4月B 

「はぁ!?会ったばかりの相手に脅されたぁ!?」

 一瞬呆けた顔をした後、相手を吹き飛ばさん限りの声量を上げて蒼に詰め寄る西園寺。背後でやっと言葉の意味を理解した罪木が同じように驚くさまを目の当たりにして、もしかして告げるべきではない内容だったのかもしれないと今更ながら思う。慌てる二人にまあまあと手をあげて制すも焼け石に水の状況だった。

「ほんっと意味わかんない!!相手頭いかれてんじゃないの?何で蒼おねぇにわざわざつっかかってくるわけ?」
「蒼さん大丈夫でしたかぁ!?何か怖い思いをしたとか…」
「脅された時点で立派に怖いことされてるっての!蒼おねぇ、そいつなんて言う名前?見つけてとっちめないと!」
「ま、まぁ落ち着いてよ二人とも。相手も遊び心でやっただけかもしれないし…」

 ただの事故だ事故。そう思っていたほうが実際気が楽だった。それにこちらは彼に対して一切何かした覚えもないので過去を振り返って責任を感じる必要も毛頭無い。西園寺に言われて彼の素性を振り返って考えてみたがこちらが分かることなど何もなかった。そもそも彼の名前や才能すら知らないので仕返ししようにもできない。
 そんなことより蒼は登校時間にまた遅れてしまうことの方を危惧していた。時計を見ると昨日とさして変わらない時間になろうとしており、今すぐ寮を飛び出さないとこれでは昨日の二の舞だった。周囲に遅刻常習犯のレッテルをはられたくないと告げるが、お咎めは終わる気配を見せない。むしろ火に油を注いでしまったようだった。西園寺は青筋をたてて彼女を指さす。

「…蒼おねぇは相手が遊び心で殺そうとしてきたとしてそいつを許すの?」
「…いや、それは流石に…」
「だったら!!同じだから!そいつを許さない庇わない!それで今度あったらしめるの!」
「しめるは言い過ぎですがぁ…私もそこまでしてきた相手を見過ごすのはどうかと思います…」
「……二人とも、本当に大丈夫だから__」

 結局遅刻確定の時刻まで説教を受け次アクションを受ければ二人が彼を倒しに行くという方針で許してもらった。自分の不手際のせいで二人を結果的に遅刻に巻き込んでしまったことを後悔すると同時、ありがたくも過保護である二人にはこの話題はご法度なのだと知る蒼なのであった。


「…まあ、ほとんど事故みたいなものなんだけどさ」
「…よく分からないけど、大変な目にあったんだね…」

 事件の全容を少ししか話していない中、赤松は息をついてジュースを一飲みする蒼に同情の声をかける。場所は変わって校内の食堂。今日も一日くたびれた、と午前授業が終わった途端蜘蛛の子を散らすように消えていく生徒たちに続いて蒼達も休息をとっていた。
 もちろん彼への警戒も忘れていない。気づかれないように観察してみても特に得られることはなく、やはりいたって異常ではない悪戯っ子のようであったが。赤松からの情報で超高校級の総統だと判明した彼、王馬子吉からも特別な反応は向けられることはなかった。むしろ自分が空気かのように取り合われることもなく違う世界にいる。それでも、思ったような面倒な事態が起こらなかったことに蒼はほっとしていた。

「…そういえば蒼さん、今日は空いてるんだっけ?」
「約束の日でしょ?大丈夫。ちゃんと行けるよ」
「やった!じゃあ一休みしたらいこっか!」
 もちろん昨日の約束は覚えており、帰りは遅くなると二人に連絡してある。嬉しそうな赤松を見て自然と頬が緩んだ。二人以外とあまり外に行かない蒼にとってこの体験は他を知るまたとないチャンス。元より自分の予定よりも他の人のそれを優先する質であるのでこれもまた苦ではない。
 どんなところに連れて行ってくれるのだろうか、と期待で胸を高鳴らせつつ喉を潤す彼女を見て、ふと彼女は思い至った表情を浮かべた。

「そうだ、思い出した!人は多いほうが良いかなと思って他に知り合ったクラスの子も誘いたいんだけど、それって大丈夫?」
「他の子?…全然平気だよ。どんな子なの?」
「ちょっと大人しいんだけど凄く優しい人なんだ。蒼さんもすぐに仲良くなれるはず!」

 うんうんと頷く彼女にそれは楽しみだと相槌をうつ。大人数の中にいるのは苦手なほうだが、誘うのは一人であるようだし許容範囲だと快諾した。大人しいというと罪木のような子だろうか。赤松の言うように良い関係が築ければ良いが、と心の中で願う蒼であった。



「紹介するね!こちら超高校級の探偵の最原終一君!」
「よ……よろしく」
「……こ、こちらこそ」

 予想と90度ほどずれ、初めの初めから蒼たちは氷河期が訪れたようにカチンコチンに固まっていた。にこにこと静かに花を咲かせる赤松はその両脇から出る彼女たち…彼女と彼のオーラには気づいていないのか、それとも知っていてそ知らぬふりをしているのか二人の肩を叩く。慌てて自己紹介をするが、流石に来る相手が男子であるとは考えもしていなかったと蒼は少しだけ恨めしそうに彼女を見る。異性、ましてや自分と同学年の存在とどこかへ出かけるなど記憶のある限り一度もなく、どうすれば良いのかわからないと焦る。

「あ…赤松さん!誘ってくる相手って…だ、男子じゃなかったの!?」
「あれ?私男子連れてくるって言ってたっけ…?」
「い、いや…言ってないけど」
「大丈夫だよ!蒼さんってすっごく優しいし可愛いんだよ!最原君もすぐに仲良くなれるから!」

 小さく会話しているが蒼には丸聞こえだった。やはり相手も同じように思っていたか、と最原と呼ばれる彼に一種の仲間意識を感じて視線を寄せる。赤松はクラスのリーダー的な存在であることは知っていたが、積極的な一面も合わせ持っているようだった。自分には無い部分だと考える反面、クラスメイトと友好を深めるチャンスだと蒼は気を取り直すことにする。

「よろしくね。最原君で良いのかな?探偵って何だか格好いいね」
「でしょでしょ?これまでに数々の難事件を解決してきたんだって!」
「そんな…大げさだよ。僕は事件の解決の手助けをしただけだし…」

 苦笑いして視線を逸らす最原の姿は謙遜ではなく、心の底から否定しているような印象だった。そんなことない、と首を振る赤松に蒼も同意の意を示す。自分の手で推理して犯人を探り当てるなんて並大抵の人が出来るわけではないではないか。しかし最原自身は納得していないようだった。帽子の下に表情を隠してその真意までを探ることはできなかったが、少なくとも彼は何かを快く思っていなかった。赤松もすぐに察したらしく、話題を変えてこれから行く場所のことを話す。

「ここから信号を曲がってまっすぐ行った先に美味しいパンケーキ屋さんがあるんだ。味もおいしいんだけどそこに流れているクラシックが綺麗でね!リストの『愛の夢』とかバッハの『プレリュード』とかが部屋の構造と合わさって凄く響くんだ」
「赤松さんらしいな。クラシックが流れる中食べるパンケーキってすごく…おしゃれ」
「是非ともそこに行ってみたいよ。赤松さん、案内頼めるかな?」
「任せて!」

 意気揚々と歩く彼女に数歩遅れて蒼たちも歩を進める。そっと最原の方を見ると彼も蒼の方を見ていたようで目線が合う。先ほどまで暗く沈んでいた瞳が微かに和らいで細められたのを見て、意外と話の合う人なのかもしれないと蒼も無言で笑みを浮かべた。

 そのあと食べたパンケーキは赤松が言うように文字通り最高に綺麗で絶品だったと後述しておく。その間蒼は最原と少し打ち解けて赤松とともに他愛のない世間話を繰り広げることになった。

ALICE+