8-3


 風見らの乗るSUVは、ガヴィの希望で黒羽家へと向かうことになった。拘束と自由の妥協点として、"拘束はするが逮捕はしない""捜査本部や勾留場へ連行しない"ところに落とし込んだのである。

「暗闇でも全力疾走出来るし、目が見えなくても人は殺せるさ」

 風見が助手席から投げた錠剤を口でキャッチしてかみ砕きながら、一時休戦となった凶悪犯は言う。彼女は目隠しをしたままなので、ガヴィが器用だというよりは、風見のコントロールが良かったのだろう。
 風見とて、音の反響を頼りにすれば暗闇でも動けるし、目隠しされていても応戦出来る。が、"ある程度"が前提だ。全力疾走や必殺は難しい。ガヴィは易しいことのように言ってのけるが、そんな簡単なはずがない。

「化け物だな」

 風見が正直な感想を口にすると、ミラー越しにガヴィが笑う。

「よく言われるが、きみのは僕の身体能力に対するただの称賛のようだ」
「は、本当に人間ではないと言うつもりか?」
「ここで頷けたら面白かったんだろうが、人間なんだ。残念ながら」
「俺以外からの『化け物』は」
「少しの畏怖と、あとは軽蔑だろう」
「軽蔑?同業のくせに?」
「ジンを"優しい"と称するのと似たようなものだよ」
「……そちらの常識を押し付けられてもな」
「疑わしい者を徹底的に排除するジンと、黒だと把握したうえで放置し、スパイよりも純正"裏切り者"を粛清する僕。身内から見て、気味が悪いのは僕のほうらしい」

 急に口の軽くなったガヴィが、隣席の捜査官に意見を求めるもスルーされる。
 風見は、ボイスレコーダーが機能していることを確認してから、前方に向き直った。風見が上手く聞き出せたのでも、ガヴィの気が緩んだのでもなく、これは取引の一環だ。ガヴィは、普段なら話さない雑談でも"取引上話せる範囲"として提供しているにすぎない。
 一見無意味な応酬だが、おそらく暴力でも快楽でも薬でも沈黙を守りきるであろうガヴィと会話が成立していることに意義がある。
 そう自身に言い聞かせつつも、勢いに任せて何か漏らしてくれることはないのだろうな、とも思うのだが。

「実際、組織ではどの程度の潜入捜査官を把握していたんだ?」
「模範解答はどこで手に入るんだ、それは。きみたち(日本人)らしく謙虚になれば七割かな。なんせ大きい組織だったからなあ、把握するのは大変だったんだぜ」
「人を馬鹿にするのが上手だな。車で移動中なことに感謝しろ」
「ミーティング中のコーヒーはアイスにしてくれ」
「なぜそこまで把握出来る」
「僕に教鞭を執らせてくれるのか。そりゃ気になるよなあ。バーボンはともかく、スコッチを"間引く"よう仕向けたのは僕なわけだから」
「なぜ泳がせていたスパイを殺した」
「多くなりすぎたから減らした」
「なぜ彼だった」
「スパイ向きの人間だったから。ただの犯罪者ならともかく、スパイ向きの人間がスパイやってんだから、真っ先に間引こうとして当然だ」

 風見はフロントガラスを睨みつけた。小学生が列をつくって、小さな手を上げながら横断歩道を渡っている。何人かが、交通指導員の中年女性とハイタッチをしていた。
 組織から"スコッチ"というコードネームを与えられた男は、優秀な人間だった。スナイパーとして立ち回ることが多かったが、手先も口も器用で、どのポジションでもそれなりに動ける一種の器用貧乏。ガヴィの言う通り、スパイ向きだった。もちろん降谷もスパイとして十分な働きをしていたが、ガヴィには、スコッチがより脅威として映ったのだろう。
 自分の優秀な部下は、その優秀さを化け物に見抜かれた故に、犯罪者としてこの世を去った。

「それにしても……なぜ」
「『スコッチがスパイだと把握できたのか』?安心していい、他国のエージェントにも言えることだが、何も致命的なミスを犯したわけではないよ」
「お前の情報網はどうなっているんだ」
「質問が多すぎない?」
「逮捕したら白状するか?」
「答えはとても簡単なんだから、自分で考えてみなよ」
「"知っているから"」
「Bull's eye!」
「……ドイツ語ではなく英語なのは、共通語で出身の特定が難しいからか」
「Possibly」

 ガヴィは語尾を上げて、どこかおかしそうだ。そんなもの(出身)が気になるのか、という言葉が聞こえた気がした。
 それにしても『Bull's eye(お見事)』とは。ガヴィは本当に、潜入捜査官としての振る舞いを熟知しているらしい。潜入捜査官の定期連絡の頻度、その手段のバリエーションを把握しているのだ。
 組織と心中する気がないところといい、こうして会話が成立し、理性的なところといい、いっそFBIからの情報通りBND(ドイツ連邦情報局)だと言われても納得できる――風見の頭にそんな血迷った考えが過り、はっと後部座席を振り返った。

「どこかの諜報機関所属"だった"のか」
「よくそんな……愚問にもほどがあるぞ」
「"今"そうではないとしても、過去は。チンピラが会得できるとは思えない」
「仮に、だ。僕が元諜報員だとして、戦争の火種になりそうなことを口にすると思うのか。僕の罪状忘れた?これだから日本人は。勤勉と過労は同意語じゃないぞ」

 ガヴィがまた隣席の捜査官の顔を覗き込んで「なあ?」と同意を求めるも無視されている。
 
「まあ、降谷の首を繋ぎとめるためにも、僕の情報は多いほうが嬉しいんだろう。必死になるのも分かるよ。名前やら出身やらが気になるきみらには、こんなのはどうだ――僕は元々、兵士だったんだよ」
「軍属だったと?」
「そんな大層なものじゃない。ただの使い捨てさ」
「PMSC(民間軍事会社)?」
「僕は、少なくとも五年以上組織に所属していた。さあ、おおよその年齢から考えてみて」
「……まさか、幼年兵?」
「僕にとっては、無意味な情報だけど。きみたちの手土産になるかな」

 少年兵、あるいは少女兵、あるいは子ども兵。十八歳未満で軍事活動に動員される子どもたちだ。日本では馴染みのない存在だが、世界で二五万人以上いると言われている。貧困地域では子どもの就職先として扱われる場合もあるが、誘拐されて強制的に銃を持たされる場合もある。後者は特に悪質で、"洗礼"と称し身近な人間を傷つけさせ、あるいは殺させ、さらには麻薬を使うことで洗脳し、人を殺す道具として育てるのだ。
 子ども兵が確認されているのは、アジア、アフリカ、中東、中南米などの紛争地域。ガヴィの馴染みらしい欧州ではあまり聞かないが、その地域でもつい最近まで紛争があったことは事実だ。ガヴィはそれに巻き込まれたのかもしれないし、幼少期は別地域に住んでいたのかもしれない。どちらにせよ、壮絶な子ども時代に違いない。
 殺した数を自慢げに語り、殺すことでしか生きられなかった子ども兵を、他国の法律で裁くことは出来ない。
 同乗の捜査官も風見と同じことを考えたのだろう。車内の空気に動揺が混じった。
 常識や倫理を理解しているらしいガヴィには当てはまらない話だが、根底に"子ども兵"があるのだとすれば――風見は一度きつく目を閉じた。ガヴィが元子ども兵だから、一体なんだというのだ。
 むしろ、納得した面もあった。ろくな殺意すら持たないガヴィは、ただ"日常行為"をこなしているだけなのだ。風見も、歯磨きに気合を入れたりしない。なんなら半分眠ったままでも行える。ガヴィにとっては、殺し合いがそのカテゴリなのだ。世間の常識や自我が確立する前に戦地に放り込まれた子どもが、風見らと同様の精神発達を遂げられるわけがない。
 許せないけれど、かわいそうな犯罪者。

「その頃から合わせれば、僕が殺した数は三桁を越してる。立派な大量殺人さ。見ての通り、僕は自分の意思で犯罪者街道をばく進しているから、気遣いは一ピコも不要だよ」
「そりゃ良かった。その後、組織に?」
「いや。マトモなところに一回入ったんだがトラブルで戻れなくなって、その後だな」
「戦場に帰巣本能を落としてきたんじゃないか」
「いいね、それ。あいつも帰れなくなったから僕に会いたいのかもしれない、なんて」
「……は?」

 風見裕也、心の底からの「は?」であった。

「きみらの言うオフリドの中に、僕の古い友人がいるらしい」
「話の流れからして、まさか子ども兵時代の友人か」
「それ以前だな。正真正銘の僕の友人。てっきり死んだと思っていたが、どうやら生きていたらしくて」
「……その友人が、お前に会うために奔走していると」
「そうらしい。ただ、感動の再会ではなく、復讐なんだろうけど」
「子ども時代の揉め事を引きずって?」
「十年以上会ってないし、僕の推測に過ぎないが。恨まれているのは事実だろう」

 ガヴィの生い立ちが明かされたかと思ったら、現状に関係する事柄だからこその開示だったらしい。
 思わず、運転席の部下とアイコンタクトを取る。黒羽家までの残り時間を考えながら、スマートフォンを取り出した。

「兵士の洗礼で、友人を一人殺したんだ」

 ガヴィは言った。
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