュが駆け寄ってきた。
 「おい!そんなところで喋っている暇があるのなら、あの屑をどうにかしろ!死ぬぞ!!」
 アッシュはそのまま立ち止まる事の無く全速力で駆けていった。
 「彼が、アッシュが教えてくれました。兄は、兄は・・・!」
 「それはどういうことです?ティア、説明して下さい」
 ティアの話を聞いたあと、ジェイドは真っ青になりながら、セフィロトに向かって走り出した。

 「さあ、このまま集中しろ」
 ヴァンがルークの後ろから話しかける。
 「さあ・・・、『愚かなレプリカルーク』。力を解放するのだ!」
 どれだけこの時が来るのを待っていたのだろう。
 「今だ、イオン!逃げろ!!」

 「!?何」

 予想もしないルークの発言に、ヴァンが動揺する。

 超振動は発動しなかった。当たり前だ。ルークにヴァンの暗示は効かなかったのだから。

 イオンはルークに言われるがまま、走り出した。
 ルーク振り向きざまに、ヴァンにナイフを投げつける。それを紙一重で避け、腰に下げた剣を抜き、即座に構え振り下ろす。しかし、剣が切り裂いたのは白い上着だけだった。後ろから気配を感じたヴァンは前に跳び、受身を取りながら起き上がる。あと少し気付くのが遅かったなら、首が刎ねられていた。

 見ると、先ほど自分が立っていた場所からさほど離れていないところに、黒衣の青年が剣を構えていた。


 「流石。伊達に総長はやっていませんね」
 この一撃を避けることが出来た人間は、あなたが初めてですよ。

 別人、と云えるほどに豹変したルークにヴァンは戸惑う。
 「貴様・・・、何者だ?」
 「あなたの弟子ですよ。ヴァン師匠」
 クスリ、と哂う。

 「・・・いきます」
 ルークは音もなく、地を蹴った。


 イオンは目の前の光景が信じられなかった。先ほど  今までの彼はがむしゃらに敵に突っ込んで行って、戦法も何もなかった。素人がみても彼の動きは雑で、ガイ達によく「敵の動きをよく見て、もっと考えて動け」と言われていた。イオンも実は同じ考えだった。
 闘いに無縁のように見える導師だが、神託の盾やその幹部、六神将の武術の訓練風景は日常であったから、目だけは肥えている。指導する、とまではいかないが、何処が悪いかぐらいは解る。あのような闘い方を続けていれば、いずれ命を落とすだろう。
 しかし、今目の前で繰り広げられているルークは全然違った。動きはまるで水が流れるように滑らかで、美しい。まるで演舞をみているようだった。あのヴァンですら翻弄されている。

 「ルーク、あなたは一体・・・」


 ヴァンは焦っていた。
 自分が武術を教えたのに、動きがまるで違う。懐柔したはずなのに、言う通りにならない。何故こうなるのだ。
 劣化レプリカにこうも梃子摺るとは。いや、それより、

 ルークの放ったナイフが、ヴァンの右腕を掠る。それに怯む事もなく、一瞬でヴァンが間合いを詰め、技を繰り出す。しかし、ルークは予測していたかのように避ける。それも余裕で。

 これといった傷を与える事もなく、闘いは続く。一進一退の攻防。双方の実力が、かなりのものと分かる為、自分の間合いに入れることをしないのだ。お互いにこれといったダメージを与える事のなく、時間だけが過ぎる。しかし、このままでは拙い。さっきから絶え間なく地響きがし、アクゼリュスにあまり猶予がないことが分かる。

 (・・・失敗したな)
 このままでは自分の身すら危ない。任務も果たすことの出来ないまま。

 突然、空気が変わった。
 アッシュが飛び込んで来たのだ。
 「ヴァン!貴様!!」
 「兄さん、すべて嘘だったのね!!」
 「ティア、何故此処に・・・!!くそっ、仕方が無い!!」
 そういうなり、ヴァンはセフィロトに向かって何かを投げつけた。
 「!しまった!!」

 乱入してきたアッシュ達に気を取られて、ヴァンから目を離してしまった。眩い光が広がり、音もなくセフィロトツリーが消失した。崩落が始まる。

 「兄さん、何をしたの!!」
 「第七音素で作った、爆弾の様なモノだ。そこの劣化レプリカが役に立たない為の保険だったが、まさか使うことになろうとは」
 ヴァンは指笛を鳴らす。急降下してきたグリフィンが 彼を背に乗せ、アッシュの右腕を掴んだ。
 「放せ!俺もここで朽ちる!!」
 アッシュは暴れるが、ヴァンは放さなかった。

 「イオンを救うつもりだったが仕方が無い。お前を失う訳にはいかぬ。ティア、お前には譜歌がある、それで・・・」
 「兄さん!」
 「・・・っ、ヴァン!!」
 しかし、ルークはそれ以上出来なかった。ジェイドが槍を構え、首に突き付けていたのである。

 「今はこの状態から自分の身を守ることが先決です。死にたいのですか」

 そこには敵ばかりでなく、味方ですら恐れられた死霊使いが立っていた。彼は、すべてのものを凍りつくような目でルークを見ている。ルークはただ、彼の言葉に従うより他はなかった。

 「ティア、譜歌を。皆さんも早く」
 ルークの仲間が集まってくる。ティアが譜歌を歌う。アクゼリュスはどんどん崩れていく。自分達はそれをただ見つめる事しか出来なかった。



 そして、

 目の前にいる黒衣の青年。
 彼は何を考えているのか。だが、この際無視させてもらう。



 (この間の借り、返させていただきます)
 ジェイドは槍を握りしめた。







 あとがき
 次はユリアシティです。ナタリア、ガイの存在感がないですね。