恋の女神は消ゴム様


「お、おはよう!」


「苗字!はよ!」


朝一番、苗字の挨拶で一日が始まった。今日は寝坊してしまったせいで学校についても寝ぼけたままだった。フラフラと廊下を歩いていると、苗字の声が聞こえて一気に覚醒した。

それ以上会話をすることもなく教室についてしまって少し残念だった。とはいえ、苗字の席は俺の二つ後ろの席。どちらかといえば近い部類だろう。

欲を言えば、真後ろか、隣、いや前でもいいな。とにかく、誰も挟まないすぐそこがよかった。それならば、自然と話すことも増えただろう。そうなったら、苗字も俺のことを少しは意識してくれることもあるんじゃないか、なんて妄想が膨らんでいく。

気を紛らわせようとノートと筆箱を用意して技の名前でも考えようとしたときだった。あるはずのものが筆箱の中に入っていなかった。


「やっべ、消しゴム……。」


昨日宿題をやるときに出したままにしていたのを忘れていた。しかし、同時にチャンスだとも思った。ちょうど真後ろの席は今空席。苗字に喋りかけてもおかしくない。

そう思って振り返ったら、何故か目があった。すぐにそらされてしまったが、目が合った事実にもしかして俺を見ていたのかと勘繰ってしまう。

もう一度目が合わないかとじっと見つめていたが、苗字は俺の視線に気付いているのかこちらを向いてはくれなかった。


「なぁ、苗字。消しゴム2個持ってねぇ?」


「えっ!?あ、あるよ!」


仕方ないと本題を切り出せば、驚いた苗字が肩を大きく跳ねさせた。そんなに驚くことだっただろうか。

少しばかりのショックを感じていたら苗字が消しゴムを投げてくれた。今日一日借りることに了承をもらえば前を向いて息を吐き出す。

苗字と話すときはいつも緊張してしまう。いったん落ち着いてからがりがりとノートに名前候補を書いては消してを繰り返しているうちに、消す動作の最中カバーが擦るようになってしまった。

少し消しゴムの先端を出そうとカバーを引っ張れば、消しゴムになにか書いてあった。

意外と持ち物に悪戯するタイプなんだろうか。少しどきどきしながらなにが書いてあるのかを盗み見させてもらう。

秘密を共有したいという邪まな思いで覗いたそれは、なぜか俺の名前だった。いくら俺でも持ち物に名前をもう書いたりはしないので、これは苗字の持ち物に紛れ込んだ俺のものではなく、苗字がわざわざ消しゴムに俺の名前を書いたんだろう。

あらゆる可能性が頭を過ぎっていく。様々な記憶のなか、中学のときに女子たちが嬉しそうに話していたことを思い出した。

おまじないの類で、消しゴムに好きな人の名前を書いて、誰にも見られないで使い切ればその想いは成就する、だっただろうか。

もしそうなら、どれほど嬉しいことだろうか。しばらく俺の名前が書かれた消しゴムを眺めてから、カバーをかけなおす。カバーの上からもなんだか覗けそうで、じっと見てしまう。

当然見えるはずがなく、我慢できずにもう一度カバーをずらしたときだった。


「あっ……!」


苗字の声が聞こえてきて弾かれるようにそちらを向けば、どうやら現場を苗字に見られてしまったようだ。

これは真意を聞くチャンスと思ったが、苗字はばたばたと教室を出ていってしまって声をかけられなかった。


「ちょ、苗字待てって!」


消しゴムを握り締めたまま、苗字を追いかける。何事だと注目を集めたままようやく階段を駆け下りようとしていた苗字を捕獲する。


「苗字、なぁこれって……、」


「や、やっぱり、見たの……?」


「ごめん、見た。これって、その、おまじないとかいうやつか?」


掴んだ腕が僅かに震えている。怖がらせてしまっているのだろうか。それでも、今を逃してはいけない気がするから離してやれない。

意を決して問いかけた質問は苗字を黙らせてしまった。けど、その表情は嫌悪を感じなくて、都合よく解釈するなら照れているようだ。


「苗字、そうなのか?」


もう一度問いかければ、今度は小さく頷いてくれた。それからはもう無我夢中だった。ざわざわとうるさい廊下の音から逃げるように苗字の腕を引いて、人気のない校舎裏へとやってきた。

乱れた呼吸を整えることもしないで振り返って苗字と見詰め合う。突然のことに頭が追いついていないらしい苗字は目を白黒させている。


「苗字、俺、初めて見たときから苗字のこと、好きだったんだ。まだこれ使い切ってねぇし、俺が中見ちゃったけど……成就、させちゃダメかな。付き合って欲しい。」


握り締めていた消しゴムを苗字に差し出して返事を待つ。心臓はばくばくだ。こんなに緊張しているのは入試以来かもしれない。


「私で……よければ。」


手のひらに乗った消しゴムごと手を握り締められる。俺の手とは違う、柔らかくて温かい手。

これでもかと真っ赤に顔を染める苗字を思わず引き寄せて強く抱きしめる。絶対、一緒にヒーローになろうな。


「大好きだ、苗字。」

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