3-1


「ほう。それで、ボウヤは彼を追いかけて国境を越えた、と」
「違う!」

 ロサンゼルスのカフェにて。新一の向かいに座る赤井秀一は、煙草をふかしながら笑った。
 赤井秀一が日本を出て拠点をアメリカに戻したのは、江戸川コナンと灰原哀が姿を消してすぐのことだった。赤井をはじめ、FBIの複数のチームで受け持っていた黒づくめの組織は、今ではすっかり鳴りを潜めているが、仕事はなくならない。まして、FBIきっての切れ者、凄腕スナイパーとして知られている赤井秀一は大人気である。
 新一の滞在先(両親の家)があるロサンゼルスで会えたのは幸運だった。新一が渡米することを知らせると、赤井もちょうど仕事の都合でロサンゼルスに滞在していたのだ。

「依頼の一環だっての……赤井さん、俺をからかって楽しいかよ」
「可愛がってると言ってくれ。それで?人探しの依頼に進展はあったのか?」

 オリヴァー・トムソンから受けた依頼は、相変わらず行き詰っている。流石の新一も八方塞がりの中、トムソンからの毎夕の連絡と、両親からの連絡と、嫌でも目に入る怪盗の話題に背を押され、パスポートを持ったのだ。
 ただ、決定的になったのは、そのどれでもなく――『今受けている依頼から手を引いたほうが良い』という、降谷からの連絡だった。
 新一は今日、トムソン夫妻が暮らしていたというサンディエゴからロサンゼルスに移動していた。サンディエゴではトムソン夫妻の家――オリヴァーが来日中なので当然空き家だったが――やその周辺を歩き、近所の人にも話を聞いていた。
 しかし。

「それが、かんばしくねぇんだよな……わざわざアメリカまで来てるっていうのに」
「詳しくは知らんが、ボウヤのことだ、きっと糸口を見つけるさ。たまには、ご両親とゆっくり過ごすのもいいだろう」
「父さんは締め切り前で缶詰だけどな……」
「彼の雄姿は?」

 赤井が、隣のテーブルに座る女性グループを横目で見る。彼女らは怪盗キッドの姿を生で見るべく、楽しそうに作戦会議中だった。

「どうせ中継されるだろ。家で見るよ……って、赤井さんの仕事って、もしかしてアイツか?」
「それは別のチームが担当だ。俺は別件」
「赤井さんって今どういう事件の担当なんだ?ヘルプによく入るってのは聞いたことあるけど」
「以前とほとんど変わらんよ。ロスで動きがあるというんで、少し前からこちらにいる」
「あの組織と変わんねーって……またすげえの追っかけてるんだな」
「情報が嫌になるほど少なくてな、頭が痛いよ」
 
 黒の組織のようなものをまた相手にしているとは初耳だった。新一も思わず、表情を苦いものにしてしまう。
 新一の脳裏に、以前病院で聞いた言葉がよみがえった。手負いの体で、敵中にありながらも強者だった彼女は、今も元気に暗躍しているのだろう。

「『次は別の者たちが、ぼくらの立ち位置に収まるさ』」
「なんだ?」
「ガヴィが言ってたんだ。その時は腹も立ったけど、的を射てるんだよな」

 犯罪組織は、黒の組織だけではない。組織の大きさはともかく、日本国内だけでも数えきれないほどのグループがある。世界規模で考えれば途方もない数になるだろう。事実、降谷はほとんど帰宅できないほど仕事が多いし、赤井の元にも絶え間なく依頼は舞い込んでいる。
 新一が黒の組織に立ち向かったのは、元の姿を取り戻すことと、自分の大切な人たちへの危険を取り除くという大きな目的があったからだ。全ての凶悪組織と対峙するほど無謀ではない。
 だが、もしその存在をほのめかすような出来事があれば、自分は首を突っ込んでしまうだろう。

「それでも、あの組織を潰したことには大きな意味があった。ボウヤは我々のヒーローといったところだ」
「はは、空は飛べねぇけど」
「スケボーで何度か飛んでいなかったか?」
「大人の体じゃあ無理だよ」
「ふ、違いない。……ああ、そうだ。降谷くんから止められた人探しの依頼というのは、そんなに物騒な背景があるのか?」

 赤井がかすかな笑みをひっこめて、怪訝そうな顔をした。彼は気難しいからな、と呟きながら煙草を灰皿に押し付けている。おそらく、降谷本人の前では言えない一言だ。
 新一は頬杖をついて、唇を尖らせた。この件には、全く納得していないのだ。

「いや?羽振りはいいけど、危ない感じはない。理由も聞かされずに止めろって言われて、止めるわけねーし……」
「むしろ燃え上がるタイプだろう」
「そ。だから、こうして渡米してる」
「降谷くんもボウヤの性格は分かっているはずだが……相当疲れているのか、口に出来ない理由があるのか……」
「そんなに厳しく言われてはないんだよな。ただ『止めておいたほうが良い』『ほどほどにしておくように』って」
「そもそも、ボウヤは降谷くんに依頼の詳細を話したのか?」
「ベルモットがうちにきて、そのあと降谷さんとこ行ったから、ベルモットから何か聞いたんだと思う。たまたま写真見られてさ……ベルモットはなにか知ってるらしいけど、俺から聞いてもはぐらかされるし」
「……気になるな」
「だろ?あ、じゃあ赤井さんにも――――」

 鞄をあさろうとするが、視界の端に人だかりをとらえる。カフェのはす向かいにある花屋だ。LAPD(ロサンゼルス市警察)と思われる制服姿もちらほら見られる。
 何か事件だろうか――新一の悪い癖が発動していた。
 花屋へ意識を投げている新一の耳に、低い笑いが聞こえた。新一はやっと我に返り、対面の赤井を横目で見る。

「本当に相変わらずだ、ボウヤ」
「……連邦捜査官」
「出しゃばると嫌われてしまう。様子を見るだけだぞ」

 新一はさっと席を立つ。今度こそ、赤井が声を立てて笑った。




 野次馬に紛れて、問題の花屋を窺う。血痕もなければ、殺伐とした雰囲気もない。
 規制線の中にいる一般人はおそらく二人。警官に宥められている金髪の女性は、頭を押さえてずいぶん気分が悪そうだ。もう一人、赤茶色の髪の女性の姿もあり、こちらも青白い顔だが冷静に話をしているようだ。
 聞こえる英語をつなぎあわせると、どうやら店主が階段から落ちて亡くなったらしい。
 探偵の出る幕ではなさそうだ。新一は早々に興味を失い始めたが、ふと、陳列されているフラワーバスケットが目に留まった。
 鮮やかなオレンジ色のマリーゴールドの首に、黒いリングが引っかかっている。
 新一は、引きつけられるように人混みをかき分け、規制線のギリギリまで移動した。よくよく目を凝らすと、一匹のヘビがくるりと輪を描いていることが分かる。顔と尾の間に、マリーゴールドの茎が難なく通る程度の隙間がある。
 落とし物にしては妙な場所だ。何かの悪戯か、もしくは、ここの店主は転落死などではなく――。

「オーナーが、足を滑らせて階段から落ち、頭を強く打って亡くなったそうだ」

 規制線の中から出てきた赤井は、新一を野次馬の中から連れ出してそう言った。
 新一は不謹慎ながらも肩を落とす。一通り話を聞いてきた赤井がそういうのだから、事件性はないと考えて間違いない。指輪のことは気になるが、本当に悪戯だった可能性が高い。
 新一は相槌を打つと、警官に宥められている女性について問い掛けた。

「彼女は第一発見者。毎週ここでバスケットを作ってもらっているそうだ」
「バスケット……」
「ちなみに、もう一人も常連客で、混乱していた彼女の代わりに通報したらしい」
「へえ……」
「……話を聞いてみるか?」
「え、いいの?」
「あそこにいる妙に人相の悪い男が、幸運にも俺の知り合いでな。好きにしろと言ってきた」

 ならば、是非。新一は即答した。
 赤井とともに規制線をくぐり、赤井の知り合いだという男と軽く挨拶をする。どうせ事故なのだから無駄だし、それで気が済むのなら好きにしろ、とかなり投げやりな態度だった。
 それなら好きにさせてもらおうと、新一は赤茶色の髪の女性へ歩み寄る。ちょうど警官からの質問がとぎれたようで、女性は一人、目頭を揉んでいた。
 新一は少しだけかがみ、つとめて優しい声をかける。

「こんにちは。少しお話を聞きたいんですけど……」

 女性は肩をはねさせた後に、どこからどうみても一般人の新一をじろりと見た。うかがえるのは、警戒と疲労感だ。
 女性はそのまま視線を走らせ、新一の後ろに立つ赤井を確認すると、何らかの関係者であると納得したのか、これみよがしにため息をついた。

「なにかしら。さっきの人に全部話したわよ」
「その話をもう一度、聞かせていただけませんか?お姉さん」
「ローレン・ヒルよ……全く、なんだっていうの。私は毎月、入院している母へのお見舞いをここに買いに来るの。ジョーンズさんはセンスがいいし、話しやすくて優しい方なのよ……まさか、もうお話出来ないなんて」
「通報したのは、ヒルさん?」
「ええ。あの彼女が腰を抜かして取り乱していたから……私がしっかりしなきゃと思ったのよ」
「店主が落ちた階段というのは?」
「奥にあるカウンターのそばよ。ここ、二階がオーナーの家になってるの」
「なるほど。ところで、ヘビについて何か思いつくことってありますか?」
「ヘビ?大嫌いよ、気持ち悪い」

 新一は礼を言って、ヒルから離れる。そのまま、もう一人の女性の元へ移動した。
 金髪の女性は、ハンカチを強く握って視線を落としている。ひとまずは落ち着いているらしい。
 新一は、女性が座る椅子の前でひざを折った。

「こんにちは、お姉さん。少し、お話をうかがいたいんですけど……」

 女性は新一をちらりとだけ見て、「何」と力のない声を発した。

「お名前は?」
「……アンナ・カーター」
「カーターさんが来店した時には、ジョーンズさんはもう……?」
「階段下で倒れていたわ。もう、私、頭が真っ白になっちゃって……!」
「毎週、こちらで花を?」
「ええ、お気に入りのバスケットに生けてもらうの……今日もそのはずだったのよ」
「辛いことを思い出させてしまってすみません。最後に一つだけ。ヘビについて、何か思いつくことはありますか?」
「ヘビ……?財布とか、バッグかしら」
「そうですか。ありがとうございます」

 怪しい様子や引っかかる言葉もない。具合の悪さだけは伝わった。
 店主が落ちたという階段や店内も見て回ったが、おかしな傷や道具を見つけることは出来なかった。ただの事故として処理をしても、なんの違和感もない状況だ。
 新一は、赤井の知り合いの警官に礼を言ってから、規制線をくぐる。赤井も新一に続いて店を出た。

「ボウヤ、ヘビがどうかしたのか?」
「ヘビの指輪が、花にひっかかってて……」

 新一は店先のフラワーバスケットを示す。しかしそこには、オレンジ色をほこる何の変哲もないマリーゴールドしかなかった。

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