8-2


 風見は部下と共に、ややさびれた繁華街にやってきた。この一角にある診療所が所謂"闇医者"で、そこにガヴィがいる可能性が高いと判断されたのだ。
 今回のガヴィの逃亡劇は、なんとか足取りがつかめた。二十四時間以内に居場所を突き止められたのは、公安警察の執念の結果だ。あの凶悪犯を逃がしてたまるか、舐められてばかりでいられるか、スーパーエースの降谷零に汚点をつけてたまるか、と。
 風見は、何度も見直した街頭カメラ映像を思い起こす。
 ガヴィが取調室で銃撃され、出血多量のため病院に搬送されることになったのが昨日の昼前のこと。数分で意識をもうろうとさせたガヴィを乗せた救急車は、玉突き事故に巻き込まれた。
 目を疑ったのはここからだ。
 身動きの取れない救急車に三名の救急隊員が駆け寄り、意識のないガヴィを運び出し、反対車線に停車していた救急車に乗せて走り去る。同乗の医療関係者は、ガスで動きを封じられていたらしい。警備についていた別車両の警察関係者は、完璧な救急隊員コスプレに騙されてしまったのだ。幸い「救急車がそう都合よく駆けつけるものか」と違和感を持ったお陰で、ガヴィの居場所を掴むことが出来た。
 本当に幸いだった。風見は人知れず息を吐く。これを見逃していれば、降谷零ブチ切れ案件である。自分にも他人にも厳しすぎるほど厳しい上司は、ガヴィの二度目の逃亡を知った時、自分の顔を殴りかねない剣幕だった。
 ちなみに、ガヴィを撃った捜査官は自宅謹慎を進んで受けた。正式な処罰は追って下されるだろう。
 風見は、"診療時間外"の札が下がったドアを叩いた。診療所周辺は既に包囲している。
 ドンドンドン、と乱暴なノックをして数秒。開錠の音がして、初老の男性が現れた。

「はいはい。なんです?」
「昨日、こちらに女性が一人運び込まれましたね?」
「そりゃ、ウチは別に男性専門クリニックじゃないからねぇ」
「左肩を撃たれた若い女性です。まさか、銃創患者ばかり診ているわけではないでしょう」
「患者さんの情報をおいそれと話せませんよ。医者ですから」

 スーツを着込み、部下を連れ、硬い表情をした風見に対し、男性医師は物怖じせず淡々と答える。さすがに肝が座っている。
 風見は警察手帳を取り出した。いくら闇医者でも、一線は心得ているはずだ。かくまっている人物はあなたの手に負えるものではなく、意地を張るなら犯人隠匿であなたをしょっぴく、と暗に示す。
 男性医師は一瞬顔を歪めた後、風見らを診療所内に招いた。

「丈夫な人みたいだけど紛れもない重傷だから、手荒くしないでくださいよ」
「善処するが約束はできない。あの女は、あなたの想像を絶する重罪人ですよ」
「それでも患者だから」

 待合室をすぎ、診療所の奥に通される。薬品の匂いが鼻をついた。デスクが一つとベッドが三床があり、その内の一つに、果たして彼女が座っていた。
 男性医師の緊張感の無さにつられていたが、一気に緊張と警戒レベルを跳ね上げる。警棒を出そうとして、男性医師に止められた。

「うちでそんな物騒なモン出さんでくれ。ここは怪我を癒す場所だ」

 芯のある声に、風見は手を下ろした。男性医師が風見らを通したのと同様、風見も、わきまえるべき点は心得ている。
 ガヴィは風見らを見ても、焦った様子を見せなかった。それどころか、大きく欠伸をしてあぐらをかく。日本警察がここにたどり着くことは予想の範囲内だと言わんばかりだ。
 男性医師が席を外したのを確認して、風見は口を開いた。

「貴様の意識が無かったからだとしても、お粗末な逃亡劇だったな。その怪我では、俺たちを撒いて逃げることなど出来まい」
「僕は捕まらない」
「……何?」

 米神が引きつった。凶悪犯からの堂々とした宣言に、日本を守る警察官としての矜持に火がつく。
 ガヴィは左腕を脱力したまま、右腕で枕を引き寄せて抱える。枕をあやすように軽く叩きながら、風見らの圧を軽くいなした。

「この銃撃と逃亡は、僕の意図したところではない」
「まさか……オフリドか?」
「きみらはそう呼ぶのか。そう、僕の追手(ストーカー)だよ」
「貴様を捕まえたところで、またヤツらが脱走幇助すると?」
「もしくは、僕に会えなくて大暴走。ここまでくれば向こうも捨て身だろうから、なりふり構わず暴れるぞ」

 オフリドがガヴィを追う目的は不明だが、警察組織に手を回して標的を銃撃し、事故を仕込んで攫ったくらいだ。標的が完全に隔離されてしまえば、暴走するという意見にも一理ある。
 そう、"攫った"。オフリドはガヴィの死が目的ではないらしい。もちろん、救出目的でもない。来日直後に狙撃されている上、警察から連れ出したにもかかわらず診療所に放置しているからだ。
 ガヴィに何かをさせたいのだろうか。どうしても引き出さなければならない情報があるのだろうか。

「だからといって、その判断は貴様が下すことではない」
「オフリドが日本で野放しになっている状況、降谷は許容出来んだろう」
「どうにか出来ると?」
「僕を餌にすればいい。FBIにも悪い話じゃないし」
「重傷で仲間もいない状態で、よく取引をする気になるな」
「このまま僕を逮捕したら、僕は何も話さない。自白剤の類も無意味だ。おまけにオフリドが暴れ出す」
「……」
「僕を協力者として利用するなら、オフリドの餌として利用できるし、例の組織について話すのもやぶさかじゃないよ。何も『一生僕を捕らえるな』とは言わないさ。オフリドを拘束するか、撤退を確認するまででいい。もちろん大人しく捕まってやる気はないが……期限を設けていたほうが、即決出来るだろ?」
「さっきも言ったが、その判断は貴様が下すことではない。もちろん、俺でもない」
「降谷か」
「貴様はここで拘束する。取引の続きは、取調室でやれ」
「そんな悠長にはしていられない。今ここで、降谷に繋げ」
「だから、貴様の指図を受ける気はない」

 風見は手錠を取り出した。降谷や赤井ほどではないにしろ、訓練は受けている。医師が『紛れもない重傷』と言ったくらいの負傷をした相手に対し、遅れはとらない。腹と足に傷を抱えたまま逃走した前科があるので、決して油断は出来ないが。
 ガヴィは余裕綽々な態度を崩さない。かといって、重罪人特有の圧もない。風見は、保健室のベッドで授業をサボる学生を重ねていた。気味が悪いほどこの女は一般人じみているのだ。
 ガヴィは無抵抗だった。脱力された左腕を風見が取っても、身じろぎすらしない。こちらは背中に汗をかいているというのに。握った手首から伝わる脈も平静を伝えていて、こちらの緊張をあざ笑っている。
 抵抗しないならありがたく、このまま拘束して連行するだけだ。
 カシ、と手錠の金具が回り口が開いたところで、手負いの悪魔が笑んだ。

「スコッチの情報を流したのは僕だ」

 心臓が妙な音を立てる。「きみの部下だったんだろ」畳みかける言葉は疑問形ですらない。風見も控えている部下も、悟られないよう息を呑む。

「僕がスパイの情報を握っていたことは、つかんでいるんだろう。"犯罪者"として死んだ潜入捜査官の最期……骨も残っていないこともあるが、場合によっては、集団墓地に入っている。他国へ恩を売ることだって出来るだろうな。僕の知っている限り、きみたちの仲間の居場所を教えよう」

 風見は、口を開けた手錠とガヴィの左手を握りしめた。金属と骨の軋む感触がした。
 


 ガヴィに手錠と目隠しをしたものの、取り引きは成立した。
 SUVが捜査員とガヴィを飲み込む様子を眺めながら、風見はスマートフォンをポケットにしまう。期限付きの自由ならば、と上司は苦しい声だった。別の脅威(オフリド)にも警戒する必要がある現状、ガヴィを牢屋に入れるより得策だと判断したらしい。
 
「ちょっと、そこの。眼鏡の」 

 風見自身も車に乗り込もうとしたとき、初老の医師に声をかけられた。医師はマッチ箱よりも一回り小さいピルケースを風見に手渡し、ガヴィが乗り込んだSUVを顎でしゃくった。

「彼女に。かなりチップ弾んでもらったから、このくらいの希望は叶えたい」
「中身は?」

 軽く振るとザラザラ音がする。医者から犯罪者へ渡される薬を警戒しないほうがおかしい。

「ただのビタミン剤だ、渡してやってくれ」
「他に、希望されたものはあるか?」
「あったかもしれないし、なかったかもしれないなあ」
「ビタミンの種類は?」
「Aだよ。どうせ分析にも回すんだろう」

 傷の鎮静剤でもなく、ビタミンA。もしかしたら医師は、ガヴィという患者(犯罪者)の個人情報を伏せる目的で『ビタミンA剤』というざっくりした名称で呼んだのかもしれないが。
 ビタミンAは複数の物質とその誘導体の総称だ。人体においては眼に関係し、網膜細胞の保護や視細胞の興奮に関わる重要な物質。生化学に精通しているわけでもない風見でも、その程度の知識はある。そして、思い当たる節もあった。
 以前の検査で、ガヴィの視力は左右とも0.4だったのだ。

「本当に、目が悪いのか?」
「なんだ、知ってたのか」

 医師が思いの外あっさりと肯定する。
 
「ずっと服用していた薬もあるんじゃない?事情は知らないが、ここしばらく飲めていないせいで悪化したようなことを言ってたし」

 黒羽快斗から預かったガヴィの所持品に薬がなかったのは、たまたま使い切っていたのか捨てたのか。薬の存在など一切話題にならなかった、探し出すのは難しそうである。

「そこは教えてくれるんだな」
「?眼科にかかれば分かるだろ」
「……そうだな」

 警察病院の眼科関係者に、ガヴィの息がかかった者がいた可能性が高い。思わぬ収穫を得、風見はほくそ笑む。目に関係するなんらかの持病を抱えているという弱点を、伏せておきたかったのだろう。
 手がかりを得ると同時に寒気も覚える。申告虚偽でもなくガヴィは目が悪いのだとしたら、0.4の視力で的確に人の頭を撃ち抜き、スコープも覗かずライフルを扱ったということだ。
 なぜこの業界はこんなにも、人外の巣窟と化しているのだろうか。
 風見はピルケースを握りしめ、SUVに乗り込んだ。
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