Gin


 馴染みのない土地を走る。大して土地勘もないが、追手の声が聞こえないところまでは一気に移動してしまいたいと、近辺の地図を思い起こしながら走る。
 ある地点で、"保険"と落ち合うことになっていた。ジンには馴染みのないこの地域を縄張りにしている新人幹部が、万一のフォローの為に控えているという。誰が新人の世話になるものか、と思っていたが、使わざるを得ない状態になってしまったことが苛立たしい。
 走りながら、サポートさせるためにバディを組むべきかもしれないな、と嘆息する。一度組んだことのある、ウォッカというコードネームの男が良い。彼もまだ新人だが、フォローが的確で良い意味で器用貧乏で、補佐にはもってこいの人材だった。早めにそばにおき、自分のやり方を叩きこんでしまいたい。
 ここから無事に逃げきれればの話だが。
 "逃げる"という言葉を使うことが不服だが、"逃げている"のは残念ながら事実だ。
 ジンは、人一人がようやっと通れる細い路地を抜けた。出たのは雑居ビルの裏側で、ゴミ箱が複数設置してあり、少々不快なにおいがする。雑居ビルの一階が飲食店になっているのだろう、ゴミのにおいに混ざって肉の焼ける香りがした。
 追手を撒いていることを確認してから、ゴミ箱の影に座り込む。乱暴に止血した右腕が、今になって痛み始めていた。思わず舌打ちをする。移動で緩んだ止血帯を締め直していると、不意に影がさした。
 
「月色の長髪、頬骨の高い顔、三白眼の悪人面……きみがジン?」

 座り込んだジンの前に、小柄な女が立っている。黒いズボンに黒いカットソー、黒いトレンチコートを羽織ったアジア系の顔つきの女だ。女はコートのポケットに両手を突っ込み、足を開いて堂々と立っていた。
 ジンは脊髄反射で銃を向ける。女は肩をすくめただけだった。

「テメェがガヴィか。ガキじゃねぇか」
「そのガキに助けられるのはきみだろ。ここもじきに追手がくる。移動しよう」

 ガヴィはそういうなり、ジンに背を向ける。ジンが入ってきた路地とは別方向に歩き始めた。着いてこい、ということらしい。ジンは重い腰を上げて、小柄な女の後を追った。
 
「ふん、追手がうろついてるな」
「殺せばいいだろ」
「それでもいいが……向こうは数の多さが取り柄だろ。牽制しつつ移動だな」

 そう言ったガヴィが取り出したのは、大ぶりの銃だった。ガヴィが持っているからではない、ジンが手にしても大きいと感じるであろうサイズ。ジンはとても普段使いするものではない大型自動拳銃に、ガヴィを凝視した。

「デザートイーグルだと」
「特注のサイレンサーがあるから、そこそこ静かだよ。コツさえつかめば、僕みたいな女でも撃てる」
「持ち歩くもんじゃねぇだろ」
「いい脅しになるんだ。普通の拳銃も持ってるぞ」

 ガヴィは話しながら、通りにいる追手に向かって一発。ガウン、という発砲音は、思ったより小さかった。胴体に当たった弾丸は、二人の追手をまとめて始末してしまう。確かに、インパクトは十分だ。
 ガヴィは銃を持ち変えると、ジンをかばいながら通りに出た。「あの先の車に乗れ」図々しくも命令され、ジンは舌打ちをこぼしながら走る。指定された車の後部座席に乗り込むと、すぐにガヴィも後部座席に乗り込んでくる。運転席には知らない男がおり、二人の乗車を確認すると強くアクセルを踏み込んだ。
 車に銃撃がないことを不思議に思って振り返ると、車が追ってきていない。

「奴らは」
「二人生きていたけど、他は死んだかな」
「……走りながら、あの人数を仕留めたと?」
「撃ってこなければ僕も撃たないつもりだったけど、殺そうとしてくるから応戦した」

 見た目よりは使える女。幹部にふさわしい実力はあるようだ。
 見知らぬ男の運転する車が止まったのは、郊外にある一軒家のガレージだった。ガヴィいわく、空き家となっていたところを買い取り、セーフハウスの一つとして利用しているらしい。普段は、今まさに車を運転している男がハウスキーパーがてら利用していると話した。
 車から降り、男が二階に上がり、ガヴィは勝って知ったる様子でダイニングに入る。ガヴィがこの家を利用するときは、男は干渉せず、家を出ているか二階の部屋に閉じこもるか、どちらかなのだという。
 ダイニングで応急セットを渡され、右腕の処置をする。ガヴィに手伝う気はないようで、ジンの向かいに座ってワインを開けていた。

「彼、元運び屋なんだ。さほど危険がない案件に限って、今日みたいに手伝ってくれる。僕よりよほど運転が上手いんだ」
「危険がない、だと。よく言う」
「実際、ハリウッド映画ばりのカーチェイスも無かったろ?無謀をしてドジを踏んだジンは、あそこで死んだほうが良かったか?」
「……テメェ、殺されたいならそう言え」
「事実だ」

 ガヴィは涼しい顔でグラスをあおる。ジンは殴りかかりたい衝動を抑えて処置を続けた。
 ジンは優秀な犯罪者だ。殺しも誘拐も諜報活動もするし、組織内を監視する役割もある。好戦的で短気で血の気が多いのが玉に瑕で、今回はそれが如実に表れてしまっていた。組織からの足抜けを試みた腰抜け構成員を追いかけたはいいものの、彼は正しくは裏切り者ではなく他犯罪組織からのスパイであり、本来の所属先である組織と交戦になってしまったのだ。大した権力はないものの、ガヴィが言っていたように『数の多さが取り柄』といって過言ではない団体であり、単身乗り込んだジンはあっという間に囲まれてしまったのだ。雑魚が何匹来ようが雑魚に変わりはないのだが、薬を仕込まれては切り抜けることも難しかった。

「出しゃばるからそんな目に遭う」
「いい加減口を閉じねぇと、その頭吹っ飛ばすぞ」
「僕を殺したいなら、機関銃を乱射でもしてくれ」

 ガヴィに堪えた様子がないことが腹立たしい。
 最後に包帯を巻いて右腕の処置を終えると、錠剤と水の入ったグラスを差し出された。毒殺か、と疑ってしまうのは職業柄仕方がない。鎮痛剤らしいが、ガヴィから差し出された薬を口にする気にもなれず、水だけ流し込んだ。
 ジンは、着々とワインの量を減らしていくガヴィに問いかけた。

「まさかとは思うが……ガヴィ、知ってたんじゃねぇか」
「何を」
「あいつが、単なる裏切り者ではなく、他の組織からのスパイだってことをだ」
「念の為、理由を聞いても?」
「俺の行動を『出しゃばる』と言いやがった。自分で何かを仕掛ける腹があったってことだろ。俺がこっちにくる前から、目をつけてたんじゃねぇのか」
「半分正解かな。目をつけていたけど、何か仕掛けるつもりはなかった。裏切り者ではなくスパイだと分かっていたから」
「分かっていて放置したのか」
「スパイを殺して何になる?増えれば減らすが、泳がせる分には無害に等しい。流す情報をコントロールすればいいんだからな」
「……本気で言ってんのか」
「そうだけど」
 
 ジンは目を細めた。薄々感じてはいたが、ガヴィとは気が合いそうにない。考え方が丸っきり違う。それをガヴィ自身も察しているのだろう、険しい表情をするジンに対して自分の意見を更に言い募るようなことはしなかった。平行線になるのは目に見えている。
 スパイだと分かっていて放置する感性がジンには理解し難い。スパイは殺すし、裏切り者も殺すし、仕事をしくじった構成員も殺す。それがジンのやり方だ。この組織につながる情報の一切を抹消することで、組織を外部から守る。危険だが、確実に情報がもれない方法を選んでいる。対してガヴィは、操作することで組織を保っているのだ。
 気に食わなかった。己と合わないやり方も、見た目と反して出来るらしい手腕も、ジンに睨まれながら呑気にチーズを食う姿勢も。
 ジンは、懐を漁ってタバコをくわえた。こんな不愉快な気分のときは一服するに限る、のだが。
 表情一つ変えないガヴィに阻止される。言いなりになる気はないと喫煙を強行しようとしたところ、取っ組み合いの喧嘩になり、傷と薬のハンデがあるジンはあっさりと敗北を喫した。

「僕の前で、煙草、吸うなよ。次吸おうとしたら、ジンの愛車を廃車にしてやる」

 ガヴィはジンのマウントポジションを取って宣言する。ジンがその程度の脅しで大人しくなるわけもなく、ガヴィが離れた瞬間にジッポで火をつけた。


 およそ半年後。ガヴィは、ポルシェ356Aにデザートイーグルを数発打ち込むためだけに、ジンのもとへとやって来る。
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