首に巻いたロープはただ風に揺れた
死にたいな。初めてそう思ったのは、いつだっただろうか。少なくとも、自分が"自分"という人格を形成し終えた時には、なんのきっかけも脈絡もなくそう思っていた。
ああ。"形成し終えた"という言い方は誤りだ。正確には、"自分という人格の記憶を思い出した時"からだ。何を言っているのか分からない?嗚呼自分も分かりたくなかった。もし何も知らない無知なままならば、こうまで絶望することはなかっただろうに。


__この世界は、作られたものだ。


そう、気がついてしまった。
きっかけは"前世の記憶"が戻ったから。ある日突然。テープを巻き戻すように"私"が生まれ、死ぬまでの一生が頭に流れ込んできた。
その情報は膨大で。私は意識を失い三日三晩高熱に魘された。

目を覚めた時、慌てたような泣きそうな顔をする幼馴染みが一番に目に入った。
親同士仲が良くて、生まれた時からずっと一緒にいる幼馴染。いつも見慣れているその顔を見た瞬間。この世界が一体なんなのか理解した。


《僕のヒーローアカデミア》

"私"の時に人気だった、個性という力を持った超人社会で、無個性の主人公がナンバーワンヒーローから個性を貰い成長するという、人気漫画だ。
なるほど。確かにこの世界には個性というものが存在するし、かくいう自分も持っていた。そして何より、自分の幼馴染みがその物語のレギュラーキャラを幼くしたような顔だったのだ。


「理央。大丈夫か?まだ体調が悪いんじゃないのか?」
「………ううん。大丈夫だよ消ちゃん」

混乱する頭で、心配する両親と幼馴染みに返事をし、なんとか平常心を保つ。
物語の中では、"彼"は教師で大人だったはずだ。それが幼い子供。ならば原作はまだ始まっていないのか。

なんて、冷静なふりをして現実逃避をしてても、本心は偽らない。


なんで、なんで私がこんな目に。私は死んでしまったのか。なら何が原因で死んだのか。なんでマンガの世界なんかに生きているんだ。ここは一体何。こんなところ現実じゃない。歩いている人も建物も。全部全部紙にインクで書かれた作り物。作者という一人の人物によって描かれ、その生死も生き方も結末も何もかもが決定づけられた作り物の世界だ。なんで私はこんなところにいるんだ。なんで、どうして、なんで。

右を見ても、左を見ても。どこを見ても"作り物"。雰囲気が変わった自分を心配そうにみる幼馴染みも"作り物"。
本物のものなんて何一つ無くて。"私"がいた場所とは何もかもが違くて。全部全部、作り物でああああ嗚呼、アア、ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁああぁああああああぁぁぁあああああああああああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアああああああア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ぁあああああああああああああああア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛アアアアぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!


気がついた時には、幼馴染みに抑えられ、辺りは血が飛び交っていた。

「理央……!なんで、こんな!」

幼馴染みは、いつかの日のように、泣きそうで悲しそうで、困惑の表情の中で怒って、私はを問い詰める。
よく見れば、自分の手首と首が真っ赤に染まっていて、でも個性のおかげで傷はもう治っていて、自分の手には自分の血で染まった刃物があった。

「…………ねぇ、消ちゃん」

ポツリと零れ出た言葉は、ずっとずっと、ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと。あの日"私"を思い出してからずっと心の内で叫んでいた言葉。初めて、外に出す言葉。

「死にたいなぁ………」

大きく目を見開く幼馴染み。真っ赤に濡れる手をじっと見つめていると、なんだか笑いがこみ上げてきた。"私"も、"自分"も。ここに存在する限り作り物なんだ。
その感情の赴くまま、笑っていると、温もりを感じたと思った時には幼馴染みに抱きしめられていた。

「………理央。守るから。俺が、ずっと一緒にいるから。だから、___そんなこと、言うな」

言わないでくれ……っ!


嗚呼。この温もりも、肩に染み込む水分も、全部全部、偽物なんだ。


"私"を思い出してから、十年後のことだ。


___________________

あれから十年。
幼馴染みは原作通りヒーローとなり雄英の教師になった。漫画のとおり小汚い格好で、一見するとヒーローにも教師にも見えない。
私は、あれから自分で死んだりヴィランの争いに巻き込まれたり。手を替え品を替えと何度も自殺未遂を繰り返し、その度に幼馴染みに助けられ一命を取り留めていた。

何度も何度も。自殺しようとする度に助けられ、時に諭され時に怒られ。とうとう幼馴染みはこんなことを言い出した。

「分かった。理央……もし俺が先に死んだら、そうしたらもうお前も死んでいい。だから、俺が生きている間は絶対に死のうとしないでくれ」
「消太が死んだら、」
「ああ。だから待っていてくれ。俺が死ぬまでの間だけ、生きてくれ」
「………うん。いいよ。わかった。消太が死ぬまで生きるよ」

幼馴染みはレギュラーキャラ。ヒーローという職業だけれど、そう簡単に死ぬわけがない。それでも、私の個性は即死しなければたちまち傷を治す。そして幼馴染みは、その一瞬の間に私を助けてしまう。

ならば気長に待とう。この幼馴染みが死ぬその瞬間まで。
そうしたら、私はこの作られた世界から解放される。

彼が死んだ後なら、いくらでも死ぬ機会はある。未だにこの世界が作り物にしか見えない。だから死にたいという思いはずっとずっとずっとずっとずっとあり続ける。

だから、その時が来るまでは、生まれた時から今まで飽きもせずずっと自分の隣に居続け、自分が死のうとする度に助けて、その度に泣きそうな顔で怒って心配する幼馴染みを、安心させるぐらいなら我慢しよう。


***

俺には幼馴染みがいる。親同士の仲が良くて、生まれた時からずっと一緒にいる。隣にいるのが当たり前の存在。
あいつがおかしくなったのは、突然気絶し三日三晩の高熱に魘され起きた時だ。
その時は少し違和感があるだけでいつも通りだった。ただ、こちらを有り得ないものを見るような目でみるあいつは、確実にあの時に壊れてしまったのだろう。

それから時折自分の手をじっと見たり、焦点が合わない目でボーとしている。その時のあいつは、消えそうで、どこか遠くに行ってしまうような不安がある。だから慌てて名前を呼ぶと、何事もなかったように微笑んでこちらを見て、それでようやく安心する。


事件が起こったのはそれから十年後。


「理央……!なんで、こんな!」

真っ赤に染まった部屋の中で、自分の血で染まった刃物を持った理央の首や手首は同じように真っ赤に染まっている。
なんでこんなことになったのか。どうして自殺なんて。

「…………ねぇ、消ちゃん」

混乱する俺の耳に、感情を削ぎ落としたような。ただ音を出しているだけのような。空虚な理央の声が届く。

「死にたいなぁ………」

理央の目に光はなく。只自分の血で染まった手を眺めている。

なんて言ったのか理解出来ず、やっとその意味を理解すると同時に、理央が笑っていた。
それはとても苦しそうで、とても悲しそうで、涙は出ていないはずなのに。まるで泣いているようだった。
そんな姿は見たくない。このまま、理央を一人にしてしまったら、きっと消えてしまう。

「………理央。守るから。俺が、ずっと一緒にいるから。だから、___そんなこと、言うな」

言わないでくれ……っ!

抱きしめた理央は、小さくて、簡単に壊れてしまいそうなほど儚かった。


_____________________

あれから更に十年。
俺はヒーローとなり、あの雄英の教師に抜擢された。

理央はというと、十年前のあの日から何かが決定的に壊れたように時折死のうとする。
自殺や、ヴィランとの戦いに自ら巻き込まれに行ったりと、手を替え品を替え、何度も何度も自殺未遂を繰り返す。未遂なのは、あいつの個性が即死でない限り全ての傷を治すからだ。その僅かな間に、俺は絶対に駆けつけそして助け続けた。
あいつがそれを望まないことを知っていて、それでも、あいつに死んでほしくなという俺の我儘のために、何度も何度も助け続ける。

でも理央は絶対に生きようとしない。このままでは、いつか必ず俺の前から消えてしまう。

だから、俺は。

「分かった。理央……もし俺が先に死んだら、そうしたらもうお前も死んでいい。だから、俺が生きている間は絶対に死のうとしないでくれ」

きっとお前は俺が死んだら簡単に死んじまうんだろう。だけど、約束すれば、せめて俺が生きている間だけでもお前は生き続けてくれる。

「消太が死んだら、」
「ああ。だから待っていてくれ。俺が死ぬまでの間だけ、生きてくれ」
「………うん。いいよ。わかった。消太が死ぬまで生きるよ」

理央は、いつからか俺のことを"消ちゃん"ではなく"消太"と呼ぶようになった。その変化が良い事なのか悪い事なのかは分からない。
だけど、きっと、こいつの時間はずっとあの日から動いていないのだろう。


首に巻いたロープはただ風に揺れた

(死にたいんだ。死んでしまいたいんだ)

(生きてほしい。生き続けてほしいんだ)

(でも仕方がないから、死ぬのは君が死んだ後になる)

(俺が死んだらお前は死ぬ。なんの躊躇いもなくあっさり死んでしまう。
だから、お前が生き続けられるよう、俺も生き続けるよ)


(嗚呼。こんな偽物の世界。解放されるには死ぬしかないじゃないか)

1/22
prev  next
ALICE+