Cool Kid


 膝から崩れ落ちるのをこらえた自分をほめてやりたい――後に彼はそう語る。
 場所はポアロという喫茶店。休日の昼下がり、店内は若い女性客が多く見られていた。
 シルバーブレッドこと、クールキッドこと、江戸川コナンは、小腹がすいたと訪れた常連の喫茶店での光景に、全力で引き返したくなった。
 ポアロには、バーボンがいた。これは分かる。ポアロでのアルバイトは、彼が使いこなすトリプルフェイスの一つ、安室透だ。店員なのだから、いて当然である。
 ポアロには、ライがいた。まあ、これも分かる。沖矢昴という大学院生の皮をかぶっているので、喫茶店を利用することは何らおかしくない。沖矢昴の正体を探っているバーボンがいる店にわざわざ入店したのは、煽っているのか何なのか。
 ポアロには、キールがいた。分からなくもない。アナウンサーとしての顔もある彼女は、どうやらテレビの取材らしく、店の一番奥の席をカメラやスタッフが囲んでいる。スタッフの上着を見るに、隠れ家的カフェを紹介する番組だった。キールの仕事らしくないが、詳しい事情は分からない。
 ポアロには、ガヴィがいた――全く、分からない。
 各々の事情を把握しているコナンは、突然遭遇した闇鍋に気が遠くなった。コナンと同じく事情を把握しているのはライだが、コナンとしては彼もまた頭の痛い種になっている。
 コナン視点でこの店には、組織の構成員三人、内NOC二人。組織の裏切り者一人。
 自身もまた、組織から身を隠さねばならない立場である。
 空いている席はカウンターに数席。相席する可能性が一番高いのは、悲しいことに四人席に一人で座っているガヴィの所だ。情報収集にはもってこいだがあまりにもリスクが高い。貴重な情報源との接触と高すぎるリスクを天秤にかけ、「ガヴィと相席はしないが、喫茶店にはとどまる」というところに落ち着いた。
 ここに相棒がいたら、引き返す一択だっただろう。

「あっ昴さん!こんにちはー」

 コナンはなんとか意識を保つと、ライに向かって手を振った。
 こんな場所で銃撃戦が勃発することはないと思うが、組織の者たちは予想以上のことをしでかす。万が一そんな事態になった場合、おそらく一番頼れるのはライである。バーボンとキールは、ガヴィがいる手前、何があってもコナンらの側に立てないのだから。
 
「こんにちは、コナン君」
「席いっぱいだから、ボクも一緒に座っていーい?」
「構いませんよ」

 ライの向かいに腰掛けて、目線だけを一瞬ガヴィに向ける。それだけでライは、コナンがガヴィを認知していると察し、小さくため息をついた。分かっているなら早く帰れ、である。
 注文を取りに梓が声をかけてきたので、とりあえずオレンジジュースを頼む。本当なら食事をとりたいのだが、そんな状況でもない。
 すぐに運ばれてきたジュースのストローをくわえ、ガヴィの気配に神経を尖らせる。怪しまれないよう、ライと他愛ない話をするのは忘れない。
 動きを見せたのは、ガヴィではなく取材班だった。キールとともにいた高齢の俳優が――どうやらこの男性をゲストとして、カフェ巡りという訳らしい、道理で客が多い訳だ――せっかくだからお客さんの話も聞いてみよう、とのたまったのだ。カフェがずいぶん気に入ったらしい。ファンサービスも兼ねているのだろう。
 スタッフもその提案に乗り、店内を移動し始める。キールが、ごくごく普通の女性に話を振ろうとしたのだが、それより先に俳優が声をかけてしまった――黒いシャツに黒いズボンで、ハムサンドを咀嚼する女性に。

「こんにちは、お嬢さん。このお店にはよく来られるんですか?」

 なぜ!よりにもよって!彼女に!
 コナンは大量の冷や汗を流して、口元をひきつらせた。他三人も似たような心境らしく、ライは眼鏡のレンズを光らせ、キールはぴしりと硬直し、バーボンはグラスを一つ割った。
 男性としては、一人で訪れていることから常連客とでも判断したのだろう。カフェの良さを引き出せると思ったのかもしれない。
 客の注目を浴びるガヴィは、ハムサンドを片手に取材クルーを確認している。キールが視線を逸らしたところを見るに、アイコンタクトでもとったのか。
 ガヴィは口内のものを嚥下すると、とってつけたような笑みを浮かべた。

「初めてです。ここのハムサンドがとても美味しいと聞きまして」
「あ、僕も先ほどいただいたんですよ。行きつけにしたくなる味ですね」
「ええ。ですが、これを作っている方はアルバイトだそうで。期間限定の味かもしれません」

 にっこり。ガヴィは口元に手をあてて笑う。

「もったいないですねえ。あはは、長くアルバイトしてくれることを祈りますよ」
「ふふ、どうでしょうね」

 俳優はそれでガヴィに礼を言って離れ、別の女性客に声をかけた。
 コナンはようやく肩の力を抜いた。乾いた喉をジュースで潤す。流れ弾を喰らったバーボンの顔色が悪いが、この程度で済んだのならば良かったのだろう。
 取材が続く中、ガヴィが鞄をもって席を立つ。いつの間にハムサンドを平らげたのか、皿は綺麗になっている。飲み物も飲み干してあり、どうやら店を出るらしい。 
 コナンは自分も追いかけようと椅子から降りる――前に、沖矢に視線で止められた。やめておけ、と語る細い目は、かつてないくらいに厳しいものだった。あのライにこれほど警戒される人物に、備えをしていない状態で探りを入れるのは得策ではない。渋々諦めることにする。
 ガヴィがレジへ歩いていく靴音を聞いていると、コナンとライのテーブルに影が差した。途端、二人の顔は厳しいものになり、バーボンやキールの空気も凍る。

「――Try and do it.」

 短い英語に、コナンは思いきりガヴィを見上げる。ガヴィは振り返ることも手を振ることもなく、レジに札を置いてドアベルを鳴らしていた。梓の「お、お釣り!」という叫びには、「募金しといて」と落ち着いた声が返された。
 コナンは、湧き出てくる汗と忙しない拍動を自覚していた。思考の海に沈むのをこらえて、小さな黒い革張りのケースを睨む。みじかい英語と共に落とされた、小さなケースだ。ごとん、と重い音をさせてテーブル中央に鎮座していた。
 コナンは、ケースを引き寄せて留め金を外す。ライからの制止はなかった。コナンは、三方向からの視線を感じながら、慎重に蓋を開ける。
 入っていたのは、銀色の弾丸。実物ではないようだが、コナンの息を止めるには十分すぎるものだった。

「どっち、だったんだろうね」
「……さあな」

 あの言葉も、この弾丸の宛先も。コナンなのかライなのか、予想がつかない。どちらであっても、大問題であることに変わりはない。
 

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