6-3


 赤井が「Good job.」と新一の肩を叩く。

「ボウヤの言った通りだったな」

 勢いで取調室を出た赤井に、煙草の匂いをつけ、ガヴィに畳みかけるように、とアドバイスをしたのは新一だった。
 新一は別室でガヴィを観察し、揺さぶることが出来ると判断したのだ。
 記憶に何らかの障害があったのは本当だろう。記憶障害を装うメリットが彼女にはないからだ。赤井にウェディングヴェールをかぶせた時に正気に戻ったのも、おそらく演技ではない。あの時、ガヴィは多少なりとも混乱していたのだ。そうでなければ、"あの"ガヴィが不必要な情報を口にするはずがない。
 『胸糞悪い約束まで』思い出したと、彼女は確かに言った。こんな意味の分からない言葉を、降谷らを混乱させるためにわざと口にしたとは考えにくい。
 もう一つ。ガヴィが"シャルロッテ"を己の名前ではないときっぱり否定した点だ。好きに解釈しろ、と言うのが正しい応答だろう。否定することすら手がかりになるし、ガヴィが即答したことや刺繍していることを踏まえれば、シャルロッテという女性は確かに存在すると判断できる。
 
「さすがクールガイね。ガヴィとも長い付き合いだけど、ドイツ語圏なんて初めて知ったわ」

 ベルモットが隣に来て、そっと耳打ちをする。
 降谷や赤井らはガヴィの勾留状態の見直しを行っていた。なにせ、穏やかな爬虫類が国際指名手配犯に戻ってしまったのだから。

「普段は英語なのか?」
「そうね。組織の中も、やはり共通語といえば英語だったから。まあ、私が大体アメリカにいたせいかもしれないけれど」
「縄張りみたいなもんか」
「一時的な仕事ならともかく、情報収集となれば長期の潜入が必須だもの。私は仕事もあるし、アメリカ……たまに日本ね。ガヴィはヨーロッパを広くカバーしていたわ。何か国語かはネイティブ並みだと思うわよ」

 ガヴィが口走っていたドイツ語は、一つ目が『黙れ』。二つ目が『馬鹿馬鹿しい』や『ふざけるな』といった意味のスラングらしい。

「西欧じゃ、多言語話者(マルチリンガル)も珍しくねーしな……」
「ベルモット」

 厳しい顔で話していた降谷が、ベルモットを呼ぶ。新一がじっと降谷に視線を送ると、降谷は渋面で手招きをした。
 公安から降谷とベルモット、FBIからは赤井とジョディという限られたメンバーの中に、新一も加わる。他の捜査員はそれぞれ持ち場にもどったらしく、会議室は静かなものだった。
 激情をすっかりおさめた赤井が口火を切る。

「以前、ボウヤ……江戸川コナンが保護されたセーフハウス周辺に絞って、シャルロッテという名前を検索してもらおう。各国とのパイプは、幸い、対組織協力体制のときに築けているからな」
「連絡はFBIに任せていいのか」
「ああ。なんとか頼んでみよう。本題は、取り引きについてだが……どう思う、ベルモット」

 ベルモットは、指に巻いた髪をするする解きながら言う。

「破格の取り引きよ。もちろん、得をするのはこちら側でね」

 目の前で多くの仲間を殺された赤井やジョディに変わり、現上司である降谷が促した。

「ガヴィの実力は計り知れないし、味方なら最高に頼もしい。それに、契約が成立すればきちんと働いてくれるわ。ガヴィも言っていたけど、犯罪者同士の信用って……言葉にすると滑稽だけどとても大切よ。こちらがガヴィに最低限の自由と生活を保障したなら、相応の働きをしてくれると思うわ」
「自由……どの程度だと思う?」
「それは貴方たちが彼女に求めるレベルによるわね。情報屋として利用したいなら、ほとんど放し飼いね。ガヴィを最大限活用したいなら、彼女の言う通りGPSでも埋め込んで解放しないと」
「リスクが大きすぎる。……こちらとしても、警察としてのプライドと体裁がある。とても取り引きには応じられないな」
「でしょうね。けど、どうするの?彼女のことだから、また脱走するかもしれないわよ」
「『難しい』と言っていた。より注意さえしていれば、前のようなことにはならないだろう」
「貴方がそういうなら、私は別に反対しないわ。ガヴィが解放されたら真っ先に殺されそうだし……けれど、惜しいとは思うわよ。ガヴィは人気者だから」
「犯罪者のアイドルか」
「一流のね。組織のころからスカウトはあったみたいよ。今はフリーのようだけれど……。以前と変わらない知名度を持ちながら、強大な後ろ盾もなく、一人で立ちまわっている……これって、とんでもないことよ。ただフリーでやっているだけじゃないわ」
「……命を狙われるからか。優秀な人材は、能力が一定レベルを超すと脅威になってしまう。一人で刺客をさばいているのだとすれば、一時も気が休まらんだろうな」
「ガヴィが命を狙われていたら、ね」
「どういうことだ?」
「組織に所属していたころは、組織からの報復を恐れて、ガヴィを狙う暗殺者はごくわずかだったでしょう。ガヴィがフリーになった今は、殺すよりも生かしておいた方が価値があるから、そもそも狙われないのよ。ガヴィの情報網は広いし、ガヴィ自身の能力も一級よ。潰すよりもビジネスパートナーとして関係を持っておいた方が、いざという時は有利になるわ」
「だから、ここで犯罪者として死ぬのは惜しいと?」
「ええ。まして、こちらと……こちら側と、優先契約を結んでくれるというのだから」

 新一はベルモットと降谷の会話を聞きながら、ぐっと眉を寄せた。
 難しい問題だ。ガヴィの価値はなんとなく分かったが、とてつもなくハイリスク・ハイリターンの取り引きになる。いくら犯罪世界で信用があるといっても、ガヴィが裏切らないと言い切れない。また、ガヴィに仲間を殺された者たちが、ガヴィとの協力関係に賛成するはずもない。
 ベルモットが降谷の預かりになったのは、対組織戦でコナンらに全面的に協力し、実力と協力姿勢を示したからだ。反対意見も多くあったが――親を殺されているジョディを筆頭に――降谷がベルモットの有用性を説き、対組織のブレインであるコナンの意見もあって、なんとか押し通せたのだ。
 ガヴィの立場はベルモットと似ているが、単純に戦力差が大きい。ガヴィの素性や能力に不明点が多いことからも、慎重にならざるをえない。

「ずいぶんと、高く評価しているのね」

 ジョディが額を押さえながらため息をつく。ベルモットに対する忌避感と、仲間を大勢殺した犯罪者に対する嫌悪感が隠せていなかった。
 
「私は絶対に反対よ。関与している事件全てで罪を問うことも出来ないのに、減刑だなんて。いくら価値がある人物でも、罪は償ってもらうわ」
「私はボスに求められるがまま、ガヴィの価値を述べただけよ。取り引きについて、口は出さないわ」
「……シュウはどう思う?」
「ふざけるな、と思っている。リスクも高すぎる、とてもじゃないが賛成できない」
「当然よね」
「だが、ここで結論は出せない。一任されているとはいえ、ジェームズにも通してかねばな……降谷君は?」
「俺も反対の方向で話をしておく。……いくらなんでも大博打すぎる、ガヴィにそこまで賭けられない」
「……あの、俺も少しいいですか」

 新一は控えめに挙手をした。
 
「ガヴィを擁護するつもりはないんですけど……チャンスを与えることは出来ませんか」
「試す、ということか?」

 赤井の問いかけに頷く。ベルモットが対組織作戦でしたように、ガヴィにも、その実力と協力姿勢を示す場を作ってほしいと思ったのだ。
 新一とて、ガヴィの近くにはいたくない。進んで手を組むのも遠慮したい。ガヴィの言葉を全て鵜呑みにするほど、楽観的でもない。
 
「このままだと、ガヴィは死刑確定だ。……でも、俺は、どんな凶悪事件の犯人でも、死んでほしくない。死なせたくない。生きていられるなら、生きて、罪を償ってほしい」
「新一君……」
「死刑の是非を議論する気はないよ。ただ、犯人が死ぬのが嫌だっていう俺のワガママなんだ」

 新一はシャツの胸元を握る。救えるはずだった命が目の前で失われる虚無感は、きっと一生忘れられないだろう。
 死んでいい人間などいない。どんな重罪を犯していても、死ねばいいなどとは思えない。
 それがガヴィでも同じだ。多くの人間を殺し、新一らが把握しきれない悪行を重ねていたとしても、ガヴィが死んでいい理由にはならない。

「ガヴィ本人も、生きることに執着している。組織と心中した奴らとは違う。ガヴィにとって黒の組織は、命の限り尽くすような存在じゃなかったんだ。だから、ひょっとしたら本当に味方に引き込めるかもしれないし……死刑が確定したら、なりふり構わず逃げるんじゃないかと思う」

 驚くほど鮮やかな手段で。たとえ何人殺すことになっても、自分が生き延びるために。
 新一はシワが残りそうなシャツから手を離した。いくら力説しても、決定を下すのは降谷や赤井たちだ。言いたいことは言えたので後は任せようと言葉を切る。
 新一に助け舟を出したのは、『口は出さない』と言ったベルモットだった。

「なら、色々と聞いてみたらどう?謎の狙撃犯のことや、クールガイが受けた依頼についても」
「依頼……って、もしかして」
「彼女の捜索依頼」
 
 ベルモットは、眉を寄せた降谷と、ピンときていない赤井をそれぞれ一瞥して続けた。

「一般人のような生活を送っていたけれど、彼女も組織の一員だったのよ。組織壊滅の後始末に追われたのはガヴィでしょうから、何か情報が洩れていたら、把握していると思うわ。ガヴィの"やる気"を試すには、いい題材でしょ。ボス?」
「……一理ある。依頼のことも狙撃のことも、全く背景が分かっていないからな」
 
 降谷がため息をついて頷いた。
 新一はベルモットからウィンクを送られ、愛想笑いを返す。助け舟はありがたいが、また別の問題が浮上するのだ。FBIきっての切れ者のマジギレは、筆舌につくしがたい迫力なのである。
 話についていけていないジョディと赤井が不満気に説明を求めた。

「ねえ、ちょっと待って。工藤君が受けた依頼に、組織の残党が関わっているってことでいいの?」
「それを降谷君も把握していたというのか?なぜ俺に相談しなかったんだ」
「落ち着け。正確には、毛利探偵事務所に人探しの依頼が持ち込まれ、その尋ね人が組織の関係者だったんだ」

 新一は持ち歩いている手帳を開き、手放せなかった写真のコピーをテーブルに出した。
 ジョディは首を傾けているが、赤井の動きが停止する。乾燥気味の唇がおののき、あけみ、と小さな声が漏れた。

「アケミって、もしかして……!?」
「俺が……俺が出会った頃よりも少し若いが、間違いない。これは明美だ」

 新一は唾を飲み込んで、依頼の詳細を説明した。
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