5月@ 探偵の帽子編

「蒼おねぇ!早くしないと今日も遅刻だよー!」
「うぅ、急いでくださいー!」
「わ、早いよ二人とも!」

 颯爽と緑の中を駆ける、駆ける。もはや桃の色が一切褪せた一面には夏の訪れを予感させるように草木が一斉に立ち上がり蕾を作っていた。時間がないとせかす二人に追いつこうと蒼は足を必死に動かした。
気づけば四月は終わり新たな月。蒼の学校生活も順調に送られている。そのうちにそこでの新たな暮らしに慣れ始め、まわりの人間と親睦を深めるようになっていった。

「蒼さん、おはようございます!」
「あっ、キーボ君おはよう!今日も学校は遅刻ー?」
「ええ!一限目が終わり次第参加する予定です!」
「ちょっとちょっと蒼!悠長に会話してる暇あったら足動かしてよね!」
「ご、ごめん…じゃあキーボ君またあとで!」
「はい、また__」
 得てして超高校級のロボットであるキーボもその一人。才能通り人間ではない彼は朝はいつも定期メンテナンスを受けてから学校に登校していた。散々叫び合いをした挙句その姿が小さくなるのを見て、また走る。西園寺が不満げに蒼を睨んだ。

「蒼走るの遅いよ!…もしかしてまた体調悪かったりして!」
「はわわ、それは大変ですぅ!腰を下ろしてくださぁい!」
「別にどこも悪くなってないよ…ただ足が遅いだけ」
「そう言って私たちに黙って勝手に部屋出たりその日に倒れたの覚えてないの!?信憑性ゼロだから!」
「うっ…」

 そういえばそんなこともあった。あれは本当に不思議な日であった、と過去を振り返る。本当に、気づいたらベッドの上なんて夢でしたも良いところの展開だったし、実際罪木に涙目で肩をゆすられるまでは全て夢と片付けてしまいそうであった。その日朝に感じた眩暈が再発したのだろうか。意識もなく倒れていたらしいから詳しいことは分からない。デジャヴを感じるが自分よりも周りの人間の方が状況をよく知っていた。
 言わずもがなそこからは西園寺と罪木による説教タイムが延々と続いた。二人からしてみれば友人が突然いなくなり倒れていたのだ。死んだかと思ったと泣きじゃくる二人に流石に蒼も罪悪感を感じた。それ以来面倒になりそうなことは避けていた。…そして今に至る。本当に何もないとあっという間に時が過ぎてしまうものだ。しかしもうじきまた一悶着起こしてしまう計画をしていることは秘密である。
それでも何とかその場を誤魔化して教室に着くと、もう見慣れた顔ぶれが彼女を出迎えた。

「おはよう蒼さん!今日はいつもより早かったね」
「おはよう赤松さん。…これを毎日続けていければよいんだけどね」
「急げない理由とかがあるの?」
「まあ、色々と」

 寝起きが遅い人と仕度が遅い友人と部屋を同じくしているのだから結果的には遅くなってしまう。今日はたまたま朝西園寺が早く起きていたり罪木が床を転げまわる事故が起きなかったり幸運に幸運が重なっただけだ。苦笑する蒼に首をかしげる赤松。その顔が後ろに傾いたのは気配を察したのだろうか。

「おはよう、最原君」
「おはよう蒼さん。いつもより早いね」
「あっ、私と同じこと言ってる」
「…私そんなに遅刻してるイメージ?」

 こくこくと頷く二人にため息をつけば笑い声が上がる。同じように最原も手を口元にあてて笑みを浮かべているのだから蒼もつられて微笑んでしまった。4月の初期ごろに比べてすっかり表情が柔らかくなったように見受けられるのは気のせいか。最近では蒼と赤松以外にも多くのクラスメイトと談笑している姿が見受けられるようになった。
 「おはようございます、蒼さん!」
声高に叫んで輪に入ってきたのは超高級の舞踏家の茶柱転子。一緒に連れてこられて気だるげなのは超高級のマジシャンである夢野秘密子だ。このクラスでは割と仲が良いことで知られている。鬱陶しそうに転子から離れながら挨拶をする彼女にも同じ言葉を交わす。
「珍しいの、お主が遅刻しなかったとは」
「今日はスムーズに家を出られたんだ。トラブルが少なくて」
「な…蒼さんの朝を妨げるのはどこの男死ですか!転子がとっちめてやります!」
「いや、女子なんだけど…私自身支度が遅いのも原因だから」

茶柱は男子に悪い印象を抱いているようだった。それでも男死だったら…と続ける彼女に面倒だとばっさり夢野が切り捨てる。そんな、と傷ついたように夢野を見返す茶柱に、一同は思わず笑みをこぼした。
 随分と打ち解けたものだと思う。入学当初は小さな塊であった交友の輪が少しずつ大きくなっているのを蒼は感じていた。このクラスの生徒は揃いも揃って個性的で、優しい。全員というわけではないが…奥で男子に絡んでいる王馬を見る。初対面から人を脅し次に行く手を邪魔してきた彼はそれから何事もなかったかのように沈黙を貫いていた。倒れた時のことを詳しく聞こうにも話す機会すら得られることのないまま今日を迎えている。避けられているのだということは嫌でも分かった。別段、どう思うこともないが。

「…蒼さん、」
小さく自分の名前を呼ばれて振り替えると、いつの間にか輪から外れていた赤松が此方を見ていた。特に言葉を続けるようではなかったが、意図することはわかる。小さく頷くとニコリと笑って他のグループに入っていった。間もなくして鐘がなり、蒼達は元の席につき授業に耳を傾けた。


「で、取り敢えずその作戦で良いんだよね?」
「バッチリ!これで上手く行くはず!」

満足そうに計画書を眺めて頷く赤松。その様子は悪戯を企てるワルガキだ。対する蒼も不安を混ぜつつ少し楽しみであった。校舎裏の人気のない場所で赤松は彼女に愛用するリュックを手渡す。
「…でも汚れちゃうかもしれないけど、大丈夫?大切な物なんでしょ?」
「最原君のためならどうってことないよ。それに元々少し汚れてるから変わらないって」

微塵の迷いもない彼女の笑みのなんと明るいものか。入念に下準備を兼ねた本番なので不安は少ないのだろう。
最原のために出来ることを考えた挙げ句出した答えは、蒼達が用意した舞台を最原自身で演じてもらう大がかりなものだった。初めは直接相談を受けた彼女だけで行おうと計画していたが、そこに赤松からの相談が来た。
「最原君の自信を取り戻させたいんだ」
自身を下げその才能に悩んでいたことは赤松も勘づいていたらしい。何とかしてあげたいと言う彼女に蒼も協力することにした。

赤松の鞄を懐にしまう。代わりに蒼は一枚の紙を取り出して彼女に渡した。互いに頷いて、逆方向を歩き出す。

甲高い悲鳴が後ろから突き抜けたのはそれから数刻たった後だった。

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