ボツった5-3


(ボツ5-2の続き。黒羽がここで出るパターンもあった)

 ガヴィに仲間を殺されているのは、FBIだけではない。日本の警察も、他国の組織も同じだ。ガヴィを殺したいほど憎んでいる者など、ごまんといる。だが いくらガヴィが凶悪犯で国際指名手配されているとはいえ、私怨で暴行を加えるわけにはいかない。
 新一らの目的は、ガヴィから情報を引き出すこと。記憶喪失ならば、記憶を戻すことが目的だ。腑抜けた状態のまま司法取引にかけても、全ての罪を背負わせることはできない。対ガヴィ戦における捜査官殺害は証拠が残っているが、別の表現をすれば、それ以外の件でガヴィの関連が突き止められていないのだ。

「まさか、キッド(あっち)だけじゃなく黒羽(こっち)まで繋がっちまうとは……」
「拾ったのはお前だからなあ」
「ごもっとも」

 新一と黒羽は、一見ごく普通の洋室でパイプ椅子に座っていた。
 部屋の隅に並んだ同じ顔に物珍しそうな視線もあったが、彼らはすぐに職務に戻る。なにせ超がつくほどの凶悪犯罪者が同じ建物内にいるのだ。
 今から新一と黒羽は、ガヴィの取り調べに同席する。
 当初新一は、ガヴィとは直接関わらないよう言われていた。少々不服だったが捜査状況については教えてもらえるということで納得したのだ。
 しかし一向に進展しない取り調べに、発見者である黒羽へ応援要請が入った。黒羽が完全に一般人ならば出来なかっただろうが、降谷は黒羽がキッドだと知っているので、反対する周囲を黙らせて引っ張り込んだのである。組織に関することは降谷に一任されているので、彼の暴挙を止める者がいない。
 黒羽は要請を断れなかったが、警察官の中に丸腰で放り込まれるなど、怪盗キッドとしては心臓に悪いことこの上ない。
 せめて己の味方を一人でもということで、新一の同席を希望したのだ。新一が果たして怪盗キッドの味方であるかはともかく。

「俺も、まさかお前のアドレスがスマフォに追加される日が来るとはな」
「……おい、登録名ちゃんと黒羽にしてるよな?」
「当たり前だろ。これからは一々回りくどい方法で接触してくるなよ」

 以前から接触しており、組織と戦う際には協力していたとはいえ、それはコナンとキッドの話だ。
 黒羽と新一はそもそも友人関係ではなかった。それがこの度めでたく、頻繁に連絡をとるということで友人に昇格したのだった。
 小声で話す二人に、別室から来た風見が声をかけた。
 新一と黒羽は視線も合わせず立ち上がる。深呼吸をして一拍置いてから腰を上げるというタイミングは、見事なまでにシンクロしていた。



 七畳程度の部屋は窓もカーテンも閉め切られており、緊張感もあってか息苦しさを感じた。
 ガヴィは手錠で拘束され、椅子にもしっかり固定されていた。部屋には、降谷と赤井という見慣れた人物の他、警察官や捜査官が数名。
 
『いいか、ここは日本だ。威嚇射撃するにも条件と手順が存在する。いくらアイツを殺したくても殺せないんだ、俺達もお前たちもな。それどころか、守らなければならない。そして貴重な情報源でもある。ガヴィを前にして自制できる自信がないのなら、取り調べには同席するな。顔も見るな』

 降谷は先日の会議で赤井たちにそう言い放った。午後の合同会議でも、同じことを言っていた。
 その結果、FBI側はオフリドの捜査をしながら、数名が公安警察と行動することになった。降谷と最も親しいのは赤井に違いないので、赤井が主に関わることになるだろう。
 新一は、今までと変わらないな、と思いつつ、降谷と赤井に会釈をする。精神的によろしくない緊張感を少しでも紛らわそうと、一人で佇んでいた赤井の隣に落ち着いた。
 黒羽がおっかなびっくりガヴィの対面に腰かけている。ガヴィだけではなく降谷にもびくついている様子は少々不憫だった。

「緊張せず、君がガヴィと家にいた時のように、普通に接してくれ。君の安全は最優先で守る」
「は、はぁい……」

 新一は、無表情のガヴィを注視する。黒羽家で爬虫類に徹していた時よりも、少しやせているように見える。食事を最低限しか摂っていない上、監禁され、自然と体重が落ちているのだろう。
 黒羽が人懐こい笑みを浮かべたのが見えた。

「久しぶり。俺のこと覚えてっかな?なんつーか、痩せたよな。ちゃんと食ってんのか?」
「……」
「全然話してないって聞いたけど、そんなんじゃ声が出なくなるぜ」
「……」
「う、うーん、やりにくいな……」

 ガヴィは黒羽を見ているものの、全くリアクションがない。

「えっと……降谷さん、マジックしても良いですか」
「どうぞ。あ、加減はしてね」
「もちろんです。じゃ、いきます」

 黒羽が手をひらりと振る。ポン、と軽快な音と共にバラが一輪現れる。
 新一は、ガヴィの些細な変化に気付いた。ほんの少しだけ目を見開いて、黒羽の手元を凝視している。
 黒羽は薔薇を二輪、三輪、と増やしていき――ボディチェックを新一とともに受けているはずなのに、一体どこに仕込んでいたのか――十輪のバラの花束を完成させた。ご丁寧にもフィルムとリボンで飾り、テーブルに置く。
 
「はい、プレゼント……って、これ駄目ですかね」
「一度ばらしてチェックしていいなら、飾っておこう。ここ男ばかりでむさくるしいし」
「ありがとうございます」

 テーブルに置いた花束を、赤井がひょいと持ち上げた。
 新一は、ガヴィから目をそらさない。

「見事なものだな」
「へへ、ありがとうございます。ここじゃ大掛かりなのは出来ませんけど」
「鳩が焼き鳥になるぞ」
「絶対出しません」

 新一はガヴィを見据えたまま、調子を取り戻したらしい黒羽に声をかけた。

「……黒羽、まだ何か出来るか?」
「え?ああ、ちょっとしたことなら。……ほいっと」

 聞きなれた、ポン、という音の後、ガヴィの頭に花冠が乗っていた。
 ガヴィは少しの重みに驚いたようだが、無害であるとは察しているらしい。頭に乗った何かを見ようと、ゆらゆら頭を揺らしていた。
 ガヴィが初めて見せた反応らしい反応に、降谷らの目も鋭くなる。
 頭に花冠を乗せて揺れるガヴィは、とても凶悪犯には見えない。見かねた黒羽が花冠をおろすと、ガヴィはそれを興味深そうに眺め、黒羽に視線を戻した。



 新一はリボンをほどかれたバラを眺め、その内の一輪を手に取った。
 黒羽家から降谷に連行されたときでさえ無反応だったガヴィが、黒羽の手品に興味を示していた。これには何か、意味があるはずだ。

「記憶喪失というより、退行じゃないかな、と」
「退行って……幼児退行とか記憶退行のことか?」
「ああ」

 怪訝そうな黒羽に変わり、赤井が根拠を問うてくる。

「黒羽が花を出した後、指が動いてたんだ。触りたそうな感じだった。それに、こんな物騒な環境にいて無反応ってことがそもそもおかしいと思った」
「それは記憶喪失でも変わらんだろう。幼児退行ならば尚更、泣き叫んでいることが普通では?」
「まず、ずっと黙ってることがおかしいだろ?俺は記憶喪失のキュラソーとも会ってるけど、キュラソーとのコミュニケーションは普通だった。記憶がない以外は、普通だったんだ」
「……ガヴィが"黙っている"ことに理由があると考えた訳か」
「記憶が退行しているから現状の把握が出来ず、黙秘という行動に出た……とか、ちょっと思ったんだけど……だからってアプローチの仕方が変わる訳じゃないな。ごめん、ちょっと先走った」

 段々と冷静になった新一は、花を降谷に渡して頭をかいた。あらゆる可能性の提示は必要なことだが、無暗に現場を混乱させるのは不本意だ。
 バラを検分し終わった降谷が、持ち前の器用さでまとめなおす。逆さに吊ってドライフラワーにするか、と独り言ちて、室内を見回し始めた。

「そういう意見は歓迎するよ。新一君には何度も助けられてきているんだから。まあ、ガヴィの幼少期なんて探りようがないから……ここはベルモット待ちかな」
「ベルモット?」
「ああ。今、コナン君が保護されたっていうセーフハウスの調査を命じている。きっちり侵入して、それっぽいものを持ってくるように、ともね」
「ベルモッ……あ、そうだ思い出した!降谷さん、この前のおっちゃんへの依頼!」

 思わず声を上げてしまった新一は慌てて口を閉じ、他の捜査官からの視線を感じつつ、控えめな咳ばらいを一つした。
 オリヴァー・トムソンからの、米牧真衣捜索依頼。依頼は完遂出来ないまま撤回され、それ以降オリヴァーからの連絡もない。降谷が手を引くように言った理由を聞こうとした矢先のガヴィ確保で、すっかり頭から抜け落ちていた。

「あの依頼は撤回された。何だったんだ?」
「終わったことだろう?気にするな」
「そう言われて大人しく引き下がると思う?」
「堂々と言われてもな。……はあ、新一君。別室へ行こう」
「あ、待って降谷さん」
「快斗君?」

 パイプ椅子に反対向きに座って肘をついていた黒羽が、移動しかけた降谷を呼び止める。その手ではトランプのジョーカーが現れたり消えたりを繰り返していた。
 余談だが、このトランプはガヴィの取り調べ後に提出し、チェック済のものである。

「俺、もう一回ガヴィに会うことって出来ますか?簡単なマジックを披露出来たらなって」
「お見舞いのつもりか?」
「……そうですね。興味持ってくれたみたいだし、俺もああいう反応してもらえるのは嬉しいです。……その、温度差があるのは分かっているので、無理にとは言いません」

 ガヴィを敵とみなし、何かおかしな行動をとればすぐに殴り倒すと言わんばかりの雰囲気の中で、黒羽は浮いているだろう。
 黒羽はガヴィを犯罪者として認識し、危険人物であることも承知しているが、その銃口が自分に向けられたことはない。それどころか、一度は助けてもらっている。ガヴィが元気に発砲しまくっているならばともかく、弱り切っているのならば、何か力になれればと思ってしまうのだ。
 降谷は難しい顔をしていた。黒羽は捜査から外れていたはずで、降谷が引きずり込んだだけなのだ。黒羽の安全のためにも、ガヴィを逃がさないためにも、必要以上の接触は避けたい。

「降谷君、俺も同席しよう」

 赤井が黒羽の肩を叩いた。
 記憶喪失ではなく幼児退行という可能性があるのならば、ガヴィの興味の引くものを見せ、警戒心を緩めさせるのも一つの手だ。黙っている理由を明らかに出来れば、記憶回復の鍵を探しやすい。

「彼がマジックをしている間、彼の身の安全は俺が保障する。彼からガヴィへ何らかの情報が流れることも、もちろん見逃さないさ」
「俺そんなことしませんけど……」
「……ふう、分かった。今、ガヴィの部屋には風見もいるはずだ。俺の名前を好きに使え。FBI連中は、お前が黙らせろよ」
「もちろん」
「ありがとうございます」
 
 赤井と黒羽はすぐに移動し、新一と降谷が残る。
 降谷は二人の姿が見えなくなってから、新一に視線を向けた。深くため息をついて、ごく小さな声で言った。
 
「……その依頼については、実は、俺も少し探りを入れている」
「探り?」
「ベルモットから聞いたが……その探し人は、宮野明美だそうだ」

 良く知った人物の名前が出て、新一は面食らった。無意識に視線を走らせて、赤井の姿がないことを改めて確認する。
 宮野明美は、灰原哀こと宮野志保の実の姉であり、赤井の恋人だった女性だ。新一も、コナンであった時に顔を合わせており、最期を看取っている。黒の組織という大きな存在を知ったきっかけでもあった。
 新一は息を詰まらせながら、つとめて静かな声を出す。心臓が嫌な音を立てていた。

「は……え、明美さんって、そんな」
「ベルモット曰く、君が会ったことのある彼女より幾分か若かった、と。女性は化粧と髪形、服装でいくらでも変身が出来る。それに、顔の正面から撮った写真ではなかったんだろう?新一君が気づかないのも無理はない」

 米牧真衣など最初から存在していなかったのだ。手がかりがつかめなくて当然である。
 米牧真衣――とても簡単な、宮野明美のアナグラムだ。

「なんで……だって、オリヴァーさんは失踪した奥さんを探していたんだ。明美さんは赤井さんの恋人だったし、彼女が失踪したのは最近なんだ。時期が合わない」
「だから、依頼主であるオリヴァー氏は、失踪した妻ではなく宮野明美を探していたんだろう。もしかしたら、彼女が毛利探偵事務所に出入りしていたことも調べた上で、毛利さんに依頼をしたのかもしれない」
「……混乱してきた」
「俺の台詞だ」

 降谷が眉間をもむ横で、新一は顎に手を当てた。
 オリヴァーが宮野明美を探す理由が全く分からない。宮野明美を知っているということは、オリヴァーは組織の関係者なのだろうか。ならば尚更、宮野明美が故人であることは知っているはず。今になって手掛かりを探すことに、一体何の意味がある?
 依頼を撤回したということは、宮野明美について何らかの情報を掴んだということだろうか。
 宮野明美にまつわる情報と言えば、宮野志保しか思い浮かばない。

「降谷さん、宮野……あー、志保には何か」
「何も言っていないし、今のところ異常もないようだ」
「……赤井さんは」
「そっちも、何も知らせてない。動きがあれば伝えるが、今のところ何も起こっていないからな。あいつ、彼女に関しては人が変わる。わざわざトラウマをえぐりに行く必要もないだろう」
「そうだな……」
「俺の忠告の意味が分かったか?」
「はい。……あ、コーヒー飲む?」
「飲む」

 新一は重い腰を上げた。知らない捜査官の姿もあるが、そういった度胸はコナンの時に鍛えられている。すいすいとポットの傍まで移動した。
 紙コップにコーヒー粉末を入れてお湯を注ぐ。降谷(安室)がポアロで入れていたコーヒーには遠く及ばないが、妥協してもらおう。
 宮野明美を探すオリヴァー・トムソン、街中で保護されたガヴィ、ガヴィを狙っている存在。
 タイミングが良すぎて、非常にきな臭い。

「はい、インスタントだけど」
「ここで豆から挽けなんて言わないよ……あ、ミルクも取ってくれ」
「あれ?珍しい」
「胃腸の粘膜を大事にしてるんだ」

 組織が壊滅し、身辺が静かになってから油断していたが、そう呑気にもしていられないらしい。 


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