11-3


 赤井は狙撃手だが、狙撃手が出る仕事がそうあるわけではない。オフィスで事務仕事が必要な時もあれば、会議にももちろん出席するし、現場にも出る。一時某組織へ潜入していたこともあり――経験が豊富なので――偵察が必要な場合に駆り出されることもある。
 ある事件の重要参考人が行きつけだというショーパブで、赤井は情報収集に勤しんでいた。とっつきやすい人相はしていないが、ニット帽をとって服装も普段のイメージとは遠い物にかえ、丁寧に接すれば容易に溶け込める。
 バーテンダーに声をかけようとしたとき、ピンヒールを履いた女性がずいと赤井の前に割り込んだ。

「シルバーブレッドを頂戴」
 
 女性が何気なく放った言葉に、指先が反応してしまう。かつて、黒づくめの組織を撃ち抜く銀の弾丸と呼ばれたが、組織が倒れた今、一捜査官に過ぎない。現在は変わらずオフリドを追っているが、オフリドに対しても銀の弾丸は有効だろうかとぼんやり思う。
 何と無しにシルバーブレッドを頼んだ女性を眺めて沈黙していると、彼女が赤井の視線に気づく。アジア系の顔つきをした女性だった。
 
「ごめんなさい、邪魔をしたかしら」
「いや、何を頼もうか悩んでいた」
「優柔不断なのね」
「君のおススメは?」
「そうね……じゃあ、彼にルシアンをお願い」

 女性がバーテンダーに注文をする。
 赤井は思わず苦笑を漏らした。ルシアンはカカオベースの甘いカクテルだが、ジンとウォッカがシェイクされており、凶悪なアルコール度数を持つ。シルバーブレッドを頼んだ女性にルシアンを勧められるとは、なんとも複雑な気分になる。
 二人でグラスを持ち、小さく乾杯をする。甘すぎて少しむせると、彼女は歯を見せて笑った。

「あは、やっぱり、ルシアンは似合わないわね」
「そんなに笑わないでくれ」
「おかしくもなるわよ――――全然、気づいてくれないんだから」

 笑顔のまま、声の調子だけが変わる。賑やかなパブに似合った華やかな女性の声ではなく、やや低く、落ち着いたトーンの声だ。赤井はすぐに思考を切り替えるも、女性が誰か分からなかった。「Hi, Rye」と無意味なコードネームを呼ばれるまでは。
 考えるよりも早くシャツの襟に隠したマイクに手を伸ばすも、素早く腕を掴まれる。

「僕のために拵えた包囲網もないのに、僕をどうこう出来るとでも?」
「……ガヴィ。どうしてここに」

 欧州を拠点にしているはずの彼女が何故アメリカに。それだけではない、赤井が潜入捜査する場所と時間を把握している。おそろしい情報網は相変わらずらしい。
 赤井は、結婚式場ぶりのガヴィの顔を睨んだ。ウィッグと化粧、表情で別人を演じている様子は実に見事だ。
 ガヴィは赤井の腕を離すと、クラッチバッグをあさりながら明るい女性の声で言う。
 
「本当の標的がいるんでしょう?その人が来るまでに済ませるから安心して」
「『済ませる』?」
「情報提供よ、泣いて感謝して」

 バッグから出てきたのは茶封筒だった。中を見るよう促されるのでその場で開けると、十枚ほどの写真が出てくる。白人黒人系統も様々で、どれも見覚えの無い人物だった。

「これは?」
「ゲストの……あなたたちの言うオフリドの構成員よ」
「……どういうつもりだ」
「もう一つ情報を。彼らのDNAデータは降谷に送ったから、欲しければ降谷と取引しなさい。降谷には、彼らが日本で滞在していたホテルの情報も渡したから、ホテルから検出したとして良いようにしているでしょう」
「おいおい待て。本当に何のつもりだ?何のメリットがあって、こんなことをしている?」

 語気を強くするも、ガヴィはどこ吹く風だ。涼しい顔でシルバーブレッドを飲んでいる。
 ガヴィは簡単にシルバーブレッドを飲み切ると、赤井が一口飲んだだけのルシアンを指さした。好きにしろとグラスを渡すと、一口飲んで「甘い」とこぼす。

「害を被ったお返しをきっちりするつもりで情報を集めたんだけど、使う暇がなくてね。折角なら、先日の迷惑料代わりにあなたたちに渡そうと思ったのよ。せいぜい、有効活用して頂戴ね」
「犯罪者が報復する暇もないほど忙しいなんて、世も末だな」
「それがね。わたし、今は犯罪者じゃないの」

 ガヴィはルシアンを飲み進める。

「P.O.Oに拾われて、中東に派遣されることが決まってる」
「P.O.O……まさかと思うが、パラミリか?」
「ええ、そうよ。能力次第では他の部署になるかもしれないけれど、とりあえず戦闘力を買われたらしいわ」
「冗談もほどほどにしてくれ。お前がCIAだって……?」
「最高でしょ。本堂にも挨拶したいんだけど、彼女とは会えなくて」
「狂ってる……だからアメリカにいるのか」

 至極素直な感想を述べると、ガヴィは声を立てて笑う。どういった経緯でCIAに拾われたのか分からないが、ガヴィに目を付けるCIAもどうかと思うし、提案に乗ってしまうガヴィもどうかと思う。
 降谷から聞いた情報が確かなら、ガヴィは子ども兵、ドイツ連邦情報局、黒づくめの組織を経て中央情報局(CIA)に所属していることになる。パンチの利きすぎた経歴だ。
 駄目元で経緯を聞くと、案外すんなりと口を開いた。

「日本を出てオフリドの情報を集めているときにね。わたしが日本で警察と組んだことを知ってたわ。利用できそうだと思ったのも確かでしょうけど、どちらかというと、このタイミングでなら手元に置いて管理できると思ったんでしょう」
「乗った理由は?」
「兵士として、中東派遣を打診されたのよ。わたしの故郷だし、死に場所にはちょうどいいかと思って」

 中東の出身だということは、子ども兵の話を聞いたことに想定されている。大して驚きもなかった。

「目が悪いことか。そんなにひどいのか」
「マルティネスのせいでしばらく薬を飲めなかったから、進行してしまって。元々、暗い所も眩しい所も歓迎しないけど、それが一層ひどくなった」
「死んでしまうほどに?」

 ガヴィは首を傾けながら笑む。

「嬉しいんじゃないの?」
「お前は、俺が知っている人間の中で最もしぶとい。仲間を大勢殺されてるんだ、死んでほしいと思ってはいるが。お前は死なないだろ」
「わたしは狙撃はかわせても、乱射されたら避けきれないわ」
「……死にたいなら、なぜ逃げた」
「死にたいなら捕まれって?それこそ冗談でしょ。それに、死にたいんじゃないわ。生きたいとも思っていないけどね。このまま間違って生き続けてしまうより、故郷で死ねるならそれでもいいかと思っただけよ」
「……驚くほど後ろ向きだな」
「幻滅したかしら。ごめんなさいね」

 ルシアンが半分ほどまで減る。ガヴィは半分まで減ったルシアンと、何も飲んでいない赤井を交互に見て、バーテンダーにオールド・パルを注文する。赤井に、何を飲むかの選択権はないらしい。仕事中なので、あまり飲むつもりもないのだが。
 
「もちろん、わたしはとっても優秀だから、しぶとく生き続けてしまうかもしれないわ。ふふ、その時は、FBIとCIAとして顔を合わせましょ」
「お断りだ。CIAが出張ってくるなど、ろくなことじゃない。おまけにパラミリときた。物騒すぎて手に負えない」
「わたしの性にあってるわ、きっとね」
「ドンパチするのがか?ガヴィはどちらかというと、情報に強いだろう」
「必要があればなんでもするだけよ。わたしは、スパイでもヒットマンでもなく、根っこは兵士だもの」
 
 ガヴィがよく喋るのは、酒が入っているせいか、そういう設定の女性のせいか。よく喋るしよく飲む。
 ガヴィとしてではなく酒場の女性として振る舞っているからか、赤井自身も警戒心が薄れているのを自覚していた。
 警戒したとしても、厳重な包囲網を敷いていない状態では確保など無謀だ。ガヴィに気を取られて本来の標的を逃すこともしたくない。万一、億が一、ガヴィの確保に至ったとしても、CIAに身柄をかっさらわれて終わりだろう。
 よって、こうしてお喋りに興じているのは理にかなっているとも言える。

「お前のことだ、俺たちが誰を待っているのかもお見通しか?」
「検討はついてるわ。けれど、オフリドとは無関係よね。別チームの応援かしら」
「アジア系の男が好みらしくてね。可愛い、んだと」
「アジア系ならなんでもアリってわけね。ああ……来たわよ、"彼"でしょ」

 ガヴィがルシアンを飲み干し、顎をしゃくって店の入り口を示した。赤井もさりげなく視線を走らせると、確かに、本来の標的である男が入店したところだった。
 横目で男の動きを観察する。知り合いらしい男女に声をかけていた。男が一人になったタイミングで声をかけ、お近づきになれたらいいのだが。
 
「最後に、一つ。裏社会で暗躍したガヴィはもういないわ。呼びやすければそれでもいいけれど」

 ガヴィが、チップを含めて多めの紙幣をテーブルに置く。最初から"標的が来るまで"と言っていた。本題である情報の受け渡しも済んだのだ、長居する気はないのだろう。
 
「CIAでは何と呼ばれるんだ?」
「僕の新しいコードネームは"パイソン"だ」

 大蛇の意味を持つ言葉に失笑する。ガヴィを招いたというCIAは、ガヴィのかつての異名を知っていてそのコードネームにしたのだろうか。世界最強の毒蛇だった少女は、紆余曲折を経て大蛇に出世したようだ。
 赤井がCIAへの忌避感を更に強いものにしていると、ガヴィが口の端を釣り上げて手を振りかぶっていることに気づいた。
 すぐに左頬に衝撃がある。口の中が切れたのか、血の味も滲んだ。

「最低ね!そんなに男がいいなら、一生男の尻でも追いかけてなさいよ、このホモ野郎!」

 大勢の人を殺し、何度も逃走し、戦場に戻るという凶悪犯が、せいぜい苦しんで死んでくれることを祈る。
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