偽物


懐かしい夢を見ていた気がする。もう数年前の、ボスから私に命令が下った日。そこから数ヶ月間の夢。

はらりと雫が頬を濡らした。

私に課せられた使命と、鋭児郎への気持ちが心を締め付ける。

雑念を振り払うように顔を冷水で洗った。こんな夢を見たせいだ。私は敵。そして今日は鋭児郎がオフだと言っていたから家に行く約束をしていたんだった。

時計をちらりと見ればまだ朝も早い時間。こんな時刻に目が覚めるほど夢見が悪かったということなのだろうか。ゆっくりと着替えて準備をして鋭児郎の家へと向かった。鋭児郎経由で手に入れた情報。それをボスに渡して聞いた“約束”の日。その日が近付いていた。


「鋭児郎、お邪魔します!」

「名前は相変わらずはえーな。もっとゆっくりでもいいのに。」

「だって、少しでも早く鋭児郎に会いたかった。」


少なくとも、それは嘘ではなかった。“約束”の日がくれば、鋭児郎と一緒にはいられない。私と鋭児郎は、本来敵対する立場の人間なのだから。

“約束”の日の具体的な日付は聞いていない。恐らく、準備やヒーロー側の新たな情報を持って確定するのだろう。

あと何日鋭児郎と一緒にいられるかわからなかった。それが余計に鋭児郎を恋しくさせた。

数年がかりで築き上げた信頼と恋心は、頭では割り切っていても心は割り切れなかった。その結果膨れ上がった恋心が私がボスの下にいなければ、鋭児郎ともっと普通に恋愛できたのかもしれない、なんて思わせる。

けれど、ボスがいなければ私の命はなかっただろうし、命令がなければ鋭児郎とお近づきになれることもなかっただろう。

そんな現実が、たらればの話を呆気なくぶち壊していく。


「……い、おい、名前?」

「えっ、あっ、どうしたの?」

「いや、呼んでも返事ねーから。大丈夫か?」

「あ、ごめん。今日のお昼ごはん、何作ってあげようかなって考えてた。」

「昼飯のこと考えてたのかよ!ったく、風邪でもひいてんのかと焦ったわ!」


慌てて言い訳をすれば信じてもらえたようで、笑い声も聞こえてくる。つられて笑っていれば、頬がつつかれた。


「そうやって笑っててくれよ。俺、名前の笑ってる顔すげー好き。守ってやらなきゃって思うんだよな。」


二カッと笑う鋭児郎がまぶしい。それに比べたら私の笑顔なんて、泥臭くて、まるで仮面だ。

本心から笑うことなんて許されていない。誰も許しはしない。
ごめんね、それは偽物だから。

そう心で呟いたのは自分のためか、鋭児郎のためか。流すことの出来ない涙が、零れた気がした。

心を鬼にして、数日のうちに別れを告げなければいけないことに、無意識に頬の内側を噛み締めていた。

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