いらない


しばらくして戻ってきた鋭児郎は、すっきりしたようで眉尻が下がっている。

知らずに私を組み敷いたことを悔やんでいるのだろう。

そんな真面目な鋭児郎を慰めながらテレビを見たり、ネットで鋭児郎の活躍を見たりしていたら、部屋には西日が差し込んでいた。


「私そろそろ帰らなきゃ。」

「お、もうそんな時間か。」


今をときめくヒーローの鋭児郎は当然明日は仕事なので、いつも邪魔にならないよう夕方になったら帰っている。これはいつものことなので怪しまれることはなかった。


「また休みの日がわかったら連絡するわ。」

「うん、待ってる。」


玄関先で背伸びをすれば、鋭児郎は髪を撫でて唇を重ねてくれる。別れ際の挨拶を終えれば扉を開ける。

本当なら今日、別れ話をしなければならなかった。“約束”の日がまだ具体的にわからないとはいえ、間もなくなのは確かなのだから。

人通りの少ない道を選んでとぼとぼと歩いていく。時間帯がずれているせいで、本当に人がいない。

一度立ち止まって鋭児郎の家の方向へと視線を向ける。


愛して、しまった愛しい人。


ふわりと生暖かい風が吹き抜けた。鋭児郎の温もりを取って行かないで。誰に知られるでもなく、自分で自分の体を抱きしめる。

かすかに残った鋭児郎の香りと、温もりを感じていたのに、自然は無情でまた風が吹き抜けていく。

僅かな思い出さえも奪っていく風に観念して一歩、また一歩と家路を進み始めた。

歩みを進めるごとに、鋭児郎の温もりは消えていく。代わりに、敵として鋭児郎とどう終わりを迎えるかが頭を支配していく。




考え事をしながら歩いていたせいか、時々道を間違えて家につくのが大分遅くなってしまった。

途中で買ったおにぎりを開封してぽつんと置かれた椅子に腰掛ける。鋭児郎と“偽”の恋人期間のためだけに住むだけだからとあまり家具は買い揃えなかったのだ。

カーテンも締め切った部屋の中は日光が入らずあまり温度があがらなかったのか椅子はひんやりとしていた。

とどめを刺すように私の体を冷やして鋭児郎の痕跡を消していく。


そうね、思い出に温かさなんていらないの。


これまたひんやりとしたおにぎりにかぶり付きながら、帰り道結局答えの出なかった問題に思考を移す。


鋭児郎の次の休みまで、“約束”の日が訪れないだろうか。

わざわざ休みまで待って別れ話をするのは不自然じゃないだろうか。

会って話さなければ個性を使って別れ話をすることが出来ない。

でも会ってしまえば決意は揺らがないだろうか。

それならいっそ、“約束”の日がわかってからでもよくないだろうか。

そもそも、“約束”の日が前もってわかるのだろうか。


ぐるぐると自問自答を繰り返しても、やはり答えが出る様子はない。二つ目のおにぎりを開封しながら、鋭児郎を思い浮かべる。


「本当に、愛してしまってごめんなさい。無情になりきれなくて……ごめんなさい。」

誰にも届かぬ呟きは、部屋の中へと霧散した。いっそ消えてしまえればいいのにと、ひとりごちながら、思考を放棄しておにぎりでお腹を満たしていった。

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