Sherry


 小学校には、授業参観という行事がある。もっとも、肉親が他界している彼女には関係ないイベントだ。教室の後ろに並んだ大人たちの中に自分の両親がいないというのは、子どもには少々寂しい状況なのだろうが、見た目は小学生でも実際高校生程度の年齢であるシェリーは何も感じない。
 シェリーにとって、授業参観は一切合切関係のない行事である、はずだった。
 保護者らの中に、明らかに浮いている女性がいる。小学一年生の子持ちにしては若すぎるので、せいぜい児童の姉だ。スーツや着物やワンピースでめかし込んでいる保護者が多い中、全身を黒でコーディネートしている変わり者。
 シェリーは彼女を知っていた。ジンと話している所を見たことがある程度だが、確かに彼女は、かの組織の幹部だ。
 ただ街中で出会うならばまだしも、ここは小学校の一教室。シェリーは顔を青くして唇をかんでいた――これでは、居場所はおろか、幼児化していることも、誰と親しいかもばれていることに違いないのだ。

「……灰原?」

 シェリーは自分を抱きしめるようにして、体を小さくしていた。今すぐにここから逃げなければならないが、体がすくんでしまっている。それに、騒ぎを大きくするよりは、後で接触した方が被害が少なくて済むかもしれない――組織のやり方を知っているシェリーは、今ここで、彼女が銃を乱射しても驚かない。隠密を得意とする彼らだが、いざとなれば手段を選ばない。
 シェリーは震える手で鉛筆を持つと、ノートの隅に走り書きをした。奴らがいる、と。それを見た隣の席の共犯者は、瞠目して息をのむ。振り返るのをこらえると、腕時計の文字盤を利用して、教室の後方を確認していた。
 教師からの簡単な問いかけに、子どもたちがあちらこちらで手を上げる。ほどよく騒がしくなった時、シェリーは相棒とアイコンタクトを取った。 

「……黒の、女か」
「ええ。……逃げる、一択よ」
「どんな奴だ?」
「ボスの側近だと、聞いたことがあるわ」
「!?」

 「じゃあ、次はお父さんやお母さんと一緒に考えましょう!」担任の明るい声での提案が、シェリーには死刑宣告に聞こえた。
 保護者が子供たちの席へと歩いていく。来る、と相棒が呟いた。シェリーは前の子供の後頭部を睨み、唾をのむ。視界に黒いスカートが入ると、息を止めていた。おそらくは、相棒の彼も。
 ガヴィはシェリーの席の隣で立ち止まり――その、一つ前の席の子供に話しかけた。子供はガヴィを見て笑顔を浮かべている。
 一体、どういうことだろうか。本当に、ガヴィの肉親なのだろうか。そうだとしたら、世界が狭いにもほどがある。
 拍子抜けしたが、危機は未だ去っていない。シェリーは授業が終わるまで、意識を手放してしまいたい気持ちを必死で押しとどめていた。

 子供の両親は、急な仕事で授業参観に来られなくなっていた。ふてくされたその子供は、ならば学校を休んでやろうと公園に足を運んだ。そこで黒づくめの女性に声をかけられ、学校はどうしたのかと問われたので事情を話すと、彼女からこう提案された――一日だけお姉さんになってあげよう、と。
 シェリーはクラスメイトに話を聞き、ほっと胸をなでおろした。自分や相棒の正体がばれたわけではなかったらしい。ガヴィがそんな気まぐれをおこした理由は分からないが、彼女とて暇ではないので、もう学校で会うことはないだろう。なくていい。

「……で?彼女を追いかけた収穫はあったのかしら、江戸川君」

 自分の忠告を無視して突っ走った相棒は、難しい顔で腕を組んでいる。

「すぐ見失っちまってな……」
「それは幸いね」
「っかし、こんなところでメンバーに遭遇するなんてな。顔が分かっただけでもいいとするか。なんつーか、珍しいタイプだな、組織の人間にしては」
「……油断しないことよ。いくら普通に見えても、彼女はボスの側近なの。只者じゃないわ」
「その側近が、なんだって小学校の授業参観に?」
「さあ。子供と煙草は嫌いだと聞いていたけれど」

 組織の中には、幼いころのシェリーを知っている人物もおり、故に幼児化しているとはいえ気が抜けないのだが、ガヴィは幼いころのシェリーを知らないはずだ。今回ガヴィの目から逃れられたのは、彼女の子供嫌いも一因かもしれない。何か資料を見ているのなら別だが、写真と実物は完全なイコールになりにくい。 
 ともあれ、組織の人間が近くにいることは間違いなのだ。しばらくは外出を控えたほうが良いだろう。



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