愛
結局あれから先に進むことはなかった。断られた理由が嘘か本当かはわからなかったが、確かめるわけにもいかないのでトイレで処理をした。
焦ってばかりで、かっこ悪い。
特になにをするでもなく、いつも通りを過ごした名前は、いつも通りの時間に俺の家から出て行った。
明日は仕事か。正直それどころではなかったが、俺たちヒーローを待ってる人がいる限り、そうも言っていられない。
ここ数週間は平和な日が続いていて、敵が現れてもひったくりだとか、恐喝だとかそんな類のものばかりだ。
この平和な日常が続いていれば名前とはずっと一緒にいられるのかと、また名前のことを考える。
無意識に俺はスマホを点けて、名前とのやりとりを眺めていた。と、どこかの事務所から通信が入った。これは飯田のところか。
「どうした?」
「例の敵集団に動きがあったそうだ。明日、緊急で会議を開くので参加するように、と連絡が入った。」
「……わかった。」
ついに来てしまったのか。嫌な予感が胸をよぎる。眺めていたスマホを握り締めてため息をついた。無性に、名前に会いたくなった。
意識があっちへいったり、こっちへいったりしている中、どうにか仕事を終わらせて、家路を急いだ。早く帰ってシャワー浴びて、寝てしまおう。そうしたら、名前に夢の中でくらいなら会えるかもしれない。
少し熱めのシャワーを浴び終えて、ぼーっとほんのり光る月を見ていたら、スマホが震えた。
差出人は名前。明日会いたいと書かれたそれは同じ気持ちだったのかと思うのと同時に、最後を感じさせてぐっと奥歯が重なり合った。
この感情のまま返事をしたくなくて、しばらく放置したあと、重い腰をあげて返事を打ち始めた。あたかも今まで仕事をしていた風を装って。
さすがに会議だとは言えず、ダチと飯を食うって言い訳を作って送信した。既読は付かない。もう寝てしまったのかもしれない。
俺も床について、名前のことを考えながら眠りについた。夢のなかでくらい、どうか会えます様に。
*
「さっそくだが、我々が今追っている敵集団について、この数日のうちに大きく動きだすことがわかった。場所は絞れた限りで3箇所。日程は今日から2日後が濃厚とのことだ。」
だからあれほどまで緊迫した様子で名前は連絡をしてきたのか。既読がついたまま一向に返事を知らせないスマホを指先で撫でた。
「明日の朝からこの3箇所を重点的にパトロールをする。一番濃厚な2日後に関しては、更にパトロール体勢を強化しようと思う。」
飯田がてきぱきと指示を出していく。それぞれの担当エリアを戦闘力や諜報力を元に決めていく。俺はAエリア担当らしい。同じAエリア担当の麗日と視線があった。俺が、俺たちが絶対に止めてやる。
時刻が23時を示そうかという頃、ようやく会議は終わって家路についた。スマホを確認するが、やはり返事は来ていない。
落胆して、また家路を急いだ。作戦はもう、始まっているのだから。
マンションの階段を上りきると、俺の家の前に小さな影が見えた。名前かと思って呼んでみたが、反応がない。焦がれるあまり見間違えたのかと近寄ってみたら、やっぱり名前だ。それでも、まだ幻でも見ているのかと疑って、恐る恐る声をかけた。
「っ、鋭児郎!」
夢でも幻でもなかった名前は飛び上がるようにして俺に抱きついた。甘いシャンプーの香りが俺を包み込んだ。少しひんやりとした名前をとりあえず部屋の中へと招き入れて、上着だけ脱いでベッドに座った。
来いよと意味を込めて腕を広げてやれば、飛び込んでくる名前は、最高に愛しかった。
「鋭児郎がせっかくお友達と楽しくご飯食べてるの、邪魔したくなかった。でも、遅いって言うからお酒でも飲んでるのかなって思ったんだけど、飲まなかったんだね。」
「あ、あぁ……そういう、雰囲気じゃなくて。」
しばらくして落ち着いてきた名前を抱きしめていれば、名前は謝罪と、どこか鋭い質問を投げかけてきた。
想定していなかったそれに動揺を隠し切れなかった。俺たちの動きがバレてしまったら、守れるはずのひとたちも守れなくなってしまう。
冷や汗が背中を伝ったものの、名前はどうやら浮気を心配したらしくてほっとした。そんなこと、絶対に、なにがあってもしない。
浮気をしない、と信じてはもらえたようだが、それでもどこか不安そうなのは、それがまだ心配なのか、それでもいなくなってしまうという決意の現われなのかわからなかった。
少しでも俺に縛り付けたくて、そっと唇を重ねた。恋しくて恋しくて、たまらない。絶対に守ると、更に決意を固めた。
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