我慢、のち


ヴー、ヴー、と鳴り響くのは俺のスマートフォンに間違いがない。ようやくもぎ取ったオフの日。久々に疲れた体を癒そうと名前とのデートの約束を取り付けたのに、無情に鳴るスマホの画面には相棒の名前。


「焦凍。それ、呼び出しでしょ?」


なかなか電話を取ろうとしない俺を名前が嗜める。仕方なく通話状態にして耳に当てると泣きそうな相棒の声が聞こえてきた。

どうやら、近くでスリが発生したらしく通報が入ったが、いかんせん敵の動きが早すぎて攻撃が当たらないのだそう。近場のヒーローもみな出払っていて、動きを止められるような個性がどうしても必要らしい。

事件は事件なのだからヒーローとして言ってはいけないのだろうが、そんな小さな事件で名前との時間を潰さないでほしかった。

しかし、そんなことを言ったところでなにより名前本人が許してはくれないだろう。仕方なく重い腰を持ち上げてくしゃりと名前の綺麗に整えられた髪を乱した。


「悪ィ、せっかく休み合わせてもらったのに。」


「そんなの、気にしないで。焦凍じゃなきゃ解決できない事件なんでしょ?私はそういう頑張ってる焦凍が好きだから。それに、休みならいつでも合わせるから!」


名前の言葉が寂しくないといえば嘘になる。でも、その言葉の裏に一緒にいたいという気持ちを押し殺してくれていることも俺は知っていた。

俺のことを一番に考えてくれるのは純粋に嬉しいが、それで名前が我慢しすぎて俺といるのが嫌になってしまわないか心配になる。

俺としては名前と結婚だってしたい。幸せな家庭を築いて、子どもだって欲しい。それなのに、二人の時間がどうしてもかみ合わないのだ。

どうにか、それを埋める方法はないのかと思案しながら素早い敵にバカにされている相棒を助けてやる。素早いだけの敵はあっさりと捉えられ、盗まれた品々は相棒が保護していた被害者へと全て返される。

その中に、引越しのための大事な書類が入っていて助かったと感謝を何度も述べる女性がいた。なんでも、就職のために地方から出てきたばかりで右も左もわからぬまま大事な書類すら盗まれてしまって路頭に迷うところだったらしい。

その話を聞いていて、ふと考えが頭を過ぎった。名前と一緒に住んでしまえば、帰宅するだけで名前に会える。一緒にいる時間が自然に増えて、今抱えているお互いの我慢はなくなるんじゃないか、と。

これ以上ないほどのいい案だと思った。面倒な後処理を早く終わらせてしまいたい。そして、一刻も早く名前の元へと行きたい。

到着した警察に敵を引き渡し、足早に事務所へと戻る。どうやって名前に切り出そうかばかり考えてしまって、報告書が手に付かない。次世代のためにと始めたこの行為が初めて億劫に感じられた。

しかし、この報告書を相棒たちが暇さえあれば熟読しているのを知っているので手を抜くことは出来ない。いつもの倍近くの時間をかけて報告書を作成してファイリングを終えた。

すっかり外は暗くなってしまったが、急ぎ足で事務所を後にし、名前の家へと向かう。戻ると約束はしなかったから、待ってはくれていないだろう。もしかしたらせっかくのオフだったのに暇にしてしまったから出かけているかもしれない。
 

それでも連絡を入れる時間すら惜しい。早く、早く名前の家へ。


はやる気持ちがいつの間にか足をかけさせていて、名前の家に付く頃には息があがっていた。緊張しながらインターホンを押す。どうかいてくれ。


『はい……え、焦凍!?』


俺が声を発するより先にカメラで俺の姿を確認した名前が声をあげて急いで鍵を開けてくれた。

出てきた名前は驚いた表情だ。いつも呼び出された後は戻ることがなかったからだろう。そんな名前を抱き寄せて腕の中に閉じ込める。

あれだけ考えていた誘い文句なんて名前を前にしたら全部消し飛んでしまった。


「名前、一緒に暮らそう。俺はもう、これ以上俺のせいで名前を我慢させたくない。」


「え、でも、そんなことしたら……」


「世間には認めさせる。俺は、これから先もずっと名前と一緒にいたい。そのためにも、まずは一緒に住もう。」


じんわりと胸元が濡れているような気がする。泣いているのだろうか。落ち着かせようと名前の家を出る前にも感じた柔らかい髪を撫でる。

落ち着かせようとしたはずなのに、嗚咽まで聞こえてきて、名前は本格的に泣き始めてしまった。ぽんぽんと背中を撫でながら名前を抱き上げて開きっぱなしだったドアを閉めるために部屋の中へと入っていく。

しばらく泣いた名前は落ち着いて、じっと俺を見上げている。その額に口付けて、もう一度口を開いた。


「名前、一緒に暮らそう。愛してる。」

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