7-2


 新一は、ガヴィが日本にいることや降谷の監視下にあることを宮野に話していなかった。彼女を怖がらせるのは不本意であり、監視下にあるガヴィは脅威にならないからだ。話したくないし話さなくても問題はないだろう、と判断していた。
 その状況も降谷からの連絡で一変する。苛立ちや怒りや踏みにじられたプライドを噛みしめながら、降谷は新一に"ガヴィの逃亡"を知らせた。

「目下捜索中だがまだ発見できてないらしい。組織がなくなった今、俺や宮野を狙う意味はないが、襲撃が無いとは言い切れねぇ。大学は大丈夫だと思うが、しばらくは一人になるなよ」
 
 阿笠邸で、宮野が青い顔で頭を押さえる。ガヴィが日本にいる、と告げた最初こそ新一に言い募ろうとしていたが、一度逮捕され再び逃亡の流れを口早に話すと、ぐっと黙り込んでしまった。
 コーヒーカップはテーブルに置かれたまま、ゆるりと温度を下げている。

「……彼、大丈夫なの?」

 深呼吸をした宮野が絞り出した一言がそれだった。誰のことかと問うと「降谷さん」と返って来る。

「ああ、その……あんま大丈夫じゃなさそうだ。口にはしねぇけど"首の皮一枚"って印象。組織のことは降谷さんに投げられてるのもあって、上も切るに切れないってところなんだろ」
「二度、脱走を許していることになるものね……いくら優秀でも挽回は難しいわ。それで、二度目の脱走はいつの話?」
「今日の昼」
「状況は聞いてるの?いえ、工藤君のことだから、上手く聞き出したんでしょう?」
「なんか人聞きワリィけど……。ガヴィが撃たれて救急車で搬送中、多重事故に巻き込まれて足止め食らって、催眠ガスで救急車の人間が気を失ってる間に逃走……らしい。ガヴィは人工呼吸器つけてたから、ガスが回らなかったんだろうって」
「『撃たれて』ってことは、大量出血で人工呼吸器をつけていたんでしょう?それほどの重傷患者が自力で逃亡出来るはずないわ。協力者がいたはずね」
「……思いの外冷静だな」
「冷静でいようと努めているのよ、分からない?工藤君みたいに図太くないのよ私は」

 宮野がため息交じりに言い、ぬるくなったコーヒーにやっと口をつけた。
 新一はむっとしたものの言い返さず、同じようにコーヒーを飲む。組織の話題は、宮野にとって新一以上にデリケートでナーバスだ。黙っていた負い目も多少はあり、口だけの八つ当たりを甘んじて受ける。

「そもそも、何故撃たれたの。捜査官の暴走?」
「そういうことになってるが、本人が撃ったことをろくに覚えていないらしい。降谷さんいわく、取り調べが始まった時にはすでに顔色が最悪だったそうだから、ストレスで衝動的に撃ったんだろ。……と、言いたい所なんだが、華麗に逃亡されてるっつー現状を踏まえると」
「"わざと撃たれた"、あるいは、"撃つように仕向けた"」
「現場を見てねぇから断言できねぇけど、俺はその両方だと思ってる。撃つように仕向けて、わざと撃たれた。狙撃避けるヤツだぜ?近距離でかわしきらなかったとしても、軽傷におさえることは出来そうだろ」
「ガヴィに対する信頼が厚いわね……ま、分からなくもないわ。けれど、逮捕されて行動が大幅に制限されている状態で"仕向ける"のは無理よ」
「……だよなあ」
「なにその顔」
「"仕向けた"んじゃないとすると、降谷さんの身内に、ガヴィの息がかかった者がいるってことになっちまうだろ」
「……そうね」

 ともかく、ほぼ蚊帳の外である新一に出来ることは少ない。宮野のフォローと、無用の外出を控えることくらいだ。降谷が新一に連絡してくれたのは『進展があったら連絡する』という言葉を守ってくれているからにすぎない。降谷が口約束を守ってくれている以上、新一も出来るだけ『勝手な行動は慎む』つもりだ。
 新一は、宮野がコーヒーカップをテーブルに戻したタイミングを見計らって切り出した。「実はもう一つ、話すことがある」一層真面目腐った新一の顔に何を思ったのか、宮野は目一杯眉を寄せつつ促した。

「少し前に、おっちゃんとこに人探しの依頼がきたんだ」
「手がかりが全然無いって言っていた?」
「それ。依頼人はアメリカ国籍の白人男性で、失踪した日本人女性の妻を探す依頼だったんだが、」
「守秘義務はどうしたの?」
「妻だと言って見せてきた写真が、明美さんだった」
「えっ……は?」
「俺はすぐ気づけなかったんだけど、その関係でオメ―には前々から警護がついてる」
「なんで……なんで、今になってお姉ちゃんが」

 宮野の声が震える。今にも泣きだしてしまいそうな表情に、新一は一呼吸置いてから続けた。女性の弱った表情は苦手なのだ。蘭しかり、宮野しかり。歩美も含まれる。

「ただ、ガヴィ曰く、明美さんは関係がないらしい。ガヴィが何を知ってるのかは分からねぇけど」
「……その写真、見せてもらえないかしら」
「いいぜ。コピーもとってあるし、やるよ」

 そのつもりで持って来た写真を渡す。
 宮野は呼吸を整えてそれを受け取り、膝の上に置いた。噛みしめるような弱弱しい声で、おねえちゃん、と呟く。
 新一は何となく視線を逸らして、自分の分のコーヒーに口をつけた。わざとゆっくり飲み下し、空になったカップを置く。

「ガヴィとは絶対に会いたくないけれど、こればっかりはハッキリさせてほしいわね……」

 写真を撫でる宮野に同意する。気味の悪い依頼を、気味の悪いままにしておきたくはない。
 そのためには、降谷や赤井の健闘を祈らねば。



 国際指名手配されている大泥棒が、自分の家にFBI捜査官を招くというのは自殺行為だ。正気を疑う行動だが、黒羽快斗にとっては今更でもある。先日、平成のホームズと日本警察のエースを不本意ながら招いたのは記憶に新しい。
 怪盗としてではなく黒羽快斗として顔を合わせるだけなのでセーフ、と誰に言うでもなく言い訳をする。

「より正確に言うならば、ガヴィは街頭テレビに釘付けだった、と」

 赤井は黒羽に、ガヴィ発見時の様子の詳細を聞きにやってきた。降谷にきっちり話してはいるが、謎の狙撃手の所属が明らかになったから改めて、ということらしい。
 狙撃手は、アメリカンマフィアに関わりのあるグループの人間だという。赤井らは"オフリド"、ガヴィは"ゲスト"と呼ぶ少人数グループ。犯罪者の精鋭といっても過言ではない、やり手の集まりだそうだ。
 協力は惜しまないが、黒羽とて狙撃手を見ていない。狙撃されたことに気づいただけだ。

「あくまで、俺の印象ですよ。ぼーっと突っ立ってるだけだったから」
「快斗君の目は確かだ、参考にする」
「買いかぶりすぎですよ……」
「そうすると、ガヴィの目的地が"そこ"だった可能性も捨てきれないな。ただの通り道だと思っていたが……」
「どちらにせよ、オフリド?ってやつらはガヴィの目的地を知っていたことになりますね」
「ああ。ガヴィがそう簡単に情報を漏らすはずがない……仲間割れか?」
「ガヴィも仲間には滞在先話すんですかねえ」
「……ないな、そんな迂闊なヤツじゃない。ガヴィの潜伏先が情報として売買された、とするほうが現実味がある」
「ガヴィの潜伏先なんて情報、とんでもない高値になりそう。つーか、そんな情報持ってたとしても、俺だったら報復が怖くて売れねぇわ……」
「賢明な判断だ。……もう一つの仮説は、ガヴィの行動を読めるほどの人間がオフリドにいる、ということだな」
「……怖すぎるんですけど」

 体を抱きしめて大げさに身震いする。こんな些細なおふざけも、降谷の前では出来ない。
 黒羽は降谷を苦手とする一方、赤井には親しみを感じている。降谷のことも尊敬はしているが、どちらと食事に行きたいかと問われれば断然赤井だ。赤井は降谷と違い、黒羽を爆殺しようとした過去が無いことに加え、亡き父に声が似ているのである。
 黒羽の反応に赤井が笑い、短くなった煙草を灰皿に押し付けた。

「街頭テレビの記録は戻って調べるか。当時、何が映っていたか覚えているか?」
「……怪盗キッドのニュースでした」
「ホー」
「"オアシス"が無事に返却されたっていうニュースで、ロスでのショーの様子とかも放送されてて、いやあ、銃社会は怖いですね!アハハ!」
「あの時、実は俺も"オフリド"関係でロスにいてな。銃撃戦に駆り出されてしまったから、ショーは見られなかったが」
「エッ……あ、赤井さんがいたら、怪盗キッドも手こずっただろーなー……?」

 乾いた笑いしか出てこない。

「そういえば、エメラルドは結婚祈願のお守りだったか……」
「ああ、はい。結婚五五年目はエメラルド婚式って言われたりしますしね。あの"オアシス"って名前は大天使ラファエルからきてますけど、一般的には"癒し"より"恋愛"の宝石として知られてるんじゃないですか?」
「ふむ。さすがに偶然か……」
「なんかあったんですか?」
「いや、なんでもない」

 思案気にしたものの一瞬で、赤井は首を横に振った。
 黒羽はどこかの名探偵と違い、なんでもかんでも掘り起こす探求心はない。怪盗業と関係のない所で、厄介な情報を抱え込みたくはないのだ。追究する気はさらさらない。
 黒羽が質問を重ねないと分かったのか、赤井はどこかおかしそうだ。新一と重ねられているのだろう。
 
「そうだ、快斗君に伝えなければならないことがあった」
「なんです?」
「ガヴィがまた逃げた」
「……はあ!?」

 赤井が、今思い出したと言わんばかりの顔でとんでもないことを言う。

「注意しておいてくれ。君を助け、君に助けられたから、接触してくるかもしれん」
「ええ……分かりました。ついでに聞いておきたいんですけど、ガヴィ引き渡してから視線を感じるんですよね。何か知ってますか?」
「ああ、君にも護衛がついているからな。ガヴィを狙うオフリド対策として。ともに狙撃を逃れているところを見られているだろうから」
「うわー……マジか」
「しばらく大人しくしていたほうが良いだろう。鳩が焼き鳥になりかねん」
「ひぇえ」

 ガヴィを保護しただけで無関係だというのに、と考えて肩を落とした。ガヴィを保護しただけでも十分問題なのだ。おまけに、一緒になって狙撃から逃げている。仲間だと誤解されても文句は言えない。
 黒羽は文字通り頭を抱えた。

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