ビターチョコレート


2月14日――。世の中の女性が浮かれ、世の中の男性がそわそわと身だしなみを整える姿が増える、そんな日。

例に漏れず、私も浮かれている一人だった。一生懸命作ったチョコレート。あからさまなものは恥ずかしくて作りたくないし、かといって料理が上手いとはお世辞にも言いがたい腕前なので凝ったものも作れない。

悩みに悩んだ末、悪戦苦闘しながら作り上げたのは6粒のトリュフ。綺麗にラッピングをして、可愛い紙袋に詰めて、あとは渡すだけ。

気持ちだけはたっぷり込めたのだ。これで告白をして、付き合えるとまではいかなくても、気持ちを知ってもらえればもしかしたら今後そういう風に見てくれるかもしれない。

そんな甘い期待を持って家を出たのは数時間前。夜は小競り合いが増える。仕事の邪魔をしてはいけないと、お昼時に事務所を訪れたのだが、出てきた爆豪は私の手に持っているものを見てあからさまに眉間にシワを寄せた。


「爆豪……、えっと、これ、チョコ……作ったんだけど、」


アウェイだ。爆豪の目つきがどんどんと鋭くなっていく。なんとか勇気を振り絞ってチョコを差し出したのはいいものの、受け取ってもらえる気配はない。

不安になってちらりと爆豪を見たら、それはもう修羅のごとき顔だった。思わず出した手を引っ込めようとしたその時、爆豪が口を開いた。


「いらねぇ。」


たった一言。たった一言が私を絶望のどん底に突き落とした。いくら爆豪だって今日がどういう日かはわかっているだろう。腐れ縁のような関係だったけど、怒鳴らるようなこともなかったし、一緒に出かけたりもしたこともある。

それなりに好意を持ってもらえてると思っていた。しかし、それはただの勘違いだったようだ。

湧き上がる感情と、零れそうになる涙を必死に堪えて一目散にそこから逃げた。振り返る余裕なんてないし、足を止めたら今すぐにでも涙が零れてしまいそうだった。

カップルが溢れる中、惨めに走り続ける私はさぞ不恰好だっただろう。家に着く頃には息も絶え絶えでバタンと扉の閉まる音に誘発されるようにボロボロと涙が零れてその場に座り込んでしまった。

楽しかった思い出が頭を過ぎっていく。そして、先ほどのいらないといった爆豪が頭を支配する。それを何度か繰り返しても止まらない涙はすっかり服を濡らしてしまった。

このままではいけないと、重たい体を引きずってようやく玄関から部屋へと入っていく。涙でぐしゃぐしゃになってしまった顔を洗うために服を脱いで浴室でシャワーを浴びる。温かいお湯が泣きすぎた体を優しく包む。

可愛く見られたくてばっちりほどこしたメイクも落として、さっぱりすれば部屋着に着替えてベッドに突っ伏した。

落ち着けば、また涙が溢れてくる。さようなら、私の恋心。

ぐずぐずと鼻を鳴らしながらまだ高い太陽に別れを告げるように瞼を閉じた。たくさん走って、たくさん泣いて、体力を消耗してしまった。忘れるためにも、少し寝てしまおう。

そう決意すれば体は素直なもので、すぐに意識は落ちていった。枕を濡らしながら、見る夢は一体どんな不幸な夢なんだろう。





「…………ろ、……おい、起きろ!」


夢でも爆豪を見せてくるなんて、どれだけ頭の中は爆豪でいっぱいなんだろう。けれど、顔は見えない。声だけが聞こえる。あの鋭い目つきを思い出したくないと本能が訴えているのだろうか。

答えてしまったら、二度と会えない気がして無視を決め込んでしまった。現実ならきっと怒られるが、夢でくらい許されるだろう。

しかし、だんだん声は聞こえなくなって、夢の中の爆豪がどんどん離れていってしまう。必死になって追いかけると、距離が縮まらずとも離れてしまうこともなくって、昼間と同じように全力で、今度は爆豪を追いかけていた。

けれど、夢の中だというのに息が切れてしまった私は、タフネスが売りの爆豪に追いつけないまま爆豪は完全に見えなくなってしまった。

それでも爆豪を追いかけようとしたら、足が動かなかった。なんで動かないの。パニックになりかけたところで、目に光が入ってきた。

見えるのは見慣れた天井。夢から覚めてしまった。泣き過ぎたせいで脱水症状でも起こしてしまったのか頭が痛い。

水でも飲もうと体を起こしたら、私しか居ないはずの空間にベッドに寄りかかって座っている誰かの後頭部が見える。驚きすぎて肩が跳ねた。その衝撃がベッドを伝って誰かも私が起きたのを気付いたのだろう。振り返るその姿は、夢に見ていた姿そのままだ。


「やっと起きたんかよ。」


「え……え……!?」


状況が飲み込めない。爆豪は私の顔を見れば読んでいた本を閉じて傍に置いた。もしかして、まだ夢を見ているのだろうか。頬をつねってみたら、痛い。痛みも感じる夢なのか。


「夢じゃねぇわクソが。つーか、鍵開けっ放しで寝てんじゃねぇぞ。敵に襲われても文句言えねぇだろ。」


反対の頬が爆豪につねられる。痛いし温もりも感じる。夢じゃないにしても、なんで爆豪がここにいるのか、理解が出来ない。

鍵が開けっ放しだったから心配になって入ってきた……?その前になんで私の家に来た……?ぐるぐると頭が混乱してくる。


「なんで、爆豪……ここに、」


「別に。起きたんなら俺は帰るから、鍵締めとけよ。」


頬をつねっていた手が労わるようにそこを撫でて離れていった。混乱から落ち着かないまま立ち上がった爆豪を夢の続きと重ねてしまったのか反射的にコートを掴んでしまった。

そのとき、偶然見えてしまった机の上に置かれた空になったトリュフを包んでいたはずの箱と、私の家にはなかった小さな包み。


「……なんだよ。」


「ねぇ、なんで……来てくれたの。チョコ、いらないんじゃなかったの。」


一度問いかけてしまえば後はもう一気だった。じっと背中を見つめて答えを待っていても、爆豪はなかなか口を開こうとしない。それでも辛抱強く待っていれば、よくやく爆豪が口を開いた。


「あんなとこで受け取ったら、撮られちまうだろうが。ちょっとは考えろクソが。あと、甘すぎる。チョコも分離しかけでクソまずい。」


私のことを考えてくれていた喜びと、愛情込めたチョコへの辛辣な評価への悲しみとが同時に押し寄せてくる。思わず掴んでいたコートを離したら、身動きが取れるようになった爆豪がこちらを向いた。


「ちゃんと鍵かけろよ。」


ぺちんと額を叩かれて爆豪は背を向けてしまった。今度は私がコートを掴まなかったからそのまま私の家を出て行ってしまった。

パタンと締まった扉を追いかけて鍵を締める。そして、机に残された小さな包みへと向き合った。丁寧に施された包装を解いてみれば、中にはチョコレートと小さなメッセージカード。

それが意味することなんて、都合よくしか解釈出来なくて、今すぐ追いかけたい気持ちをどうにか押し殺して約一ヶ月後のホワイトデーへと決意を決めた。

チョコレートに頼らない。私の言葉で告白しよう。

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