信じた正義を貫く強さ

溶けた人だったもの。抉れた地面。熱を発し続けるマグマ。目の前に広がるのは、およそ地獄といっていいほどの悲惨な場面だった。そしてそれを作り出したのは男ただ一人。だが事切れているのは海賊であり、その命を嘆く者はほぼいない。これが大きな戦力を誇る海賊団や、大軍だったならば仕方のない惨事だ。しかしこれはそんな大掛かりなものではない。そこまで戦力はない中規模な海賊団ただ一つなのだ。そんな相手に過剰ともいえる攻撃を仕掛け、ただ一人の生存者も出さなかった赤犬大将に。海兵たちの目には畏怖の色しかなかった。

周りの視線を感じているはずなのに、大将は何も言わずに正義のコートを翻し軍船に乗り込む。その前の道は自然と開けたが、それは決して大将だからという理由だけではなかった。


***

海兵たちは、海軍の正義とは別にそれぞれ自分の掲げる正義を持っている。
大将青雉は『だらけきった正義』。大将黄猿は『どっちつかずの正義』。そして大将赤犬は『徹底的な正義』。御三方のうち特に青雉大将と赤犬大将は方向性が全く違い、対立することが多々あった。
私は、そんな赤犬大将の下に所属している一海兵だ。
赤犬大将の元には、本人に影響されているのか過激な思考の持ち主が多い。そうではないものは、すぐに転属願いを出すか海軍自体を辞めてしまうからだ。それほどここの人達の任務は凄い。徹底的に、逆に相手が可哀想になるほどに痛めつける。その中でも大将は別格だ。生きて捕らえる方が少ない。
そんな所に所属している私も過激なのかって?いやいや。私は至って普通の海兵だよ。ここに所属したのもただの辞令だし、辞める理由も必要もないのでい続けるだけ。しかし特に過激な思考を持っているわけでも海賊に強い憎悪を持っているわけでもないのに、赤犬大将の下にい続けることは珍しいらしい。ただでさえ死と隣り合わせな海軍。その中でも苛烈を極める部隊にいながら所属し続ける私は、海兵の入れ替わりが激しいこともありそれなりに古株らしい。一体何がどうしてそうなったのか、赤犬大将の副官の立場になっていた。

「佐久間大佐」

重々しい言葉に、書類に向かっていた顔を上げその声の主を見る。僭越ながら大佐の地位にいるが、私自身には部下を率いる能力などなく、仕事は専ら赤犬大将の補佐だ。

「はい」
「この書類の詳しい資料はどこじゃァ」
「こちらに。原本はこちらですが、自分の方で要点を纏めたものをご用意いたしました。よろしければどうぞ」

求められた資料と纏めたものを渡せば、大将は満足そうに頷いて私が纏めた方を読み始めた。用事がそれだけだと確認し、私も自分の仕事に戻る。
紙を捲る音と、ペンを走らせる音しか聞こえない。この執務室には私と大将しか居らず、二人共事務会話以外は話さない。用事がない限り他の海兵は入室しないのでこの状態がいつもだった。
赤犬大将はただそこにいるだけで威圧的だと皆が言う。そりゃあ他の大将や中将殿、元帥殿も風格や威圧感などといったものはあるが、赤犬大将は厳つい顔に触れるだけで刺すような空気。無駄な会話は一切しない。何か失敗すれば他の方々よりも厳しく怒る。だからこそ密室にいるとただそこにいるだけで死にそうになるそうだ。二人きりなどもってのほか。しかし私はこの空間が存外好きだった。

「大将。こちらの書類にサインをお願いします」
「ああ」
「それと、こちらを」

出したのは、白い封筒にただ一言【転属届】と書かれた物。それを見た大将は眉間にシワを寄せ、こちらを睨みつける。いや、御本人は決して睨んでいるつもりはないだろうが、いかんせん目つきが悪すぎて睨んでいるようにしか見えない。

「お前のか……?」
「いいえ。自分のものではありません。いつものものです」

大将は大きくため息をついて封筒を軽く持ち上げる。

「全く……毎回毎回、なぜお前の所に持ち寄るんか。わしに出すべきものじゃろうが」
「自分に出せば大将の元に提出します。それを出した者には大将は必ず承認しますから、わざわざ理由を聞く手間がなくいいのでは?」
「逃げ出していくもんの言葉なんぞ聞く価値もありゃせんわ」

ふんっと不機嫌に転属届に承認のサインをして端に放り出す大将。ヒラヒラと揺れるそれを横目で追って、自分の机に戻っていった。


***

「ねぇそこの君ぃ〜」

間延びした特徴的な声に呼ばれ振り返ると、黄色いストライプ柄のスーツを着て色サングラスをかけた大将黄猿がいた。
赤犬大将の副官とはいっても、他の大将や元帥に関わることはほぼない。あって事務連絡や手続き程度だ。だから今黄猿大将に呼び止められたのは初めてといっていいことだ。

「何か御用でしょうか?」
「君ぃ〜、サカヅキの副官の佐久間明彦大佐であってるぅ〜?」
「はい」

黄猿大将は上から下にまるで品定めするように見てくる。それ自体は別に普段から色んな人にされることなので気にはならないが、いかんせん身長差がものすごいので見下ろされ、カタギには見えない風貌で威圧感がすごい。赤犬大将も同じようなものだと思うが、私としては黄猿大将が一番怖いのだが。

「ふ〜ん」
「あの、なにか?」
「やっぱり普通だよねぇ〜」
「は?」
「前から君とは話してみたかったんだよぉ〜。なのにサカヅキの奴が睨みをきかせててねぇ〜……」
「自分と、ですか?何故ですか?」
「あのサカヅキがずっと手元に置いている人間ってのは、一体どんな奴なのかって気になってたんだよねぇ〜」

黄猿大将の言っている意味がよく分からない。赤犬大将が私を恐れ多くも副官の立場に置いているのは他に人がいなかったからであり、今なお続いているのは私がある種の古参の位置づけであり仕事を知っているからなのだ。赤犬大将が私を気に入っているとは考えにくいし、そんなお人には見えない。
そんなことを進言してみると、黄猿大将は張り付けていた笑みが一瞬なくなり、次には本当に笑っていた。

「まぁ〜いいやぁ〜。それより、君はなんでサカヅキの所にいるんだ〜い?」
「なぜ、と申されましても。自分は赤犬大将の元に配属されました。その後他への配属命令は出されておりません」
「でも君はサカヅキのような考えじゃないだろぉ〜?普通、そういう奴らはすぐに辞めるか転属願いを出すんだけどねぇ〜」

サングラスの向こう側から見える目は好奇心で彩られていたが、その空気は徐々に鋭くなっていき偽ることを許さないと言っているようなものだった。

「自分は軍人です。命令ならば従います」

しかし私の答えは変わらない。上が赤犬大将の元につけと命ずるならそうするし、他の方の元につけと命ずるならそうする。軍人となることを選択した時点で、その命令に従うことは承知の上。
黄猿大将は私の言葉に一瞬目を見張るが、すぐにニッコリと笑う。

「サカヅキのやり方についてはどう思うかぃ〜?」
「やり過ぎと感じる面もあります。しかし相手は犯罪者。赤犬大将の思想、手段は行き過ぎかもしれませんが批判するのは違うと感じております」
「じゃあ君はわっしの所に行けと命じられれば来てくれるかぃ〜?」
「それは、質問の意図がわかりかねます」
「君のことを気に入ったって言ったら分かるかぃ〜」
「しかし人事に関して黄猿大将に権限はないはずでは?」
「センゴクさんに言えばそれなりのことは可能さぁ〜。優秀な人材はどこからでも引き抜きたいからねぇ〜。サカヅキも君の言う通りなら反対はしないだろぉ〜?」

確かに。赤犬大将は来るもの拒まず去るもの追わずだ。上からの配属替えは権力が同等の場合受け入れ先の上官と今現在の上官との合意の上で行われる。これが対等ではなかったら問答無用で配属替えだが、黄猿大将と赤犬大将は同階級。そして赤犬大将はきっと反対はしないだろう。上がそう決めたのなら私に拒否権などない。しかし。

「申し訳ありません。仮に自分に選択権があるというのならば、その話はお断りさせていただきます」
「さっきは命令ならば従うって言ってなかったっけぇ〜?」
「はい。命令ならば従います。けれどこれに関して、もし叶うならば直訴してでも自分は赤犬大将の下に残りたいと考えています」

黄猿大将は私の真意を探ろうと鋭い目でこちらを見るが、不思議と恐ろしくはなかった。

「別にサカヅキに心酔しているわけじゃないんだろぉ〜?何故か聞いてもいいかい〜」
「はい。自分は存外、赤犬大将の下が居心地がいいようです」

思い出すのは、海賊討伐任務での大将のお姿。
地獄を生み出した元凶であり、周りの海兵達には怯えられている。なのに周りのそういう視線や思いなどどうでもいいと言わんばかりにただ前だけを見据え歩き続けるその姿。

「あのお方は、お強い。自分などが測れるわけではないほどとてつもなく」
「そりゃぁ〜、大将だからねぇ〜」
「いいえ、黄猿大将。自分が言っているのはそういう強さなのではありません。確かに実力の面でもお強いです。しかし、赤犬大将は精神がお強いのです」

何度も出される転属届。畏怖と咎めの視線。それでも大将は歩みを止めない。

「きっとあの方はご自身ただ一人になっても進み続ける。どれだけ否定されても、絶対にご自分を曲げない。それがどれほど大変で険しい道のりなのか自分ごときには図りかねます。それについていく者も相応の覚悟がいり、並大抵のことでは置いていかれてしまうのでしょう。
しかし、自分は今それを支えることのできる立場にいる。ならば、ただ赤犬大将のお背中をお守りし、憂いなく進めるように雑事を片付けるのみです」

徐々に周りから人が減っていっても、大将は気にも止めない。私がいなくなってもきっと変わらないだろう。それでも、今はまだあのお方のお側にいることを許されている。ならばあの堂々たる背中を曇らせぬように、迷いなき歩みを止めさせぬように、ただ尽力しよう。

「自分は、赤犬大将ご自身の口から"いらない"と言われるまで、あの方の元から去るつもりはありません」

ただ前のみを見据え歩き続けるその気高き背中に、私はきっと魅せられたのだ。


***

背筋を伸ばし、正義のコートを翻し去っていった彼を見送る。彼と話していてからずっと口元には笑みが浮かびっぱなしだ。

特に過激な思考の持ち主でも、それに準ずる危険な行動をとるわけでもない。かといって自分の意思がない無能かといえばそうではなく、与えられた仕事は求める以上の出来で仕上げる。命令には従順で実力もあり、有能な人物として佐久間明彦大佐は上層部の覚えがよかった。

「あぁ〜あ。振られちゃったよぉ〜」
「ふんっ。当然じゃぁ」

誰もいないはずなのに答えが返ってくると、その主は物陰からのそりと出てくる。

「まぁ〜たく。盗み聞きなんて嫌だねぇ〜」
「廊下で話しとるんが聞こえただけじゃぁ」

彼を欲している奴なんて多くいる。しかし最初にサカヅキの所に配属されてから、彼は異動しない。それはひとえにサカヅキが全て却下しているからだ。

「なぁ〜んだい。ニヤケちまって気持ちが悪ぃ〜」
「黙らんかい」

いつも無表情。どれだけ悲惨な現場でもどれだけ冷酷無比な態度を見せられても、彼の表情は全く崩れなかった。別に彼自身に危険思考がある訳でもないのに、彼は肯定も否定の言葉も出さずただサカヅキに付き従い続けていた。
今回の引き抜きの言葉だって、きっと彼は本気にしていないのだろう。しかしあの言葉は彼の本心だろう。

「まぁ〜よく部下に愛されてるこったねぇ〜」
「………ふん」
「一体どうやって誑かしたんだぁ〜い?」
「そんな真似しちょらん」

仏頂面でいながら、思わぬ本音を聞けて喜色は隠せていない。この同僚がまさか他人に執着するなんて意外だったが、なるほど。あんな人物ならば分からないでもない。
きっと彼は、サカヅキが死んでも、自分がどれだけ不利な状況に陥っても。サカヅキが自分の正義を貫き続ける限り絶対に裏切らず、側にい続けてくれるだろう。
そんな存在がいるということは、なんと幸運なことだろう。

「いらなくなったら言っておくれよぉ〜?わっしが貰ってやるからよぉ〜」
「馬鹿もんが」

その言葉一つで眉間のシワが増え、背を向けて歩き出すサカヅキ。その行動が答えなのだが、あいつの性格的に口に出すことはないからやれやれとため息をはいた。



信じた正義を貫く強さ


(どれだけ周りから否定されようとも、自分の正義を貫くその強さ)
(その強さの過程でもし死ぬこととなっても、きっとあの方はそれさえも無造作に踏みつけて歩き続けることだろう)
(それは、きっととても素晴らしいことだ)

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