03



これは、僕が彼女と出会う日の話しだ。



***



「コナツ、今日はもう帰っていいよ。」


まさか少佐からそんな言葉をいただけるとは思っていなかった僕は一瞬呆け顔になったが、すぐにその理由に至って苦笑した。


「いえ、平気です。仕事も溜まってますし、僕がしないで誰がするっていうんですか。」

「オレがするから、今日は帰っていいよ。」


あぁ、明日は槍でも降って僕も死ぬんじゃないだろうか。なんてふと笑い話にもならないことを思った、とある午後のこと。

有無を言わさない少佐に半ば追い出されるようにして執務室を出た僕は、一人ぶらりと街へ出た。
特に用事もなく、ただ一人で居たくなかっただけだったのだが、ふと、ある花屋の前で足が止まった。

表通りに軒を連ねている中のその一軒からは優しい花の香りがする。
その中に一人、贔屓にしている客だろうか、その年配の女性と親しそうに笑いながら花を包んでいる女性の姿。
店先に並んでいる花に負けずとも劣っていない笑顔がそこには咲いていて、そんな笑顔を浮かべている彼女がどこか羨ましかった。

僕は今、きっと上手く笑えないだろう。
士官学校時代からの友人が遠征中に亡くなったと今朝聞いた僕はひどく動揺している。
士官学校を無事卒業して、少佐のべグライターになって、こうして過ごしていく中も、きっとまたこんな心境になる時がくるだろう。
こういった仕事をしているからこそ、尚更。人一倍。

初めて同期であり友人を亡くした僕にとって、花屋の彼女の笑顔はひどく眩しくて、ひどくひどく妬ましかった。
何も知らない一般人が、何も知らないうちに守られて、守る僕達は何も知らない一般人の知らないところで死んでゆく。
自分で選んだ道とはいえ、遣る瀬無い。
自分が死んだのではなく、友人が死んだとなっては殊更だ。
妬みや僻みが胸の奥でモヤモヤとして、何だか息がし辛いことに僕は気がつかないフリをした。

ご夫人が花屋を去っていくのを見送ってから、僕もその店に足を延ばす。
ここで花を買って、友人の墓地に添えに行こう。

今思えば、この行為は上手く笑えない僕にも彼女のその笑顔を向けて欲しかったのかもしれない。


「私お金貯めたいんでルームシェアとか考えてるんですよね。」

「えー他人と住むなんて、気遣わない??」


先ほど見かけた女性が店の奥にいる店員と話していて、どうやら僕が店先にいることに気付いていないようだ。


「まぁ、確かに店長がいう通りそこは難しいところですよね…。相手も見つからないですし…、でも今度の定休日にでも不動産屋に、」

「あの、」


こじんまりとした店なのにたくさんの花が置いてある。
花には特に詳しくないけれど、これから咲かそうと頑張っていたり、一輪一輪見事に咲き誇っている花々に目移りしながら店内へと声を掛けた。


「あ、はい!すみません気付かなくって。いらっしゃいませ!」


こちらを振り返った先ほどの女性がこちらへ駆け寄ってくる。
遠くで見たよりも小柄で、しっかりと人の目を見て話してくるのが印象的だった。
ほんわかした見た目にも関わらず、意外にハキハキとしているようだ。


「あの、亡くなった人に添える花ってどれがいいのかな?」

「東の国では菊というこの花も仏花ですが、この国で一般的なのはこちらのユリになります。」

「じゃぁそれで。」


友人の好きな花とか知らなくて、花屋の彼女がラッピングしてくれているユリを見ながらもっと色んな話をしておけばよかったと今更ながらに後悔する。
奥歯を噛みしめて俯いていると、「お待たせしました!」と彼女は僕にユリを手渡した。
お金を払い、店から出ようとすると、「あ、ちょっと待ってください!」という彼女の声に呼び止められる。
すでに踵を返していたが、呼ばれて振り向くと彼女は僕に一輪の花を差し出していた。


「こちらはサービスです。元気のない貴方が少しでも笑顔になれますように。亡くなった方もきっと心配しちゃいますよ。」


そういって笑う彼女の笑顔は今まで見たどんな笑顔よりも優しかった。


「……ありがとう。」


水を使う仕事のせいだろうか、彼女の荒れた手から受け取った一輪の花はどの花にも負けないくらい咲き誇っているようにも見えて、今度こそ僕は踵を返した。

店を出ると沈んでいた気持ちが少しだけ浮上していて、彼女の笑顔に心が救われた気がしていた。
墓地で花を添える僕を、友人はきっともう心配なんてしないだろう。


「そういえばルームシェアしたいとか言ってたな…。」


彼女の事が知りたい。
僕が彼女の笑顔を作り出してみたいとさえ思った。
またいつかあの笑顔を僕に向けて欲しい。
そしたら、また今日みたいな日も僕は息ができるだろう。

モノクロだった僕の世界に道しるべを立ててくれたのは少佐。
だけど景色を鮮やかにしたのはたった今会ったばかりの女性。

貰った一輪の花を空に掲げるようにして見つめてみる。
花だけでなく幸せを貰ったような気分に心がほっこりとして一筋の涙が流れた。

あぁ、さっきまで気付かなかったけれど、今日は雲一つない、とてもいい天気だ。




***




「ただいまー。」

「おかえりなさい。今日は早かったんですね。」

「思ったより仕事が片付いたからね。」


私服のため特にプライベートルームに寄ることもせずリビングの扉を開くと、名前が入浴後のアイスを食べながらテレビから僕に視線を向けておかえりなさいと笑った。
ただそれだけで今日の仕事疲れが吹き飛ぶ。
不思議と日常が鮮やかに輝いて見えることに、これが恋というものなのだろうとしみじみする。

私服で軍へ通い、軍の自室で軍服に着替え、仕事をし、また自室で私服に着替えて帰るという至極面倒臭い事をしていることは自分でもわかっている。
わかっているけれど、ほんわかした雰囲気の彼女に『実は僕ブラックホークの人間なんだ』とあっけらかんと言える自信はなかった。
他人なのだ、僕達は。
出会って1ヶ月と少し。
彼女のほうは客として僕が店に来た事を覚えていないようなので、彼女からするとまだ知り合って1ヶ月といったところなのだろう。

0から始まったルームシェア。
まずは嫌われないようにすることが必須だった。
しかし今となっては『軍人なんだ』ぐらい言っておけばよかったと思わなくもない。
騙しているわけではないけれど、隠しているという事実が、何だか僕のほうから境界線を引いたように思えてならなかったからだ。


「夕飯は食べてきました?」

「うん、しょう……上司と外で食べてきた。」


少佐には『なんで軍に帰んないの??』と怪しまれたが、どうにかこうにか撒いてきた。
明日は絶対問い詰められるだろうけれど、『仕事してください』の言葉を貫こう。
知らぬ存ぜぬの一転張りで頑張ろうじゃないか。

僕が異性とルームシェアをしているなんてバレたらそれこそ茶化すネタにされかねない。
軍に自室のある僕が、わざわざお金を払ってまで他人とルームシェアしているなんて、勘の鋭い少佐なら即座に閃くはずだ。
『コナツの好きな子なんだ』と。

そこまで考えて止めた。
あの少佐相手にいつまでも隠し通しておけるとは、実際のところ微塵も思っていない。
いつかはバレる。遅かれ早かれ。絶対。確実に。だって少佐だから。
全てはその一言でまるっと解決してしまう。
でも出来れば出来るほど遅くあって欲しいと切実に願うばかりだ。


「コナツさん…座らないんですか?あ、お風呂なら沸いてますよ。」

「あぁ、うん……」


どうしようかな。
お風呂に入ってゆっくりしたいという気持ちもあるけど、お風呂に入っている間に名前が部屋に戻ってしまうかもしれないと考えると、このままお風呂に入るのは惜しい気もする。
せっかくいつもより早く帰って来れたのだから、もう少し彼女との時間を増やしたいという願望が勝って、僕は名前より一人分空けた位置に腰を下ろした。

そこでようやく右手に持っていたものの存在を思い出し、ちょうどアイスを食べ終わった名前にそれを差し出す。

名前は急に差し出された紙袋に首を傾げながらも「私にですか?」と受け取ってくれた。


「うん、そう。帰り道見かけたから。」


というのは嘘だ。
本当はずっと気になってた。
出会ったときから名前の手が荒れていることに。

名前は紙袋の中を覗くと嬉しそうに顔を上げた。


「わ、ハンドクリームですか?!ありがとうございます!ちょうど今きれてて、買いに行く暇もなくて困ってたんです。」


知ってる。
だから買ってきたんだ。


「そうなんだ、よかった。」


白くて細い女性の手も好きだけど、荒れている手も好きだ。
精一杯働いている人の手だから。
だけど手荒れや皸が痛そうで見てられない。
好きだから、尚更。
名前の手だから、殊更。


「さっそくつけていいですか?」

「どうぞ。」

「甘い香りですね!なんだかおいしそう!」


嬉しそうにクリームを塗ってゆく名前の手を眺めながら、いつかその優しい手に触れ、繋いでみたいと思った。


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