神様、奇跡なんていらないから
あの人が死んだと知ったのは、同じ場所に潜入している同僚の言葉からだった。
嘘だと思いたかった。タチの悪い冗談だと思いたかった。でもその後に正式な報告書があがり。あの人の葬儀が行われ、やっと現実なのだと気がついた。

どうして。誰が、何のために殺した。

そんな思いしかなかった。潜入している場所が場所だから、いつ死ぬかわからない。何年かかるかも、戻ってこれるかも分からない。そうあの人は言っていた。だから覚悟はしていた。

それでも、殺したやつの名を聞いた瞬間。目の前が真っ暗になった。


__赤井秀一。

その名を、私は知っている。
潜入している組織の幹部だといったが、私は奴本来の所属を知っている。

なぜ、奴が。なぜ、本来なら味方のやつが。

左手の薬指に嵌ったあの人とお揃いの指輪が、鈍く光った。


***

公安で追っている重要参考人を追い詰めたが、あと一歩の所で逃げられてしまった。だが奴を手中に収めるのと収めないのとではその後の捜査が全く違っていく。何としても今ここで捕まえなければ。

奴の逃走ルートを予測し、部下達を壁のように配置して私が待ち伏せている場所まで誘導する。
まんまとこちらの策に嵌った男は、目の前に私がいることに驚きそして女だからと突破しようと突進してくる。

「どけ!」
「どくと思うか」

腕を掴み一気に投げ飛ばす。落ちる瞬間に顔面に膝を叩き入れ、気絶させて拘束した。

「……風見さん、確保しました。回収をお願いします」
「了解。すぐに人を寄越す」

電話で風見さんを呼べば、後は回収が来るまで待機だ。とりあえず一息つけると安心した。
この男は例の組織の一員だ。下っ端だが、そこそこの地位にいる。これで少ないだろうが情報が入り潜入している降谷さんの助けにもなるだろう。

安心したその瞬間。足音が聞こえその発生源に目を向ける。そこから現れた人物を目にした途端。時が止まった。
影から出てきたのは、くせ毛の黒髪に特徴的な隈。そして、忘れもしない翡翠の瞳。

「赤井、秀一……!」
「………理央か」
「お前に名を呼ばれる筋合いはない!」

鋭く睨みつけると、赤井は一瞬驚いたように目を見開き私の名を口にする。そして私の後ろで転がっている男を見ると、凪いだ瞳で私を見る。

「まさかお前が公安になっていたとはな。知らなかった」
「お前にそんなことを言われる筋合いはないし、既にお前と私の間に関係などないはずだ」
「冷たいな」
「黙れ………今この場にお前がいるということは、目的はこの男か」

沈黙は肯定。相変わらずの無口ですました奴だ。

「ならばお引き取り願おうか。見ての通りこの男は我々公安が確保した」
「そう言われ、はいそうですかと引き下がるように思うか?」
「ここでお前らFBIに権限はないはずだ。私達の日本で勝手な真似をして」
「我々にも、その男は貴重な情報源なんでね、諦めるわけにはいかないな」

どちらも引かない。ならば、取るべき手段は一つのみ。
左足を引き右側を前に出すように腰を落とす。それだけで奴も全てを理解したように構えた。

「もう一度いう。引け、FBI」
「断る」

刹那。奴と私の拳が交わった。


***

赤井秀一と出会ったのは、私がまだ学生だった頃のこと。
アメリカに留学している時にチンピラ共に絡まれ、それを助けられたことによって知り合った。

「こんな所で女の一人歩きは感心しないな」

そういって、目の前でチンピラ共の腕を捻りあげ、意識を奪っていった彼は、とてもかっこよくて。一目惚れだった。

その頃には既に彼はFBIだったが、私が留学生でまだアメリカに不慣れだと知り、何故だか最初の頃にいろいろな場所を案内してくれた。
連絡先の交換もして、忙しい中でも彼は私と連絡を取ってくれて、時間があけば食事や遊びに連れ出してくれた。家にも連れていってくれて、意外に自分のことにはズボラな彼の世話をちょこちょこやいていた。

「付き合ってくれ」

いきなり、何の脈絡もなくそんなことを言われた時は、一瞬何を言われたのか分からず、理解出来た瞬間泣いてしまった。
いつも余裕な彼が慌てるのは新鮮だった。
彼も一目惚れだったと聞いた時には、とても驚いた。私にそんな要素があったのかと疑問に思ったと同時に、とても嬉しかった。

楽しかった。幸せだった。好きだった。

そんな関係が終わったのは、私の留学期間が終わりを近づいてきた時だ。

「秀一、別れてほしいの」
「………理由を、聞いてもいいか」

いきなり切り出すと、彼は持っていたグラスを置いて私の意図を図ろうと鋭い目で見てくる。それはまるで私のどんな些細な行動も見逃さないようにするかのようだった。

「私は、遠距離でもずっと一途に想い続けられるほど、いじらしくないの」

その一言だけで彼は全てを理解してくれた。
日本に帰ればアメリカに住む彼とはほとんど会うことは出来ない。メールも、電話も。時差がある関係上忙しい彼とは今まで以上に出来ないだろう。
それを、私はきっと我慢出来ない。きっと彼を困らせてしまう。そんなことは絶対にしたくなかった。

「………お前も、お前もアメリカに住めばいい」
「秀一……」
「お前もアメリカ国籍になりこの国に住めば、今まで通りだろう」
「でもそんなに簡単にはいかないわよ」
「簡単だ。俺と籍を入れればいい」

今何と言ったのか。聞き間違い?冗談?でも彼がこんなことを冗談でいうわけがないということは十分理解している。
目を見開き驚きで何も言えない私に、彼は少し苦笑した。

「本当なら、もっとキチンと言うつもりだったんだがな」
「嘘……だって、私はまだ学生だし、」
「あと少しで卒業だろ?それに、年齢的には結婚できる」

嬉しかった。彼がまさかそこまで考えてくれているなんて思ってもいなかったから、とてつもなく嬉しかった。
けれど、頷きそうになる首をすんでのところで止める。

「………駄目よ」
「何故だ」
「私は、日本で夢がある……アメリカ国籍では出来ないことよ」

私は警察官になりたかった。それが夢だった。だからこそ、彼とは一緒になれない。

そうして、結局秀一とは別れ、私は日本で警官となり公安に配属された。


***

奴の蹴りを腕で受け、逆に折ろうとすれば力任せに離される。追撃として拳を出せば、顔の前で受け止められた。

「お前の夢とは、これか」
「それをお前に話す必要は無い」
「あの頃とはまるで別人だな」
「黙れ……!」

奴の目が私の左手を捉え、咄嗟に隠す。右手は、未だに奴に掴まれたまま。振り払おうとすればさらに力を強めて離せない。

「………結婚したのか」
「お前には関係ないだろう」
「式にぐらい呼んでほしかったものだな」
「………黙れ」

式?式だと?あの人を奪ったお前が、それを言うのか。

「式などあげていない、………お前が、お前があの人を奪ったからな!!」

私の言葉に動揺した奴の隙をついて、胴に蹴りをくらわせば簡単に避けられた。だがそのお陰で右手は解放される。

「奪った……?何のことを言っている」
「お前が殺した組織に潜入していた捜査官、スコッチは私の婚約者だ!」
「は、」
「何故だ、なぜあの人を殺したんだ!FBIのお前が、本来ならば味方のお前が…!なぜっ!?」

目を見開き固まっている赤井に、私はずっと溜まっていた叫びを吐き出す。それは一度言ってしまえばもう止まらなかった。

「あの人は自殺だと聞いた、お前が与えた銃で自殺したと…!!お前ほどの実力者がなぜ止めなかった!?お前なら助けられたはずだ……なのになぜあの人の命を弄んだ!?」

あの人とは警察になって出会った。
私の教育係についた彼は、右も左も分からず新人だった私にいろいろな事を教えてくれた。
ミスをしたときは慰めてくれて、初めて大きな仕事を一人で達成したときは自分のことのように喜んでくれた。
段々と惹かれていった。それはあの人も同じだった。

愛していたんだ。赤井の時でも諦めた結婚を承諾するほどに、愛していたんだ。

「お前が殺したと同じだ!!」

握りしめた手が、爪がくいこみ痛かった。それでも、そうしなければ今すぐこの男に掴みかかってしまいそうだった。
目の前の男は、苦しそうな、泣きそうな顔をしていた。

「なんで……」
「……理央」
「なんで………!」
「理央、俺は」
「なんでお前だったんだ……っ!!」

視界が揺らいでまともに奴を見れなかった。それでも赤井の前で泣きたくなくて、その水を落とすことはないように必死で耐える。

苦しい。苦しいんだ。

「なんで一度愛した男が私の愛した男を殺さなければいけない!?」

濡れた視界で必死に奴を睨んで、あの人の死を知った時からずっと苦しい胸を握りしめる。

「せめて別の奴なら、ただ憎むだけですんだんだ……!お前じゃなければ……っ、こんなに苦しまずにすんだんだ!!」

赤井は、何も言わなかった。
弁解も。謝罪も。何も言わず、ただ私の言葉を受け止めていた。
あの頃好きだった綺麗な翡翠の瞳は、後悔や苦しみや、色々な負の感情が映っていた。それでもその表情は動かない。

それが更に悔しくて、辛くて、苦しくて。
ただ何の力もない子供のように喚くしかなかった。


神様、奇跡なんていらないから

(許したくない。許したい。彼を許す許可をください)


(あの人を殺したお前が、憎くて憎くて仕方がない)
(それでも、まだ心のどこかで好きなんだ)
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