◎16 : 誕生
手の平に置かれた銀色のバッジは、思っていたよりもずっと重く、はめ込まれていたひとつの石が光った。
勝ったんだ、ジムリーダーに。嬉しいような、そうでないような、わくわくするような、だけど…どこか不安なような。
難しい気持ちになってあたしは紅霞をボールにしまった。
まずはポケモンセンターで、ゆっくり休ませてあげなくちゃ。
バッジを帽子につけるために頭からとれば、中に収まっていた髪が落ちた。
サイドにつけて、ハヤトさんに頭を下げた。
「あの、ありがとうございました」
「…僕のポッポが、負けるとは思わなかった。草タイプに。」
傷ついたポッポに傷薬を吹きかけながら、小さく、ハヤトさんは言った。
ピジョンがお父さんから受け継いだポケモンだっていうことは知っているけれど、もしかしたらポッポは、ハヤトさんが育てたのかもしれない。
ピジョンのことは誇りに思っているとは思う。けれど、思い入れがあるんだろうな、ポッポに。
だから翠霞に負けたことにショックを受けているんだろう、か。
「…あ、あの」
「君は、強い。そして、これからもっと強くなる。」
そんな気がするんだ、顔を上げたハヤトさんは、綺麗に笑った。
ああ、怒っているわけでも、悲しんでいるわけでもないんだ。ただ、応援してくれてる。
もう一度ぺこり、と頭を下げる。
「ありがとうございます」
「ちょっと待ってて。」
ハヤトさんが暫く別の部屋にこもったと思えば、走って戻ってきた。
自慢の前髪がふさふさと揺れる。
「こ、これ、持って行って」
「ディスク?」
綺麗な水色のディスクを照明にかざせば「技マシンさ」と彼は何処か自慢げに言った。
「中には羽休めが入っているだ。鳥ポケモンをつかまえることがあったら覚えさせたらいい。
体力をある程度回復するにはいい技だよ」
あと、紙を差し出される。
何か番号のようなものが並べて書かれていて、あたしが首をかしげると照れたような、恥ずかしそうに視線を泳がせた。
「僕のポケギア番号」と、短く答える。
「僕はほとんどキキョウから出られないけれど、暇してることも多いし…」
もごもごと言葉を濁らせるハヤトさんは、やっぱり年頃の少年なんだなぁ…くすりと笑えば、じとり、と睨まれる。
仕様がないじゃないか、ここではあたしは、お姉さんもいいところだし。
「じゃあ、電話、しますね」
「か、必ずだからな!忘れるなよ!」
さっさと行ってしまえ!と真っ赤な顔でいうハヤトさんに手を振ってあの恐ろしいスピードで上下する床まで落ちないようにゆっくり歩く。
慌てて、ハヤトさんが近くまで走ってきて叫んだ。
「まっ…まて!」
「?」
「名前は、なんていうんだ!!」
そういえば、名乗らせておいて名乗っていなかったか、と肩を上下にするハヤトさんを見た。
電話するとき名前知られてなかったら、誰かわからないもんなぁ…。
「ヒスイです!ワカバタウンの、ヒスイ!」
「…ヒスイ!またいずれ、バトルしよう!」
彼が拳を高く掲げる。そのときまでには、あたしも彼も強くなっているだろう。
次も頑張ります、と同じように拳をあげて床を踏んだ。
急降下する床に従ってあたしの体が落ちていく。上でピジョンが旋回した。
ポケモンセンターのソファに座って、鞄から卵を取り出した。
ここ最近落ちたり倒れたりしてたからなぁ…ぐるぐる巻きになっていた布をとってみれば、
・・・ヒ、ビ?
さぁー、と血の気が失せるのを感じて、あたしは咄嗟にポケモンセンターについているテレビ電話に飛びついた。
震える手でなんとか番号をおせば、パンにかじりつくウツギ博士の姿。
『どうしたんだい?ヒスイちゃん。昨日も話したっていうのにー』
おはよう、とのんきに笑いかけてくれるウツギ博士。
あれは絶対朝昼兼用の食事に違いない。
って、今はそんなことを考えている余裕はなくって。
「た、たたた大変なんです博士!あたし、卵傷つけちゃって!」
『ほ、本当かい?卵を見せてくれる!?』
若干重たい卵をカメラの見える位置までもってくれば、興奮したようにウツギ博士がカメラを掴んだ。
ぐらりと一瞬画面が揺れる。
『それはヒスイちゃんが傷つけたんじゃないよ、耳をくっつけてみて!』
言われたとおりに、卵に耳をくっつける。
生きてる証の、暖かな温度と頻繁に聞こえる音。もしかして、これって・・・
「うまれ、る?」
『ヒスイちゃん、急いで戻ってきて!その様子だと明日には…!』
「えぇぇ!?ここからどれだけ時間かかると…」
『じゃあ頼んだからね!』
ぶつっ。
嫌な音がして画面が真っ暗になる。本気で切りやがった…!
がっくりと項垂れれば、後ろからつんつんと突付かれる。
振り向けば、ボールを持った紅霞がいた。
『
回復終わったんだが…なんでこんなところにいるんだよ?』
「実は、卵にヒビが入ってて・・・」
ふたつのボールを受け取りながら事情を説明すれば、ぴき、と卵から音が漏れる。
汗がす、とうなじに流れる。
「ワ、カバ、タウンに、戻らなくちゃ、いけなくって」
『
間に合わねぇよ…な?』
「…が、頑張る」
ぐるぐると卵をもう一度布に包めば、それをとられた。
すぐに翠霞の入ったボールをとられて翠霞を出してボールだけ投げてよこされる。
「な、なに?」
『
急がなきゃ、いけないんだろ?』
『
何々、どーしたの?』
ボールから出されて幾分か機嫌がいい翠霞はあたしと紅霞を交互に見る。
ずい、とたまごを差し出された翠霞は小首をかしげた。
『
チビはこれ持ってろ』
『
僕二足歩行できないのに!?』
驚いたように翠霞が眼を丸くすれば、紅霞はするどい牙をちらつかせながらにやりと笑った。
『
できるだろ?』の一言に、ああ!と翠霞は周りを見渡した。
人がいないことを確認して人の姿になって卵を受け取れば、紅霞も同じように人の姿になる。
「な、な、なにする気なの」
「
そう取って喰うわけじゃねーんだから、怯えんなよ」
ニヤニヤしてるのに、信じられるワケないじゃないか!
指をわきわきとさせてあたしを捕まえると、そのままがっ、と担ぎ上げた。
まるで米俵のように。
「
翠霞、ワカバタウンだ。下り坂だからなんとかなんだろ」
「
はーい。紅霞、ヒスイの荷物も僕が持つよ」
「
ほれ。」
あろう事かバッグを奪われ投げられ、あたしの人権をことごとく無視する2人に文句のひとつも言いたかったところだったけれど。
なんとかぐっと飲み込んでバランスを保つ。
おなか、いたくなってきた。
結局ワカバタウンに着いたのは空が赤くなって暫くしてからだった。
その間担がれていたため、あたしのお腹は見事に凹んでる。
心なしか酔った気がしないでも…ない。
「や、やっとついた…」
「
流石に疲れたな…」
勝手にボールの中に戻っていく紅霞のボールを指で弾いて(足が遅いあたしも悪いけれど)(疲れたって結構失礼!)、元の姿に戻った翠霞と一緒に真っ直ぐウツギ博士のところへ向かう。
ヒビが、確実に大きくなってきているのがはっきりとわかる。
「ウツギ博士!」
「ヒスイちゃん!?随分はやかったね…卵は?」
「はい、これ」
てっぺんがちょっとだけ出ている、布でくるまれた卵を一瞥してウツギ博士はすぐに孵化器に取り付けた。
トゲピーが生まれる、と思ったんだけど、今更ながらこの卵にはトゲピー独特の柄がない。
卵の中に卵の殻があって、それを着ている(?)とは到底思えないし…。
「あの、紅霞…リザードにソファをかしてあげてもいいですか?」
「リザード?ハナノさんところのヒトカゲくん、進化したのかい?」
「ええ、まぁ。」
口の悪さも上がってますよ、とは言えずに曖昧に笑う。
ボールから出した紅霞は既に寝息をたてていて、近くにあったタオルをお腹にかけてあげた。
なんだかんだいっても疲れてたのに、あたしのために頑張ってくれたんだもの。
少しくらい感謝しないとね。(米俵扱いでも)
ぱきり、ぱきりとヒビが大きくなっていく。
卵のかけらがぽろり、と落ちて、あたしと博士、それに翠霞は息をのんだ。
『
何が生まれるんだろう…』
翠霞の質問には答えてあげられないけれど、答えは、もうすぐだ。
ひとつ、またひとつとカケラが次々に落ちて、テーブルに弾かれた殻が床に落ちた。
殻が半分、なくなったところで、小さな目が開く。
濁った赤の、瞳は黒い毛に引き立てられて恐ろしいくらいに綺麗だった。
あたしはこんなポケモン、知らない。トゲピーでもない。
「は、かせ」
「ヒスイちゃん、ポケモン図鑑だ…!」
慌ててポケットの中からポケモン図鑑を取り出せば、画面には認識不可能の文字。
ああ、そうだった。ウツギ博士は頭を抱える。
「実はこの卵はね、カントー地方の卵でもジョウト地方の卵でもないんだ」
たぶんね、と曖昧に笑う博士にどういう意味ですか、と尋ねる。
赤い瞳はあたしを睨むように見続けていた。
「ナナカマド博士っていう、シンオウ地方に住んでるえらーい博士がいるんだけどさ。
その人からポケモンじいさんが譲り受けてね」
その博士の助手さんがまだ未熟だから卵を任せられないって。
ウツギ博士の説明になるほど、と黒いポケモンを見る。
犬に近い。耳が長くて、立っている。
『
アンタが、ヒスイ…?』
犬のようなポケモンが、じ、とあたしを見つめる。
手を伸ばして、目線を合わせていたあたしの額の前で指先を止める。
『
アンタの中、少し、見せて』
『
ヒスイ!!』
たどたどしい言葉と共に、あたしは視界が大きくぶれて、ブラックアウトされた。
09.10.26
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