04
「そうそう、名前ちゃん知ってた?東区の第2公園の近くで痴漢が出たんですって。」
閉店の準備をしながら私は耳半分で店長の話を聞いていた。
今日はコナツさんも早く帰ってくるらしいので、2人分の食事を用意しなければいけないのだ。
1人だったら適当に済ませてしまうこともあるが、2人となると話は変わってくる。
何を作ろうか考えながら「そうなんですか、怖いですね」と頷きながら返事をした。
「まだ犯人も捕まってないみたいだし、名前ちゃん帰り道でしょう?気をつけてね。」
「はい。それより店長、後は私が片付けておくので帰られて平気ですよ。息子さん、今日が誕生日なんでしょう??早く帰ってあげないと。きっと旦那さんも息子さんも首を長くして待ってると思いますし。」
「あらそう?じゃぁ今日は名前ちゃんのお言葉に甘えちゃおうかしらね。」
ごめんね、と言い残して帰っていった店長の顔は、すでに店長ではなく母親の顔をしていた。
大好きなお母さんが帰ってきて、5歳の息子さんはこれから誕生日を祝って貰うのだろうかと想像しただけで和んだ。
いつもは2人で終わらせてしまう後片付けを一人で行ったので、いつもより30分遅く店を後にする。
陽はすっかり暮れ、コナツさんがお腹空かせて待っているかもしれないと思えば自ずと歩くスピードは早くなった。
くぅん、と捨てられた子犬のようなコナツさんを思い浮かべると、ついつい頬がニヤケてしまう。
元より私は可愛いもの好きだ。
能天気な想像ばかりしながら第2公園の通りを歩いていると、ふと閉店間際の店長の言葉を思い出した。
確かにこの通りは電灯は少ないし、大通りから外れているため人気もあまりない。
昼間は子供たちで賑わっているこの公園にも日が暮れた今、人なんていなくて、連れ込まれてしまえば誰にも気付いてもらえないだろう。
改めて人気のない公園に目を向けると背筋がゾクリとした。
これは怖い。
いつも通っている道のはずなのに気味が悪い。
何だか一人でいることに恐ろしくなって、急いで帰ろうと歩みを速めていると視界の隅で不意に何かが動いた気がした。
公園の街灯から影になっている壁際に誰かが立っている。
こちらを向いているのか向いていないのかはわからないが、やはりこちらを向いているのだろう。
壁側を向いて立つ人なんていないだろうし。
誰かが立っているそこから私までは少し距離もある。
しかしその影がこちらへ歩み始めてきた。
ひ、という息を飲み込み、私はいつもの3倍ほどの速い速度で歩き始めた。
あの角を曲がれば家まではもうすぐだ。
手に嫌な汗が滲んでいる。
バックを握り閉めるが、目的がお金ならあっさりと渡してしまおう。
大した金額は入っていないし、と自分に言い聞かせるが、このバックについているキーホルダーは友人が手作りしてくれたものだからこれだけは…と頭の中はすでにパニックだ。
その状態で最悪の場合も想定してみる。
もし、もしお金が目的じゃないなら…私は一体どうしたらいいのだろうか……
角を曲がる直前、今まで自分が歩いてきた道を振り向くと、やはり先ほどの影は追ってきているようだった。
恐怖で心臓がうるさくなる。
こうなったら走ろう。とバックを握りなおしていると、ふと前から人影が現れた。
黒髪の、長身の男性だ。
夜なのにサングラスをしているのがとてつもなく怪しい。
後ろからも前からも不審者。
なんてツイてない日なんだ。
マンションまで目と鼻の先なのに、万事休すか、と泣きたくなっていると、前から歩いてきたサングラスの男が「ねぇ、」と声を掛けてきた。
もうダメだ!!と目を瞑ると、「今ここらへんではちみつ色の髪した青年とか見なかった?これくらいの身長の♪」と手でその身長を示されながら訪ねられた。
あれ?不審者でない??
一気に力が抜けた私はまだ背後にも不審者がいることを思い出して気を張りなおす。
「……み、見てないですけど…。」
思っていたよりも絞り出した声は震えていた。
もしこの人が不審者でないのならさっきから後ろをつけてくる人から助けてくれないだろうか。
そんな期待を込めながら勇気を振り絞って声を掛ける。
「あの、すみません、私の後ろに誰かいませんか?気のせいかも知れないですけど、さっきからつけられてて…。」
「ん?」
男性は私の背後へと顔を向け、それからまた私に視線を戻した。
「いないみたいだよ。」
「…そう、ですか…。」
ホッと息を吐くと「家どこ?」と聞かれ、私は「あそこです」と自分のマンションを指差した。
「送ってあげるよ♪」
「い、いえ!そんなもうすぐそこですし。」
「いいから♪このまま分かれて何かあってもオレの夢見悪いしね☆」
「…ありがとうございます。」
暗くてハッキリと顔は見えないが、私は男性に心から感謝の言葉を述べた。
この際だから護身術でも習おうかな…。
「どこらへんからつけられてると思ったの?」
マンションの方へ歩き出しながら男性が尋ねてくる質問に「すぐそこの第2公園です」と答えると、「あぁ、あそこ最近痴漢出たって聞いたから、気をつけてね。」とりんご飴をくれた。
夜なのにサングラス、んでもって何故にりんご飴?と首を傾げながらもありがたく受け取り、バックに入れる。
好きだ、りんご飴。
「あ、えっと、もうここで大丈夫です。その、お礼にあがっていかれませんか?お茶でも…。」
「んー今からアヤたんと呑む約束しているし、今回は遠慮しとく♪」
「そうですか。」
『アヤたん』という人が誰かは知らないが、人と呑む約束をしているというのなら無理に引き止めるのも悪い。
私はありがとうございましたと彼に小さく頭を下げてからマンションの中に入った。
「ただいま帰りました。」
「おかえり。」
「コナツさん早かったですね。」
「僕も今帰ってきたとこ。名前は今日いつもより遅かったね。」
リビングの扉を開くとすでにコナツさんは帰ってきていて、何だかホッとした。
やっと安心できた気がする。
「店長の息子さんが今日誕生日で早く帰ってもらったんです。だから私が一人で後片付けしたので遅くなっちゃいました。ごめんなさい。ご飯今から作りますね。」
荷物を置いてキッチンに立つと、備え付けのカウンターからコナツさんがジッと私を凝視して「何かあった?」と尋ねてくる。
「あ、……」
実はですね、と言いかけてやっぱり止めた。
下手に心配かけるのもよくないだろうし。
「いえ、特には。」
「そう?」
ならいいけど、と言いながらリビングのソファに向かって歩く彼の後姿を見てあれ?と内心首を傾げた。
そういえばあの時恐怖のせいもあってあまり聞いていなかったけれど、サングラスの男性は『はちみつ色の髪をした青年』と探していなかっただろうか。
コナツさんはそれにピッタリだと今更ながらに気付く。
これくらいの身長。という手の位置も同じぐらいだ。
しかし好青年なコナツさんに『夜も何故かサングラスをつけている男性』な知り合いがいるとはあまり想像つかなくて、しかも送ってくれた男性の名前も聞きそびれていた私はまぁいいか、と自分の中で片付けて調理に取り掛かることにした。
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