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 犯罪組織の幹部ともなると金には困らないのだろう、と言外にほのめかされることがある。しかし残念ながら、巨大犯罪組織のボスの懐刀と言われたガヴィにばら撒ける金などない。"副業"のあったベルモットや、組織の金を使うことに遠慮のなかったジンはまた別だ。
 武器には金がいる。情報にも金が要る。足にも金が要る。各組織で融通を利かせるために、払い続けなければならない金もある。
 怪我をすれば、当然金がかかるのだ。ガヴィは健康保険になど入っていないので、中々法外な費用になる。

「……はい、確かに振り込まれてるね」

 繁華街の一角で夜のみ診療しているクリニックは、患者の事情に触れないという点ではまさに闇医者だが、医師免許を持っており健康保険も適用される。経営はホワイト、患者はブラックなグレークリニックだ。
 初老の医師のスマートフォンを借りて振り込みを済ませたガヴィは、ベッドサイドに置いてあるペットボトルに左手を伸ばし、痛みに顔をしかめる。しばらくは使い物にならなそうだ、と右手でボトルを取り、足で挟みながらキャップを開けた。

「起きた直後でよくそれだけ動けるねぇ。死にそうだったのに」
「肩を撃たれただけだ、問題ない」
「失血死するとこだったけど、君が問題ないっていうならそうなんだろう」

 医師は湯気の立つマグカップを持って、キャスターのついたデスクチェアでくつろいでいる。ガヴィ本人にも怪我の背景にも興味はなさそうだ。
 訳アリを受け入れる医者は総じてこんなものである。彼らの第一は「患者に金があるかどうか」で、金さえ十分払えば全て見て見ぬ振りをしてくれる。
 とはいえ、予想外の怪我で予想外の出費だ。
 銃撃は、決して、ガヴィが用意した演出ではなかったのだ。



 ファストフード店でバーガー、ポテト、ドリンクのセットを注文し、プレートを持ってフードコートを見回す。
 休日の昼時とあって、家族連れから学生で賑わっている。中には、スーツ姿の男やテーブルに論文を広げてパソコンを叩く大学生が、難しい顔をして座っていた。
 空席が見当たらず、ウォーターサーバーの近くで立ち往生していると、視界の端で男が席を立った。観葉植物の傍にある席がタイミングよく空いたのだ。
 早足で移動し、無事に席を確保する。二人掛けのテーブルは、片方が椅子、片方が壁面ソファーだ。ソファーに腰を下ろし、背もたれと座面の隙間に挟まっているスマートフォンを何気なくポケットに入れた。
 バーガーは一口で三分の一が消える。三口で口に収め咀嚼していると、拾ったばかりのスマートフォンが振動した。
 アイスコーヒーでバーガーを流し込み、スマートフォンを耳に当てる。

「Hi. How many rabbits are, tomorrow?」
『羊が三匹。……おい、悪目立ちするから日本語でってお前が言ったんだろ』
「You look Asian. But I'm WHITE, clearly. 」
『アラビア語が聞いてみたいって?』
「Sorry, 本当に分からなくなる」

 片手でバーガーの包み紙を丸め、まだ温かいポテトを口に放りこんだ。

「それじゃ、報告を」
『全てつつがなく。トイフェルは自由の身、テーマパークも指示通りだ』
「そうか」
『悪いが、俺たちはこれで引き上げる。あとは一人で好きにしろ』
「つれないな?日本に来た時は、あんなに元気そうだったじゃないか」
『言わなくても分かるだろ』

 隣の家族連れの子どもが真顔で見ていることに気付き、愛想よく笑って軽く手を振った。子どもはきょとんとした顔のまま、"あなたが手を振ったから返しています"と言わんばかりのおざなりさで振り返してくる。気づいた親が表情を硬くするも、流暢な日本語で挨拶をすれば緊張を解いたようだった。
 穏やかな日本人家族に対し、電話の向こうではため息まじりの批判が行われていた。

『最初こそ報復として動いていたが、ここまでくればただの私怨だ。付き合いきれない』
「強敵を相手に出来ると息巻いてた頃が懐かしいな」
『難しい仕事ほど燃える性質なんでな。だがあくまでビジネスだ。このまま日本で死ぬつもりはない。他の奴らも同意見』
「そうか、残念だ」
『……お前、トイフェルとどういう関係なんだ?』
「最初に知り合いだと言ったはずだけど」
『ただの知り合いを、ここまで執拗に追うわけないだろ。警察から出すと聞いたときにはキメてんのかと思ったぞ』

 低い声に混じって、フッと息を吐く音が聞こえる。ソファーにプリペイドスマートフォンを置いた後、喫煙所にでも行ったのだろう。

「んー、元同僚」
『お前の前職って……No, kidding. トイフェルなんて呼び方するから、まさかとは思っていたが。その時に恨みでも?』
「裏切りがあったんだ」
『まったく、付き合いきれない。完全に私怨じゃないか。先にそれを聞いていたら渡日もしなかった。報復の話はただのきっかけってことか……』
「今までありがとう、助かった。無事に日本を出られることを祈る」
『こっちを心配する暇があったら、自分の身を案じろよ』

 通話はそこでブツリと切られる。仲間や後ろ盾(アメリカマフィア)を失った合図だ。
 別に構わない。もっと早く見限られると思っていたくらいだ。彼らは思った以上に好奇心が強く、脅威を楽しむ強者だった。
 アイスコーヒーを飲み切ると、トレイを持って席を立つ。残った氷、紙類、ストローと指示に従って分別しながら、小さな声で呟いた。
 
「勘違いを訂正し損ねたな……裏切ったのは、僕の方なんだが」

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