6-5


「一体、僕に何を聞きたいんだ?」

 降谷が取調室に入ると、待ち構えていた犯罪者は退屈そうに言った。昨日、急に声を出して喉を傷めてしまったのか、声質がハスキーだ。
 ぐでんとパイプ椅子に座り、何気なく腕を動かして手錠を眺めている。深い意味はないのだとしても、降谷らの精神衛生上よろしくないので止めていただきたい。ガヴィの斜め後ろに立つ監視役も、心なしか顔色が悪い。
 昨日とはずいぶん態度が違うな、と降谷は正直に呟いた。

「僕の要望は言った」

 ガヴィは手錠から視線をはずして、正面に座った降谷を見据える。睨むわけでも身構えているわけでもなく、平然と降谷を見据えている。
 昨日、取り乱していたことが嘘のようだ。一夜明け、完全にペースを取り戻したのだろう。厄介なことこの上ない。

「僕は拘束されている身。きみたちには話し合うだけの余裕があるはずだ。にもかかわらず、今日も早朝から取り調べ。取り引きについての意見がまとまったなら聞くけど、一晩でかたまるとは思えない……なら、僕に別の用事か?ああ、酒が飲みたいなあ」
「……長い独り言だな」
「独房じゃ、無暗に喋るな動くなとうるさいんだ」

 ガヴィの扱いは死刑囚のそれと大差ない。独房内では立ち上がることや声を出すことも禁止している。脱走のリスクを少しでも減らし、警察官や他の被疑者に悪影響を及ぼさないようにするためだ。
 報告によれば、ガヴィは記憶が戻って早々部屋で筋トレを始めているので、ガヴィがうるさく感じるほど注意が飛ぶのは自業自得である。

「呑気で羨ましい限りだな。『余裕があるはず』と言っていたが、こっちは忙しいんだ。時間もない」
「捜査官殺害や銃刀法違反で逮捕しているんだろう。任意ならともかく」
「俺はさっさと検察に渡したいんだよ」
「僕はきみとがいいな、バーボン?」
「はいはい。ああ、一応聞くが、弁護士は?」
「つくのか」
「決まりだ」
「可哀想な人もいたもんだな。僕の何を弁護するんだ」
「国選な」

 弁護のしようがないほど重罪人である自覚があるなら、色々と慎んでほしいところである。
 ガヴィの処遇は降谷らも頭を悩ませていたが、無事に記憶が戻ったので起訴する目処は立っている。それに伴った国選弁護人だ。本人は弁護など求めていないようだが、どの道、起訴後には弁護士がつかねばならない。
 
「今日は、赤井もクリスもいないんだな。向こうか?」

 ガヴィがマジックミラーを見ながら口にした。
 残念ながら二人は不在だが、教える理由もない。無価値と思われる情報も、ガヴィにとっては利用価値がある可能性を捨てきれないのだ。
 降谷は引き締めた表情を一転、口角を上げて片目をつむった。真意はともかく、ガヴィがバーボンに好意的だったことはベルモットや本堂(キール)を通して知っている。

「僕と一日一緒ですよ、嬉しいでしょう」
「せっかくなら、ベッドのある部屋が良かった」

 ガヴィも営業用の笑顔を浮かべる。
 降谷は笑顔のまま、「お断りです」と即答した。


 
 ガヴィが一般女性のように微笑んでいる。ここが四面楚歌の取調室ではなく街のカフェで、腕を手錠ではなく腕時計やブレスレットが飾っていれば、とても犯罪者だとは思えない。
 
「まず、名前は。……なんだその顔は」
「本当に僕のことを掴めていないんだな、と」

 ガヴィは一般人じみた雰囲気のまま、驚いたように頷いた。
 掴ませなかった本人のわざとらしいリアクションは腹立たしい。馬鹿にされているのだ。
 降谷は声を荒らげることも睨むこともせず、再度名前を催促した。書面は"黒崎瞳"で通しているが、本名が分かるに越したことはない。名前さえわかれば、探れることも増える。
 ガヴィは一呼吸おいて、コナンを保護したセーフハウスの名義を口にした。

「レティーツィア・シェーラー」
「それが偽名であることは分かっている」
「きみでいうと、"安室"と同等かな」
「だから偽名だろう。俺でいうところの"降谷"は何だと聞いている」
「そんな無価値な情報、口にする気にもならない」

 はぐらかすか黙秘だろうとは予測していたので、仕方がないと流して本題に入る。聞きたいことは山ほどあるが、今回の入国理由が最優先だ。捜査官殺害については前回の入院時に最低限聞いているので、ひとまず後回しである。
 
「ロサンゼルスでの銃撃戦後、逃亡するにしてもなぜ日本を選んだ?ガヴィにとっては欧州のほうが動きやすいだろう」
「熱心なストーカーに気付いて、わざわざアメリカに行ったんだ。ホームグラウンドに戻っても、待ち構えられている可能性が高いと判断した。日本は組織の時から出入りしていて、この通り日本語も堪能なんでな。日本語の名前だって違和感ないだろ?」

 赤井から聞いた情報を合わせると、ガヴィのストーカーはオフリドだ。ガヴィは己を探る存在の本拠地がアメリカにあると突き止め、欧州を出て情報を集めていたのだろう。
 ガヴィは銃撃戦に遭遇した後に来日し、直後、記憶喪失で拘束されている。銃撃戦の黒幕について情報を集める暇などなかったはずだ。にも関わらず、銃撃戦とストーカー(オフリド)の繋がりを知っているような口ぶりは、ただの偶然か、故意か。

「……ロスの銃撃戦はそのストーカーによるものか」

 ガヴィはすんなり頷いた。

「現場にいたガキはともかく、手引きしたのはそうだろう。あのレベルのおこちゃま達が、僕の動きを突き止められると思えない」

 銃撃戦はガヴィにとっても予想外であったことを踏まえると――想定内だったなら、赤井に目撃されることすらなく切り抜けられそうなものだ――銃撃戦の最中に気付いたのだろうか。見ただけで銃の入手経路が特定できる特殊能力を持っている訳でもあるまい。何か、ガヴィしか知らない出来事でもあったのだろうか。
 銃撃戦を起こしたギャングはともかく、オフリドはガヴィの同行を把握し先回りしてみせたのだから、とんでもなく厄介なグループだ。
 頭も胃腸も痛む。

「待ち伏せされていたのか。廃業したモーテルに何の用だったんだ、お前は」
「廃墟に寝泊まりする趣味はない。……それと、逆だよ、降谷零」
「何が」
「『銃撃戦後、逃亡するにしてもなぜ日本を選んだ?』と。僕は銃撃戦から逃亡したんじゃなく、アメリカを出るために、モーテルで待ち合わせをしていただけだ」
「……相手のホームグラウンドから出るためか。自分から飛び込んだのに?」
「想定していた以上に優秀だった。カバーが割れたようだったから、とっとと撤退したかったんだ」

 悪事を働くための来日でないだけマシだとしも――供述の信用性はともかく――厄介なストーカーをひっつけてきているのだから手におえない。ガヴィは逮捕出来ていても、オフリドは野放しだ。手がかりもない。
 降谷は薄いファイルから、一枚の写真を取り出した。FBIから提供されたグルームの写真だ。

「お前の言うストーカーの一員だと思われる写真だ。見覚えは?」
「ストーカーの主犯だな。以前、結婚詐欺でヘマをした男だ」
「知っているのも当然か……ヨーロッパのストーカーがアメリカ産だと突き止めるくらいだしな。こいつらがお前を追って日本に来ている」
「ご苦労だな。狙撃もゲストか」
「証拠はないがおそらく。……お前は奴らを"ゲスト"と呼んでいるのか?」
「結婚詐欺でヘマをしたから"招待客(ゲスト)"」
「それで、ゲストが執拗にガヴィを追う理由は?ゲストについて知っていることを話せ」
「断る」
「……は?」
「まさに今利用価値がある情報を話してしまえば、僕の価値が下がるだろ」

 ガヴィがにっこり笑って椅子に背を預けた。寒気のする笑みに腹の立つ態度である。
 降谷は咳ばらいを一つして、ファイルから別の写真を取り出した。今度は、新一が持っていた写真のコピーだ。 

「この写真に見覚えは?」
「宮野明美だな」
「彼女を探しているという男がいる。心当たりは?」
「ない。男って誰?」
「オリヴァー・トムソン、三五歳のアメリカ人。美術商で住所はサンディエゴ。日本人の妻がいて、この妻を探しに日本に来たそうだ」
「妻だと言って見せた写真がこれだったと」
「ああ」

 オリヴァー・トムソンについてはFBIが早急に調べてくれている。確かにカリフォルニアに住んでおり、日本人の妻もいるが、夫婦そろって妻の実家に帰省中だ。新一がカリフォルニアで見た家は本物のトムソン夫妻の家であり、人気が無いのも、夫妻が来日中なので当然のことだった。
 オリヴァー・トムソンを名乗った依頼主の身元は不明のままだ。毛利探偵事務所近辺の防犯カメラ映像を洗ったが、はっきりと顔が映っているものは無かった。
 宮野明美の写真を見ていたガヴィが、指先で机を叩く。

「オリヴァー・トムソンはただのカバーなんだろ?」
「残念ながらな」
「写真が無い以上、中身と面識があるかどうかは分からん。少なくとも、オリヴァー・トムソンは知らない」
「なら、何故今になって宮野明美が探されている?」
「僕に聞くなよ。困っている元部下に助言を与えるとすれば……その男は、本当に宮野明美を探している訳じゃない」
「写真を見ただけで、何故分かるんだ?」
「これは宮野明美を写した写真ではないからだ」
「……なら、狙いはなんだ」
「なんだろうなあ」

 ガヴィは、写真に写っていない事情を把握しているように見える。
 ガヴィの情報に甘えるのは癪だが、本当に宮野明美が狙われていないのならそれに越したことはない。妹の志保の警護も警戒レベルを下げられるし、新一も赤井も胸をなでおろすに違いない。
 潔く知っていることを全て吐けと問い詰めたいが、減刑を約束しない限りガヴィが応じないことは分かりきっている。記憶障害があっても口を割らなかったくらいだ、どうやったら話すのか甚だ疑問である。自身が降谷ではなくバーボンで、ここが人気のない倉庫であったなら、暴力的な手段もとっただろう。
 脳裏をよぎるほの暗い思考を追い払っていると、不意に監視の男が動いた。
 良く知った自分の部下の一人だ。彼がおもむろにジャケットの中に手を入れ、ショルダーホルスターから拳銃を抜いた。

「おい、拳銃の携帯は――」

 許可がおりた覚えが無いし、ガヴィの取り調べという危険な場面では――武器を奪われ状況をひっくり返されるという意味での危険だ――絶対に武器になるものを持ち込むなと言い含めていた。
 降谷の声は自然と低くなる。続くはずだった降谷の叱責は、銃声にかき消された。
 狭い部屋での銃声に、鼓膜が痛む。自分が蹴り倒したパイプ椅子の倒れる音も、肩を打ち抜かれたガヴィが椅子から落ちる音も、どこか遠く聞こえた。
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