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 降谷は相変わらず忙しい日々を送っていた。安室やバーボンとしての生活は終わり、降谷という一人の人間に戻ったものの、そもそも降谷が多忙なのだ。黒の組織が壊滅状態になったからといって、降谷の仕事は無くならない。
 泊まり込むことも珍しくない降谷が夜に愛車を走らせているのは、気分転換のドライブ――だったら良かったのだが、やはり仕事であった。
 視界を漂う紫煙に、降谷はほんの少しだけ眉をひそめる。
 助手席の人物は目ざとくそれに気づき、喉の奥で笑った。降谷が何も言わずとも、綺麗な車用灰皿に煙草を押し付ける。
 降谷のRX-7の助手席に座るのは、かの大女優クリス・ヴィンヤードである。彼女は降谷の部下として日本国外で動いている傍らで、女優業を続けている。

「貴方、嫌煙家だったかしら?」
「……吸っても構わない。ただ、楽しくもない頃のことを思い出しただけだ」
「従順だった頃の貴方が懐かしいわね」
「それはなにより」
「つれないわねぇ」
「それで、ベルモット。およそ一年の調査の結果を聞かせてもらおうか」

 長い指が、USBを差し出す。降谷は進行方向を見たままそれを受け取り、上着のポケットに押し込んだ。
 ベルモットの任務は、ガヴィの行方を追うことだった。組織が壊滅に追い込まれ脅威ではなくなったとはいえ、ガヴィを野放しには出来ない。とはいえ降谷自らが動くことは難しく、ガヴィの調査をベルモットに丸投げしたのだ。

「彼女のバックに何があるのか、今何をしているのか……そのあたりは謎のままね」
「やはり一年程度では無理か……」
「悔しいけれど、その通りね。ガヴィは素人どころか、プロ中のプロ。同じ組織にいた頃でさえ、情報が漏れることなんてなかったもの」
「怖気づいたのか?」
「あのねえ、怖気づきもするわよ。"裏切り者"の私は、ガヴィに見つかったら一刻の猶予もなく処刑されるのよ?こんな仕事だと知っていれば、貴方のもとになんて就かなかったわ」

 仕事を言い渡した当初にも、降谷はそう抗議されていた。
 誰だってそうだろう、というのが最初の返答だった。ガヴィが容赦をすることの方が、想像が難しい。探りに入るのが誰であれ、ガヴィは完膚なきまでに叩きのめしてくるだろう。
 しかし、ベルモットは降谷の言葉を否定したのだ。ガヴィは、特に裏切り者に対して、一切の容赦をしないのだと。対ガヴィ戦で、赤井が真っ先に射殺されなかったことがその証拠なのだと。
 初めから別の組織に所属している者は、相応の利用価値がある。誰がスパイなのかを把握さえ出来れば、探られても探り返せる。スパイが組織を抜けることになっても"相手には手の内がばれている"と分かっていることさえ、武器に出来る。
 ガヴィはそんな風に考えているらしい。

「……けれど、『何も分かりませんでした』じゃ格好がつかないでしょう?」
「一体どんな土産を?」
「クールガイが保護されたというガヴィのセーフハウスを突き止めたわ」
「!」
「詳しい場所は、後で確認して。周辺の地形と、同じアパートに住む人間の情報は、集められるだけ集めたわ」
「侵入は?」
「……出来なかったのよ」
「そこまで突き止めておいて?」
「ただのマンションじゃないわ、あれは」

 ベルモットは芝居じみた動作で首を振る。疲労感溢れる深いため息もセットだ。
 
「データにも入っているけれど……ワンフロア三部屋の四階建てで、ガヴィの部屋はおそらく三階の真ん中。両方の角部屋は入居していることになっているけれど、空き家じゃないかしら」
「そこまで分かっていて、何故入らなかったんだ。本人がいたわけではないんだろ?」
「当たり前じゃない。彼女がいたら、私は今頃雲の上で優雅にワインでも飲んでいるわよ」
「最新のセキュリティでも?」
「……ある意味、それよりも厄介かもしれないわね。そのマンションの入居者はもちろん、周辺に住んでいる人間も、ガヴィの息がかかった者ばかりなんだもの」

 いわく、よそ者が非常に珍しい地域らしい。その町に入った段階でマークされ、例のマンションについて聞いてもはぐらかされるばかりだと言う。町に住んでいる人物に変装しても、マンションに入ろうとすれば入居者や近くにいた人に止められる。何の変哲もないマンションだというのに、入居者以外は入ることを許されないのだ。 
 その入居者に関しても、少々おかしな話がある。ベルモットが苦労して手に入れた名簿よりも、住んでいる人間が明らかに多いのだ。

「紛れ込むことは?」
「やったわよ、もちろん。彼ら特有の合図や暗号があるみたいでね、早々に追い返されたわ」
「……」
「あの地域での、これ以上の調査は難しいわね」
「……ガヴィの部屋の名義は?」
「レティーツィア・シェーラー。ピアニストとして、各地のホテルやバーを転々としているそうよ」

 降谷は赤信号で止まり、一つ息を吐いた。「貴方、ちょっと運転荒くなったわね」という失礼な言葉には「上司ではなく部下だしな」とおざなりに返す。
 ドイツ系の名前であるが、ガヴィのことだ、カバーを複数持っていても驚かない。ただ、セーフハウスを構えるくらいなのだから、その地域にはよく出入りしているのだろう。
 降谷は緩やかにアクセルを踏み込むと、目的地のないドライブを再開させる。

「ところで、ボス?」
「なんだ」
「最近変わったことはあったかしら」
「俺が十二指腸潰瘍になってることか」
「平和なようね」
「はあ……何か、引っかかることでも?」

 降谷の胃腸的には全く平和ではないのだが、以前にも十二指腸潰瘍が知らぬ間に治癒していることがあったので、確かに目新しい異変ではない。
 降谷が横目で助手席を見ると、美女は細い眉を寄せて遠くを睨んでいた。 

「――――宮野明美を探している人間がいるわ」


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